第26話
誰も躊躇しなかった。パン、パンと軽い銃声が、弾丸と共に宙を舞う。
剣矢だけでなく、皆を相手にするとドクは言った。こちらは先手必勝で蜂の巣にするつもりだったが、ドクのことだから銃撃への対抗策は練っているだろう。
あのシャツやズボンは特殊な防弾素材でできている、とか。
だが、ドクの『対抗策』は、想像を絶するものだった。
ザシュッ、と砂を擦る音がして、その姿が消えたのだ。
「なっ!」
そうか。ドクは弾丸を『防ぐ』のではなく『躱す』つもりだったのだ。
剣矢にだけは見えていた。残像のようなものが急接近していく。その先にいたのは、
「憲明ッ!」
タタタタッ、と砂埃が上がるが、それが舞い上がりきる頃には、憲明は思いっきり吹っ飛ばされていた。見事な空中ミドルキックだ。
「憲明!」
駆け寄ろうとする和也。
「よせ!」
剣矢の忠告も空しく、和也はドクの裏拳で突き飛ばされた。勢いよく寺院の残骸に突っ込み、木材に上半身が埋まる。
剣矢は和也の状態を確かめる間もなく、二丁拳銃で銃撃した。右手で狙い、左手でばら撒く。ドクとて、流石に攻撃の反動で動きが鈍っているはずだ。一発でも掠めることができれば。
そう思った俺が甘かった。ドクは大きくバックステップし、銃弾を回避。
次いで、葉月からの銃撃に対しては――。
「なっ!」
「躱すばかりが能ではないよ、葉月くん」
弾丸を、弾いた。右腕を、肘を曲げる形で頭部と胸部に翳し、心臓と頭部をガード。そして一瞬で展開された、硬質な鰭のような部位で、弾丸から身を守ったのだ。
最初の人体戦略兵器、通称ドク。検体ナンバー00。まさか、防御性能まで兼ね備えていたとは。
「驚いたかね、剣矢くん? 無理もない、私は正真正銘の生物兵器だからな。私を超えたければ、君にも人間を辞める覚悟がいる。母親の仇を討つべく殺人者に身を落とし、父親を殺したようにね」
「ッ……」
「ああ、しかし手段がないか。君のために製造する神経増強剤と違って、私の薬剤は数が限られているのでね。それだけ危険な薬品だ、ということだが」
「それでもあんたは生物だ、だったら仕留められる!」
「ふむ。否定はしない」
ドクはゆっくりと肩を竦めた。
「確かに私を殺し、バイタルサインを切れば、全国の爆発物は機能を停止する。しかし、それが君にできるのか? 君たちに可能なのか? 憎しみを糧に育ってきた君たちのような若者に、私を止められるとでも?」
次の瞬間、剣矢は地面を蹴っていた。空気抵抗までをも考慮し、拳銃は投棄。体勢を低め、一瞬で接敵。
「ふっ!」
最短距離でドクの腹部にアッパーカットを打ち込む――はずだった右腕は、しかし見事に回避された。しかもドクは、後退せずに回り込んでいた。
勢いよく屈伸をするように、ドクはしゃがみ込んでから勢いよく立ち上がる。その膝の先に、剣矢の腹部を捕捉したままで。
「がッ!」
あまりの速度で膝を打ち込まれ、剣矢の身体はふっと突き上げられた。
なんとか着地は決めなければ。そう思った矢先、剣矢の瞳は驚愕に見開かれた。
ドクが、宙を舞っている。まさか再び屈伸して跳び上がったとでもいうのか。
その驚きが認識される頃には、剣矢の背部にドクの踵がめり込んでいた。
「ぐっ、あ……」
自由落下を遥かに上回る速度で、剣矢は地面に叩きつけられた。
意識が朦朧とし、吐瀉物が口元から溢れ出す。
「安心したまえ、臓器と骨格は傷つけていない。もちろん憲明くんと和也くん、二人にもな。だが、これではデータ収集にならんなあ……。君たちに私の正体を知らせてから戦闘開始までの時間が、あまりにも短すぎたようだ」
「な……にを……」
「ん? 無理して喋らん方がいいと思うが――」
「何を……ぶつぶつ、と……」
剣矢は怒気を眼球に込め、睨みつけようとした。しかし捉えられたのは、精々ドクの腰のあたりまでだった。
「ああ、独り言だ。気にせんでくれ。それよりも――葉月くん。君は大丈夫か?」
「葉月ッ!」
その瞬間、剣矢の脳内の靄が晴れた。
慌てて身を起こし、あたりを見回す。ごろりと反転し、仰向けになって上半身を起こすと――いた。葉月が拳銃を構え、真っ直ぐにドクを睨みつけている。
「よせ、葉月! 拳銃なんかじゃ……げほっ、けほ……」
「そうだよ、葉月くん。無理して死ぬことはない。君はまだ若いんだからな」
「剣矢から離れろ。両手を上げて、後ろを向け!」
しかし、次にドクの放った言葉は意外なものだった。
「承知した」
ドクは両腕を掲げ、くるりと葉月に背を向けた。一体何を考えているんだ?
その答えは、すぐさま明らかになった。
ドクの腕がミシミシと音を立て、伸びながら折れ曲がったのだ。関節をいくつも有した腕は背後に回され、葉月の銃撃をことごとく跳ね除けた。
「聞き分けの悪い子だな、長い付き合いだというのに」
そう言って、ドクは前のめりに腰を折った。両の掌を地面につき、再び跳躍する。
葉月に次弾を装填する間も与えずに、ドクは葉月の背後に立ち塞がった。そして、節だらけの腕を葉月の首に巻き付けた。
「よせ! やめろ!」
「構うな剣矢、今のうちにドクを……くっ!」
葉月が短い悲鳴を上げる。首に接したドクの腕の関節部がせり出し、骨格部分で葉月の首の皮を切ったのだ。
つつっ、と細く赤い筋が、葉月の襟元に滴っていく。
しかし、ドクは唐突に葉月の拘束を解いた。その時初めて、剣矢はドクの、いわゆる『苦虫を嚙み潰したような顔』を見たことになる。
「チッ、邪魔が入ったか」
どさり、と横たえられる葉月。ドクは腕を元に戻し、勢いよく跳躍してその場を後にした。
神経増強剤の時間切れが来て剣矢が気を失ったのは、まさにその直後のことだった。
※
「まさか銃撃戦ですか? しかも、薬物や小型兵器の闇取引の形跡もなく?」
「銃声がしたんで、パトロール中の警官が様子を見に行ったんだ。薬莢やら銃痕やら、あそこで何らかの戦闘行為が行われたのは間違いない」
「しかし、どうしてあんな山の中で?」
「知らん。この子供らに訊いてくれ。全員の意識が戻ったらな」
どうやら自分たちの身柄は、警察署で保護されているらしい。
そう剣矢が気づくのに、大した時間はかからなかった。
そうか。ドクは部外者が戦闘に割り込むのを嫌って、あのグラウンドを去ったのだ。結果的に、剣矢たちは命拾いすることにもなった。
剣矢が身じろぎすると、唐突に真っ白な光が瞼の向こうから差してきた。
手を翳そうにもその余力がない。が、次の言葉が耳朶を打つまでに、その光は消え去った。
「五人目、意識が戻ったようです」
「了解。彼らの近くに武器になるようなものは置いていないな?」
「はい、針金一本ありません」
「では、事情聴取といくか」
部屋の外で会話をしていた人物が、ドアを軋ませながら入ってくる。二人、続いて三人。きっと後ろから来た連中は、自動小銃で武装した警備員だろう。
「皆、聞こえているな?」
そう言って名乗ったところによれば、一人は警部補、もう一人は巡査部長のようだ。
失礼な話だとは思いつつ、剣矢はもっと上の階級の人間と話す必要性を感じた。
だが、どうのこうのと言っていられる場合ではない。今は全国の交通機関で爆弾テロが起こりかけているのだということを、刑事たちに信じさせるしかない。
「生憎だが、誰かを殺さなけりゃ爆弾テロが起こる、なんて戯言は抜かすなよ」
そうか、自分より早く意識を取り戻した誰かが告げたのか。
となれば、問題はそこではない。どうやってここを脱出するかだ。
この部屋は、広々とした病室だった。六台のベッドに、剣矢たち五人が寝かされたり、座らされたりしている。
「だから、本当に本当なんだってば! ドクを殺さないと、爆弾が――」
「やめておけ、少年。証言台で不利になるぞ」
和也を諫める刑事。やはり頭っから自分たちを信用していないのだと、剣矢は理解した。
「君らが銃器を使って、なにやら喧嘩をしたらしいということは分かっているが――」
「喧嘩じゃない。正真正銘の殺し合いだ」
極力無感情を装って、剣矢が口をはさむ。しかし刑事は無視して言葉を繋げた。
「――あそこに転がっていた銃器についた指紋からして、君らが戦闘行為を行ったことは間違いない。今弁護士を手配してるが、今のうちに訊けることは訊かせてもらう。生憎、そこのお嬢ちゃんは口が利けないようだからな」
エレナの方を顎でしゃくって見せる刑事。剣矢はぎゅっと拳を握り締めたが、その直後、ドアの向こう側が一瞬で吹っ飛んだ。
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