第19話【第四章】

【第四章】


 剣矢と憲明がボンベの設置作業にあたっている、まさにその頃。


 葉月の意識は一瞬で覚醒した。はっとした。

 自分は確か、錐山尚矢との戦闘で手榴弾を投擲しようとして、隙を突かれて銃撃を受けて……。

 

「あっ、葉月!」

「和也! どうしてここに? あ、いたっ……」

「無理に起きちゃだめだよ! まだ傷が完全に塞がったわけじゃないんだ」


 脇腹を押さえつつ、ふうっ、と息をついて、葉月は再びベッドに横たわった。


「ここは、ドクの寺の地下、だよね?」

「えっ? ああ、うん……」

「そっか……。あたし、命拾いしたんだね……」


 和也の胸がざわついた。葉月がいわゆる『女の子口調』になっていたからだ。いつも男勝りな態度と口調だった葉月が。

 だが、そんなことに狼狽えていた和也の心は、一瞬で打ち砕かれることになった。


 葉月が目を見開き、こう言ったからだ。


「剣矢……剣矢は? 無事なの? どうなの? 教えて、和也!」

「えっ」


 葉月は剣矢を援護すべくして負傷した。しかし、和也にはこう聞こえてしまった。


『今目の前にいるお前ではなく、剣矢はどうしたのか』と。


「どうしたの、和也? 震えてるけど……。まさか、剣矢はあたしよりも重傷なの?」


 違う。そうじゃない。

 どうしてそんな、潤んだ瞳で。

 どうしてそんな、甘い口調で。

 どうしてそんな、切ない表情で。


「君は剣矢の心配をするんだ」

「何ですって?」

「どうして葉月は分かってくれないんだ! 僕がこんなに君のことが好きだってことを!」


 そう叫ぶと同時、葉月の顔から感情が、するり、と抜け落ちた。


「――そう。剣矢は無事なのね」

「だから君は! どうしていつも、剣矢剣矢剣矢剣矢って――!」

「和也、お願い。落ち着いてよく聞いて」


 暴れ出しかねない和也の手を取り、葉月はそう言った。上半身を起こした葉月は、和也の手の甲にそっと自分の額を押し当てた。

 じわり、と水滴が和也の手に滲む。それは、葉月の涙。そう和也が気づくのに、しばしの時間が必要だった。


「は、葉月、泣いてるの……?」

「……」


 やがて、葉月は喉の奥からしゃくりあげ始めた。


「ごめん……。ごめんね、和也……。あたし、あなたのお姉さんにはなれない」


 その言葉を和也が理解するより先に、衝撃が彼の胸を貫いた。

 和也がこのチームに入ってから、被弾した経験はない。だが、この心理的弾丸は、和也の胸に大穴を空けていた。

 リアルな痛みが、左胸を中心に広がっていく。自身の身体が石化し、ぼろぼろと崩れていく。そんな、馬鹿な。


 この期に及んで、ようやく和也は投げかけられた言葉の意味を解した。


「ま、待って! どうして姉さんが出てくるんだよ! 姉さんはとっくに死んで――」

「だからこそだよ、和也。あたしは、あなたのお姉さんには一生かかっても敵わない。あなたにとって恋愛対象がお姉さんと被ってしまうのなら、あたしはずっと二番手に甘んじることになる。それは……それは、耐えられないことなの」

「それが何だってんだよ! 姉さんは死んだんだ! その後に僕が誰を好きになろうが、勝手じゃないか!」

「じゃあ、あたしが誰を好きなっても構わないのよね。だってあたしに、元々家族なんていなかったんだもの」


 どごん、と轟音が和也の脳内に響き渡った。二度目の被弾だ。今回もまた、左胸に精密に撃ち込まれた。


「う、あ」


 和也の手が葉月の額から離れ、そのまま重力に引かれて、だらん、と落ちた。

 尻餅をつく和也。葉月はそんな和也を、じっと見つめている。

 目を逸らすことができれば、どれだけ楽だったか知れない。しかし、仲間に対する自分の好意をふいにされたことが、和也の神経を麻痺させていた。


 和也は、自分が叫びだすのではと思った。この場で逆上し、葉月を殴り殺すかもしれない、とも。

 しかし、そのどちらも起こらなかった。短い電子音が、沈黙を破る。


《和也くん、こちらドクだ。剣矢くんと憲明くんが、ボンベの配置を完了して帰還した。君も合流して、武器の整備にあたってくれ。どうやら今回も、対戦車ライフルの方が適していると二人は言っている。急いでくれ》


 すると意外なほど、和也はすらり、と立ち上がった。


「和也」


 スライドドアの前に立った和也は一度足を止め、こう言った。


「葉月、君には幸せになってほしい」

「ま、待って和也、ちょっと――」


 無情にも、和也の背後でドアは閉まり切った。立ち上がってから退室するまでの間、和也は一度も振り返りはしなかった。


         ※


 武器庫に入ってきた和也を見るなり、剣矢と憲明は顔を見合わせた。それから再び、和也に向き直る。


「和也、ドクから聞いてるな。今回も対戦車ライフルを使ってもらう。作戦概要はもう把握しているか?」


 気にかけないことにした憲明が、和也に向かって畳みかける。


「今回、剣矢と尚矢には一対一で勝負してもらう。だが、あのパワードスーツの機動性を殺さなければならない。そこで今、俺と剣矢で、戦闘区域の天井や壁面に二酸化炭素のボンベを仕掛けてきた。それを連続で狙撃しろ。スーツに二酸化炭素を吸わせて、尚矢を窒息させるんだ」


 こう語る間、憲明はずっと和也に目を遣っていた。あぐらをかき、拳銃の弾倉を交換する訓練をしながらだ。剣矢は目を下ろしたまま、自動小銃にガンオイルを注している。


「復唱はどうした、和也? 『了解』は?」


 バチン、と弾倉を叩き込み、憲明はゆっくりと立ち上がった。そして、まるで息をするかのような流れで和也の眉間に銃口を突きつけた。


「おっ、おい、憲明!」


 これには流石に剣矢も焦った。まさか仲間割れが起こるとは思わなかった。しかも、最も冷静だと信頼を置いていた憲明が加害者という形で。しかし、


「冗談だ。そんな悲鳴じみた声を上げるな、剣矢。不似合いだぞ」


 と言って、憲明はすっと銃口を下げた。見れば、憲明の手にした拳銃はセーフティがかかっている。


「あ、ああ……」

「驚かせて悪かった。だが、状況は予想以上に悪いようだぞ」

「え?」


 剣矢は憲明の見ている方、すなわち和也の方を向いて、ごくりと唾を飲んだ。

 和也の目は、死人のそれだった。生き甲斐も何もかも、放り出してしまったかのようだ。


「か、かず、や……?」

「端的に訊くぞ、和也。今日の任務、お前に任せて大丈夫か?」

「何を言い出すのさ、憲明」


 ふっと口元を緩める和也に、剣矢はぞくり、と背筋が冷えるのを感じた。


「大丈夫も何も、僕がいないとどうしようもない作戦だろう、それは?」

「だから大丈夫かと訊いてるんだ」

「……」

「答えろ、和也。どうなんだ」


 すると、和也はやれやれと肩を竦め、両の掌を上に向けた。


「もしそれが分かっていれば、すぐに答えているよ。僕には――」


『もう分からない』。和也の唇がそう動くのを、剣矢は確かに見た気がした。同時に、自分もまた責任を持つべき問題が発生したのだということも。


「葉月、意識が戻ったんだな? そして言ったんだろう、俺と和也のことを?」


 ちらりと憲明が視線を寄越すのを感じながら、剣矢は言葉を続ける。


「正直に言うぞ、和也。俺はお前には絶対に敵わない。何故か? お前の方が、ずっと葉月のことを大切に思っているからだ。そりゃあ、俺だって葉月のことは好きだ。格好いいからな。でも、お前は俺なんかより、ずっと長く葉月のことを見てきたように思えるんだ。だから――」

「もういいよ、剣矢」


 自虐的に顔の筋肉を弛緩させる和也。


「も、もういいって、俺は――」

「葉月は君を選んだんだ、剣矢。はっきりそう言った」


 剣矢は最早、何をどうしたらいいのか分からなくなった。その瞬間、溜息をついていたのか、頭を抱えていたのか、両膝を床に着いていたのか、それすら分からない。

 ただ一つ、聴覚が異常をきたした。


「憲明、さっきの質問に答えるよ。僕に作戦決行は無理だ。今ここで死ぬからね」

「ッ! 待て、和也!」


 どんっ。からん。どさり。


 上半身を折っていた剣矢は、その瞬間を見ていなかった。

 何だ? 何が起こった?


 ゆっくりと、視覚が復旧してくる。剣矢の足元には、和也が持っていたと思しきペーパーナイフが滑ってきた。しかし、血はついていない。

 憲明が和也を無理やり止めたのか? いや、この距離で間に合ったとは思えない。


 ゆっくりと目を上げる。

 横倒しにされた和也。屈み込んだ憲明。そしてその腕には、


「エレナ……?」


 小さなエレナの体躯が、ぎゅっと抱き締められていた。

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