第25話【第五章】

【第五章】


 翌日、午前八時三分前。

 剣矢たちはドクの根城である地下施設の会議室に集合していた。何が始まろうとしているのかは分からない。だが、どこか不吉な感じがするのは誰も否めなかった。


 ドクは即断力・即決力に優れた人物だ。それが、昨日の時点で目的も明らかにせずに集合を促すとは。よほど酷い事態に陥っているのだろうか? 

 いずれにせよ、時間厳守もまた彼の美徳の一つであるから、八時になればすぐに状況は把握できるだろう。


 そんな皆の予想は、見事に的中した。

 ヴン、と音を立てて部屋前方の立体ディスプレイが起動する。


《おはよう諸君。突然招集をかけてすまなかったね。少々皆の前に出るには難しい懸案があったもので》


 そう語るドク。いや、ドクなのか?

 映し出された人物は、とてもちぐはぐな印象を皆に与えた。


 顔や背丈、体格は、よく見知ったドクのものだ。だが、服装が違う。映像の中のドクは、袈裟を着用していなかった。代わりに半袖の、上半身に密着するような形のシャツと、やや膝下に膨らみのあるズボンを着用している。


 その服装はどうしたものかと、剣矢は尋ねようとした。

 衝撃的な告白が為されたのは、まさにその直前である。


《全国の主要交通機関各所に爆弾を仕掛けた。爆破を食い止めたければ、四十八時間以内に私を殺せ》

「……」


 沈黙が、ぎゅっと剣矢たちの身体を圧迫した。


《どうした、聞こえなかったのか? いや、通信機器の故障……ではないな。聞こえているんだろう? リアクションの一つも取ってくれ、不安になる》


 そう言って穏やかな笑みを浮かべるドク。


《まあ、あまりにも唐突で信用されていないのかもしれんが……。皆に以前話したな? 私が、様々な国の諜報機関に命を狙われていると。残念だが、それは嘘だったんだ。正確には、様々な機関にスカウトされていて、それがうるさいと感じたから寺に籠ったのだよ》

「あんたを引き抜く理由はなんだ?」


 一早く正気に戻った憲明が問う。するとドクは、『決まっているだろう』と言って、注射器を取り上げた。


《ああ、映像では伝わらんかもしれんな。これは剣矢くんが、戦闘時に施している処置に用いる注射器だ。そして、ダリ・マドゥーが使っていたものでもある》


 今度こそ、沈黙は破られた。はっと息を飲む気配が四人分。その場にはエレナもいたから、彼女が口を利ければ五人分だったはずだ。


《十年ほど前、私はある問いにぶつかった。人間を生物兵器にするのと、兵器で人間を武装させるのとでは、結局どちらが強いのだろう、というものだ》


 まさか、いや、もしかしたら。剣矢の中で、一つの仮説が成り立った。

 自分やマドゥーが生物兵器として、錐山尚矢が機械化兵器として、戦いに駆り出されたのではないだろうか? どちらが戦闘に向いているのかを推定するために。


《皆、思うところがあるようだね》


 その言葉に、心臓が止まりかけた。


《悪を叩くために自らも悪を為す。このチーム結成は、研究開発や調査に邪魔な機関の連中を駆除するために必要だったのだ。その間に、錐山剣矢くんという『生物兵器側の』検体の実戦訓練もできた、というわけでね》

「訓練?」


 思わず問い返す剣矢。それに対し、ドクは『そうとも』と頷いた。


《機械化兵器開発よりも、生物兵器開発の方がリスクを伴う。何せ、能力使用者の身体を操作するのだからね。きちんと人間の姿を保ったまま、意識を取り戻せるか。君には随分協力してもらったのだよ、剣矢くん》


 剣矢は、今度こそ絶句した。


《ああ、もちろん、剣矢くんの前の被験者も存在する》

「ダリ・マドゥーか?」


 素早く問う葉月。マドゥーの腕には、剣矢の腕にあるのと似た数字の入れ墨があった。『確かに』と肯定しながら、頷くドク。


《だが、マドゥーや剣矢くんは割合新しいモデルだ。旧式の、しかし強力なモデルも存在した。いや、存在している》


 そう言うと、ドクは右腕を捲り上げた。

 剣矢たちははっきりと見た。そこに『00』の入れ墨があるのを。


《生憎、私は戦闘時にややリスクを負うものでね、そろそろ戦果を挙げないとマズいんだ》


 シャツを戻したドクは、真っ直ぐに剣矢の方を見た。


《錐山剣矢くん、君との決闘を所望する。もちろん、先ほどの爆弾テロの予告は忘れないでおくれよ? ああでもしなければ、本気になってもらえないのではと思ったのでね》

「貴様、自分のために多くの民間人を犠牲にするつもりか!」


 威勢よく立ち上がった葉月に向かい、ドクは『そうとも』と一言。


《考えてもみてくれ。世界は今、荒れに荒れている。核兵器による抑止力で、辛うじて平和を――薄氷のような平穏を保っている状態だ。だが実際のところ、平和という概念は存在しない。今日もどこかの町が空爆され、誰かが暗殺され、人の生命に関わるデータが改竄されている。そんな世界で力を振るっているのが、生身の人間と、それに従って操縦される機械化兵器だ》

「つまりあんたは、その『生身の人間』を強化しようと……?」

《その通りだ、剣矢くん》


 ドクは大きく頷いた。


《人間の闘争本能を掻き立て、戦闘へと導き、ひいては作戦を成功させる。隠密作戦や機密性の高い作戦では、生身の人間以上の兵器は存在しない。錐山尚矢博士は残念だった。だが、まだ我々がいる。私と剣矢くん、すなわち『人体戦略兵器』が。私はこの技術を某国に持ち帰り、役立てるつもりだ》

「ふざけるなあっ!」


 皆が目を丸くした。その声とともに立ち上がったのが、和也だったからだ。


「これ以上僕たちを利用するな! あんたは、自分の研究のために葉月を危険に晒していたんだろう⁉」

《だが、尚矢博士に射殺されかけた葉月くんを治療したのも私だ。彼女に今死なれては困るのでね》

「何故だ?」


 ドスの利いた低音と共に、葉月が身を乗り出す。


《先ほどと矛盾したことを言うようだが、私が相手として見ているのは剣矢くんだけではない。簡単に言えば、君たちチームで剣矢くんを援護してあげてもらいたい。それで負けるようなら、私は最初から用済みだよ。何せ、試作品なものでね》


 さて、と間を置いてドクは言った。


《私は逃げも隠れもしない。今、寺の前のグラウンドにいる。まあ、グラウンドと呼ぶにはいささか手狭だがね。そこで手合わせ願えるかな、若い衆の皆?》


 かしゃん、と音がした。剣矢が振り返ると、憲明が拳銃に弾倉を叩き込んでいる。


「ドクと剣矢は白兵戦をすることになるだろう。重火器は使えねえ。せめて拳銃くらいだ。葉月、和也も準備しろ」

「そ、そうだな。あたしも用意する。エレナ、剣矢の注射を取ってきてくれるか?」


 葉月に向かって頷いたエレナは、すぐさま会議室を出て注射器の保管庫に向かった。


《では、地上で会おう、諸君》


 その言葉と共に、ドクの姿は消えた。


         ※


 地上へと上昇中のエレベーター内は、沈黙していた。

 まさか、ドクが裏で糸を引いていたとは――。誰もが驚愕と絶望の念に囚われていた。


 ドクはいつも情報を提供し、偽装工作や後処理に尽力してくれていた。

 そんな彼が、唐突に敵に回ったのである。ティーンエイジャーしかいない自分たちに、一体何ができるというのか。


 くいくい、と袖を引かれて剣矢は振り返った。エレナが、注射器を差し出している。


「ああ、ありがとう、エレ――」


 彼女の名を呼ぼうとして、剣矢は言葉を飲み込んだ。

 今この瞬間ほど、エレナが躊躇いを露わにしたのを見たことはない。

 きっと、自分たちチームメンバーの中で、最もドクと過ごした時間が長い分、胸中複雑なものがあるのだろう。

 

 両親を喪ったエレナ。彼女にとっては、もしかしたらドクが親代わりのように思えていたのかもしれない。そんなドクが黒幕だったのだ。そのショックたるや、剣矢に推し量れるものではない。


 リン、と涼やかな音がして、エレベーターは地上に到達した。

 ゆっくりとドアが開いていく中、葉月は拳銃を手に、皆にハンドサインで指示を出した。

 周辺警戒、標的を補足次第、すぐさま射殺。


 頷く憲明、和也、そして剣矢。

 だが、飽くまで立体映像の中でだが、ドクは武器らしいものを一切保持していなかった。


 最初から、自分との白兵戦を想定しているとしたら。肉弾戦だけで決着をつけようというのなら。もしかしたら、今のドクには拳銃など通用しないのかもしれない。


 剣矢はエレナから注射器を預かり、躊躇いなく左腕の上腕部に突き刺した。五感が研ぎ澄まされたのを感じ、索敵体勢に入る。


 しかし、その標的たるドクは、探すまでもなかった。


「待ちくたびれたよ、諸君」


 グラウンド中央に、奴は立っていた。

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