第27話

「どわあっ!」

「何だ? 何事だ⁉」


 刑事二人が慌てふためき、三人の警備員が弾き飛ばされる。

 次の事態は一瞬だった。横合いから飛び出した葉月が、刑事二人にそれぞれ膝打ちと肘打ちを食らわせ、昏倒させたのだ。


「葉月、これは……?」

「さあ、早く離脱するぞ! ここに閉じ込められていては、ドクを止めることはできない!」


 そう言い切ったところで、ようやくスプリンクラーが作動した。

 と同時に、大音量でサイレンの音が響き渡った。爆発で空いた穴の向こう側から聞こえてくる。これは恐らく通常のパトカーではなく、機材輸送用の車両のサイレンだ。


「剣矢、走れるか?」

「あ、ああ」

「よし、皆、脱出だ!」


『脱出』? 『脱獄』の間違いではないのかと思いつつ、剣矢は葉月に従った。


         ※


 濛々と立ち込める黒煙を抜けると、防弾仕様であるはずの警察署の隔壁が、見事に大穴を空けていた。

 葉月の言う通りこれが『脱出』だとするなら、今響いている機材輸送車のサイレンは何を意味しているのだろう? ああ、そうか。その車両を使って脱出しろ、ということか。


 先頭を切って走る葉月は、一早くその車両を発見した。あたりは爆発によって騒然としており、銃器を構えている者も多い。さっさと移動しなければ。


「皆、荷台に乗ってくれ。あたしが運転する」

「ね、ねえ葉月、今の爆発って、葉月がやったの?」

「話はあとだ、和也! 今は離脱を考えろ!」

「りょ、了解!」

「おい、こっちだ! 荷台の後部ハッチは解放した! 全員、早く乗り込め!」


 憲明の言葉に従って、剣矢たちは急いで荷台に足をかけた。エレナが苦労している様子だったので、ひょいっと持ち上げて乗せてやる。


《後部ハッチ、封鎖する! 全員いるな?》

「大丈夫だ!」


 荷台の内部に取り付けられたスピーカーとマイク。そこに向かって、剣矢は叫ぶ。

 すると、ハッチはバタン! と封鎖された。輸送車はするり、と混乱の場を抜け出し、サイレンを鳴らしたまま、警察署を後にした。


 ふうっ、と息をついてから、剣矢はマイクの近くまで這って行った。


「葉月、脱出したはいいが、行く宛はあるのか?」

《さっきのグラウンドでの状況からして、ドクはあたしたちとの再戦を望んでいる。きっと何らかのコンタクトを取ってくるはずだ。それまでに、剣矢は身体を休めてくれ。また戦闘体勢に入ってもらえないことには、あたしたちに勝ち目はない》

「わ、分かった」


 剣矢が引き下がると同時に、エレナの名が呼ばれた。ついでに和也も。


《和也、イエスかノーで答えてくれ、エレナは今、剣矢のための神経増強剤を持っているか?》

「うん、二本しかないけど」

《了解。片方は後であたしが預かる。万が一エレナが負傷した場合、剣矢に渡せなくなると困るからな》


 エレナが大きく頷くのを見て、和也は『イエス』と吹き込んだ。


 その後の会話で分かったことだが、警察署での爆発は、この五人の中で誰も関与していないらしい。そもそも、警察署の外壁にあれほどの威力の爆薬を仕掛けるなど、並大抵の技術でできることではない。極めて高い隠密性が要求される。


《恐らく、ドクの息のかかった警官がいて、そいつが爆弾を仕掛けたんだろう。今は正体不明だが》


 ふむ。偽装と爆発物のスペシャリスト、か。

 だが、今そいつの正体を洗っている暇はない。ドクが一体、どんな手で俺たちを誘導してくるのか、それが問題だ。

 それを考えようとした剣矢の耳に、おおっ、という驚きの声が入ってきた。憲明だ。彼が驚くとは珍しい。


「どうしたんだ?」

「剣矢、このハッチの中を見てくれ」


 剣矢が近づくと、憲明はそっと場を空けた。そこには金属製の長い筒があり、その中には、


「こ、これって……」

「ああ。俺たちの使っていた銃器だ。グレネードランチャーも狙撃銃もある。和也、これを見ろ! 愛しのアイリーンⅡだぞ!」

「ええっ! 本当に⁉」


 やや揺れの大きい荷台の床に手を着きながら、和也がやって来た。筒の中身を見ると同時に、わあっ、と喜びを露わにする。

 さっと慣れた手つきで狙撃銃を取り上げる和也。尚矢との戦闘で破壊されたアイリーンの代役として、あらかじめ用意されていたらしい。


「どうだ? 異常はないか?」

「ああ、万全さ!」

「よし。どうやらあの地下施設の外に、火器は運び出されていたみたいだな。まさか警察が、あのドクの居城に突入できたとは思えん」


 剣矢は憲明に向かって頷いた。


「……って、どういう意味?」

「和也、少しは自分の頭で考えるってことをしろよ……」


 憲明が説明しようと口を開きかけた、その時だった。


《ゴホン、皆、聞こえるかね?》


 聞きなれた、そして今は誰よりも憎い人物の声が流入してきた。


「ドク! 貴様ッ!」


 思わず拳銃を取り上げ、さっと振り返る剣矢。確かに、スピーカーから聞こえてくるのはドクの声だ。当然、そこにドク本人がいるわけではない。


《その声、剣矢くんだな? まあそう騒がないでくれ。今このスピーカーの通信に割り込ませてもらっているが、葉月くんの耳にも届いている。皆、先ほどの爆破で怪我はしていないな?》

「ああ、無事だ」


 剣矢より冷静だと自負があったのだろう、憲明が声を上げる。


《よろしい。もう察していると思うが、皆の愛用火器はグラウンドの隅に配置し直しておいた。主に、憲明くんのグレネードランチャーと、和也くんのアイリーンⅡだな。理由は言うまでもない、君たちの身柄と共に火器が回収され、君たちの手に戻るようにしたんだ》

「何故そんなことを?」

《君たちと再戦するためだ》


 全く間を置かず、ドクは答えた。


《いやはや、君たちには迷惑をかけた。多かれ少なかれ、負傷させてしまったしな。特に剣矢くん、大丈夫か? 手加減はしたはずだが》


 剣矢はぐっと、唇を噛み締める。


《現在時刻は、午前十一時半。君らと私が交戦してから、三時間が経過している。次の戦闘時間と場所については、こちらから指定させてもらって構わんかね?》

「……」

《よろしい。時刻は明日の夜十時ちょうど、場所は廃棄区画ビル群の屋上だ。すぐに皆が私を発見できるよう、工夫はしておく。奇襲でも何でも、仕掛けてみるといい》


『こちらからは以上だ』――そう言って、ドクは通信を切った。


 しばしの沈黙の後。


「やるしかねえな」

「う、うん! そうだ! 今度こそ殺してやる!」


 憲明と和也が、相次いで怒りをあらわにした。憲明は静かに、和也はあからさまに。

 しかし、剣矢は一概に怒気をぶちまける気にはなれなかった。


 もし怒りに任せ、加えて神経増強剤を使って戦ったら、今度こそ自分で自分を見失いかねない。

 そして、葉月やエレナが恐れているように、自分はただの快楽殺人鬼に成り下がるかもしれない。


 それだけは、何としてでも避けたい。だが、それは命あっての未来の話だ。

 それに、神経増強剤を使ったからといって、有効期間は十分間だ。戦っている間だけ、狂人となる。それは仕方のないことではないのだろうか。


「おい、剣矢」

「……」

「剣矢、聞いてくれ」

「ああ、憲明……」

「ぼさっとしてる暇はねえぞ。今俺たちは、葉月のセーフハウスに向かってる。追手がかからないように、エレナが情報操作をしてるんだ」

「剣矢、憲明! 葉月が、もうすぐ車を替えるって!」

「了解だ。剣矢、大丈夫だよな?」


 曖昧に首肯する剣矢を一瞥して、憲明は立ち上がり、グレネード・ランチャーを手に取った。

 和也は頬ずりせんばかりに、狙撃銃を抱きしめている。


《そろそろ車を替えるポイントだ。武器はありったけ持って行ってくれ。弾倉一つ残すなよ。エレナは引き続き、通信妨害を頼む》


 葉月の声を発するスピーカーに向かって頷くエレナ。

 ノートパソコン一つでこれだけの情報操作ができるとは、流石ドクの一番弟子、といったところか。


         ※


 その後、剣矢たちは再度車を替えて、最終的に深い山林を大型のバンに乗って走っていた。

 揺れがひどい。酔いそうだったが、ぐっと堪えた。それも、葉月が『もうじき到着する』と繰り返し告げてくれたお陰だろう。


《皆、着いたぞ》


 バンの窓から見ると、ここは山頂ではないらしい。鬱蒼と木々の茂った山中だ。

 ドクの居城のあった山よりも、随分空気が清浄に思われる。日差しは木々の緑に遮られ、直接は差してこない。


「で、ここは何なんだ?」


 がしゃん、と建物の正面玄関を開錠する葉月に、憲明が尋ねる。


「あたしの両親の形見、だな」

「両親? お前、生まれてすぐに両親に捨てられて――」

「シッ!」


 憲明の前で背伸びをした和也が口を封じようとする。しかし、葉月は気にする様子もなく、軽く手招きをして、剣矢たちを建物に招き入れた。


「大丈夫、誰も住んでないし、警察もノーマークのはずだ」

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