第20話

「エレナ、無事か!」


 憲明の腕の中にすっぽり収まったエレナ。彼女にも怪我はないようだ。

 だが、皆にとって全く意外な事態はそれからだった。エレナがするり、と憲明の腕から抜け出し、和也に向かって拳を振り上げたのだ。


「な、何やってるんだ、エレナ!」


 そう叫びながら、剣矢は頭をフル回転させた。

 自殺しようとした和也を、エレナが体当たりして止めた。そのエレナを憲明が抱き留め、転倒を防いだ。そして何故か、今のエレナは和也に敵意を露わにしている。


「うわっ! 何するんだよ!」


 あまりにも突然の展開に、和也もついていけていない。

 どうしてエレナは飛び出してきたのか。そして、和也を責め立てているのは何故か。


「ああ、そう、いう、ことか!」


 エレナを必死に押さえつけながら、そう言う憲明。剣矢もまた、同時に同じ考えに至った。

 きっとエレナは、前線で戦っている剣矢たちよりも、人が命を落とすことに免疫がない。だからこそ、和也が死ぬ気であることを敏感に察知したのだ。

 だからエレナは憲明よりも早く踏み込み、和也を止めた。


 エレナがこのチームメンバーになったのは、両親を目の前で殺されたからだ。だからこそ、自分で自分の命を絶たんとする和也をどうしても止めたかったのだろう。


 それにしても、エレナの暴れっぷりは凄まじいものがあった。いつも通りの、清楚なワンピース姿に銀髪碧眼のエレナ。

 そんな天使のような姿でありながら、腕をぐるんぐるんと振り回し、足をバタつかせる彼女は、それこそ悪魔に魅入られた堕天使に見えた。


「落ち着いてくれ、エレナ! もう和也は武器を持ってない! 自殺する心配はないよ!」


 そう言いながら、剣矢はエレナを宥めようと試みる。


「お前からも言ってやれ、和也! 自殺しようなんて馬鹿な考えからは目が覚めただろう?」

「えっ、うっ、うん……」


 しかし、それでもエレナは暴れ続けた。


「ごふっ!」


 エレナの後頭部が憲明の顎に打ち込まれ、憲明は思いっきりのけ反った。

 その隙に、エレナは和也に突進し、頭から和也の胸元に突っ込んだ。これはこれで、強力な頭突きである。

 そのまま両腕を振り回し、ぽかぽかと和也の顔を連打した。


 今度は自分がエレナを止めなければ。そう思った剣矢は、背後からエレナを羽交い絞めにした。

 放せ、とばかりに、肘を背後に突き出すエレナ。体格差がかなりあるとはいえ、エレナは我を忘れている。剣矢にとっても、この肘打ちはなかなかの脅威だ。


 こうなったら、和也本人にエレナを宥めさせるしかない。もう自殺などしないと、誓わせるのだ。


「おい和也! エレナはお前の心配をしてくれたんだぞ! 礼の一つも述べたらどうだ!」


 しかし、和也はぽかんと口を開けて動けずにいる。


「早くしろ! エレナも、落ち着いてくれ!」


 この小さな体躯のどこに、こんなパワーがあるのか。いや、それは愚問だ。

 エレナの心には、両親を喪った悲しみ、悔しさ、そして敵に対する憎しみがある。これだけ揃えば、いつ暴れ出したって不思議じゃない。


 しかし次の瞬間、事態は急展開を迎えた。

 エレナの腕のリーチに入り込むように、和也が膝を着いたのだ。

 和也の頭部は、エレナの拳の暴風域に突入し、見事な一発が和也に左頬にめり込んだ。


「……」


 全員が沈黙した。憲明もまた、顎を擦りながら状況の推移を見つめている。


 次に口を開いたのは、先ほどとは打って変わって、穏やかな笑みを浮かべた和也だった。


「本気だったんだね、エレナ」


 その言葉に、エレナは目を丸くする。そして、すとん、と肩を脱力させた。

 彼女に攻撃の意志が残っていないと判断した剣矢は、そっとエレナを解放した。


 和也が口元をぐいっと拭う。唇の端が切れていた。ぽたっ、と僅かに鮮血が滴り落ちる。

 自分のしてしまったことを悟ったのだろう、エレナは咄嗟にハンカチを取り出したが、和也はそれをそっと手で押し戻した。


「僕なんかの血で、エレナのハンカチを汚しちゃ悪いよ。ちょっと頭、冷やしてくる」


 そう言って、和也は武器庫をあとにした。


「な、何なんだ、アイツ……」


 剣矢が呆然として呟くと、


「エレナに気合を入れられたんだろ。それよりエレナ、お前、頭突きの才能があるな。効いたぞ、さっきのヘッドバットは」


 と憲明が言った。言われたエレナは、一瞬怒ったように頬を膨らませたが、すぐにしゅん、と俯き、申し訳なさそうな態度を取った。


「それより憲明、和也の対戦車ライフル、整備は間に合うかな」

「さあな。でも、戦う気にはなったんだろ、アイツも。だったら、仲間としての礼儀を貫くだけだ」

「礼儀、か」


 正直、その時憲明が何を以て『礼儀』と言ったのか、剣矢には図りかねた。

 だが、少なくとも自分なりの『礼儀』は尽くそう。そう思った。


 親父を――錐山尚矢を、殺す。


         ※


 こうしたゴタゴタを経て、剣矢たちはどうにか作戦実施場所に到着、配置に着いた。


《こちら憲明。生憎うちのお姫さんは負傷で参戦できん。俺が臨時に指揮を執る》

「剣矢、了解」

《和也、了解》


 実はこの時、剣矢と憲明は、互いに視認できる距離にいた。何故わざわざヘッドセットで通信したのかと言えば、和也の声を聞きたかったからだ。

 どうやら任務に支障がない程度には回復したらしい。心身共に。


 剣矢は静かに拳銃二丁に初弾を装填し、セーフティを外した。憲明はグレネードランチャーを構え、和也は対戦車ライフルの照準を調整する。


 がしゃり、という重い装填音が耳に入ってきた。和也は無事狙いをつけ、射撃体勢に入ったらしい。


「さて、皆揃ったようだな」


 余裕のある口ぶりで、そいつはこの倉庫街へ入ってきた。


「今日こそケリをつけてやる、錐山尚矢」

「昨日言ったかな? 私とお前は家族だ。せめて『親父』ってくらいには親しみを込めて呼んでもらいたいもんだな」

「お袋を殺す親父がいてたまるか。あんたは親父でも何でもない、ただのろくでなしの、人でなしの、人殺しだ」


 すると、カチカチと不快な音がした。尚矢が肩を揺すって笑っている。


「なあ剣矢、私と組む気はないか?」

「……⁉」


 唐突な言葉に、剣矢は驚愕の念に打たれた。


「お前だって人殺しだろう? お互い様じゃないか。だったら、悪に手を染めた者同士、手を取り合って世界を牛耳ってみないか?」

「なっ、一体何を……」

「お前は神経増強剤で強くなる。私にはパワードスーツがある。最高のタッグじゃないか。どちらが強いか勝負できれば、世界の軍事バランスの行く末を左右することができる。我々二人、親子でだ! そうすればきっと母さんも喜ぶ!」


『母さんも喜ぶ』――その一言が、剣矢の心に火を点けた。


「錐山尚矢、俺はあんたを殺すために、吸血行為に走ってまで手掛かりを追ってきたんだ。あんたには想像できないだろうな、それがいかにおぞましい行為なのか。それにどれほどの執念が必要なのか」

「執念?」

「ああ、そうだ。俺は注射を打って、自分が化け物になっちまう感覚に、いっつも苛まれてる。だが、それに耐えてきた。貴様を殺せると思えばこそ、な。今更あんたと組む? ハッ、寝言は寝ている時にほざくもんだ。今日こそは、てめえを永遠に眠らせてやる」


 すると、尚矢は右頬に手を当てた。通信をしている様子だが、そこには一部の隙もない。


「うむ、そうだ。交渉決裂、帰還するのは私だけだ。今度こそ海保に悟られんようにな。通信終わり」


 尚矢は改めてこちらに向き直り、両の掌を上に掲げて見せた。


「決め台詞の途中で悪かった。さあ、試合開始といこうじゃないか」

「言われるまでもない」


 この台詞が合図だった。尚矢の真横のコンテナの陰から転がり出た憲明が、グレネードランチャーを連射したのだ。

 今回は通常の榴弾ではなく、焼夷弾を用いている。少しでも、スーツの気体循環機能を落とすためだ。


 昨日よりも明るい爆炎に包まれる尚矢。

 剣矢は既に注射を打っていた。強化された視力を以てすれば、防御の構えを取る尚矢の姿を視認するのは容易だった。


 憲明が砲撃したのと反対側、ガードの甘い方に跳び、コンテナを蹴って接敵。尚矢の脇腹に蹴りを見舞う。ぶわり、と熱波が俺の頬を撫でた。


「ふん!」


 こちらに掴みかかってきた尚矢の腕を回避。拳銃を抜き、敢えて挑発するように弾丸をばら撒く。


「そんなものが私に通じると思っているのか!」

「おや? 通じないのか? そのスーツ、硬すぎるんじゃねえの?」

「それは貴様の弾丸が弱いだけだ!」


 よし、こっちだ。この倉庫に入ってこい。二酸化炭素地獄に陥れてやる。

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