第16話
《錐山博士、緊急です》
「どうした?」
《海上保安庁に仕掛けていた通信妨害用AIが、予想より早く破られました。現在、最寄りの巡視船がそちらに向かっています》
「到着までの時間は?」
《博士を回収予定だった偽装漁船まで、残り五分弱です》
「了解。直ちに撤退する」
そう言うと、尚矢はその場に屈み込み、右足側部を展開した。そこに今の大型拳銃を格納していたらしい。
「命拾いしたな、剣矢。最も、そちらのお嬢さんはどうか分からないが」
淡々と語る尚矢。その口調が、何故か剣矢の心に火をつけた。
「貴様、よくも葉月を、葉月をおおっ!」
「むっ!」
剣矢は尚矢を抱きしめるようにタックルを仕掛けた。自分のどこにそんな力が残っていたのか、さっぱり分からなかったけれど。
「うあああああああ!」
「落ち着け、剣矢! もう一度戦ってやる! それまでは勝敗の判定はお預けだ、今回の爆弾テロは、それまで延期してやる!」
その言葉の途中に、剣矢は思いっきり蹴とばされていた。背中からコンテナに突っ込み、全身が鈍痛に縛り付けられる。
《博士、お早く!》
「分かっている!」
それだけ言って、尚矢は背部のスラスターを展開し、今度は海上を滑空するようにして海の向こうへと消え去った。
※
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。
「ん……」
真っ白い光。薬品の放つ異臭。やや硬めのベッド。自身の身体はそこに横たえられている。
四肢と内臓が無事であることを確認した剣矢は、ゆっくり目を開けた。点滴の針を引っこ抜かないよう、慎重に腕を掲げる。
「おっと剣矢くん、気づいたかね?」
「ドク、ですか」
「ああ。負傷者が出たとのことだったのでね。憲明くんと和也くんの二人に、君と葉月くんを運んでもらったんだ。ここは寺院の地下にある、私とエレナくんの住まいだ。見慣れたものだろう?」
「もう起き上がっても?」
「ああ。ただ、無理はせんでくれよ」
剣矢は腕を引っ込め、上半身を起こした。
自分の記憶を整理する。だが、それには及ばなかった。一瞬で、最も危惧すべき事態に思い至ったのだ。
「葉月は? 葉月は無事ですか? 大型の拳銃で撃たれて……!」
「大丈夫。今は眠っているが、命に別状はない」
「そう、ですか」
剣矢は自分の胸に手を当てた。生暖かい息が吐き出される。
それを機会に、剣矢はより現実的な方へと意識を切り替えた。
「前回の戦闘からどのくらい経っていますか? 何か、尚矢から連絡は?」
「そう、それだよ」
ドクは剣矢のベッドの反対側に回り込み、古びたコーヒーメーカーからマグカップに茶色い液体を注いだ。
「今は日が変わって、午前九時半を回ったところだ。十分休めたかね?」
「はい」
「で、錐山尚矢博士からの連絡だが、ちょうど三時間前にあった。また同じ条件での戦闘をご所望のようだ。人質は変わっていない。また、我々も警察への通報は控えている。少なくとも、博士から爆弾テロの主導権を奪うまではな」
「そう、ですか」
そこまで話を続けてみて、剣矢は妙な違和感が胸中にあると感じた。
「この点滴、もう抜けますか?」
「ん? ああ、問題ないが……。どこか出かけるのかね?」
「葉月のそばにいてやりたいんです」
すると、微かにドクの眉間に皺が寄った。しかし、それも一瞬のこと。
「分かった。少し待ってくれ」
処置を受け、葉月の休んでいる部屋の番号を教わる。『本当は、今葉月を見舞うのは止めてほしいのだが』――そんなドクの心の声は、剣矢には届かなかった。
※
廊下に出ると、奇妙な組み合わせの二人が立っていた。
「おう、剣矢。無事なようだな」
「憲明、すまない。親父を取り逃がした」
「気にすんな。次は仕留めろよ。なあ、エレナ?」
すると、憲明のそばにいたエレナが、ぴくり、と身を震わせた。やはり、図体のでかい憲明には、どこかしら恐怖を感じるのかもしれない。
「エレナ、憲明はこんなだけどな、すごく仲間思いなんだ。お前を取って食ったりしないから、安心しなって」
「おいおい、人を化け物扱いすんなよ。ああ、それよりも。ほら、エレナ」
軽く、極々軽く、憲明はエレナの肩に手を載せた。そう言えば、さっきからエレナはずっと両手を後ろに回している。何かあるのだろうか?
おずおずとエレナが取り出したもの。それは、千羽鶴だった。一枚一枚が丁寧に織り込まれ、グラデーションを為すように綺麗な色使いがされている。
「えっ? あ、これ、俺に?」
「馬鹿野郎、他に誰がいるんだ」
戸惑う剣矢に、ツッコミを見舞う憲明。そんな二人を、エレナは交互に見つめている。不安げな色を瞳に滲ませて。
エレナが、自分のために千羽鶴を折ってくれた。その事実は、剣矢の胸中に穏やかな風を呼び込んだ。ああ、自分はエレナに大切に想われているのだな――そう思うだけで、全身にあった倦怠感が一掃されていくような感じがした。
「ありがとうな、エレナ。大事にするよ」
するとエレナは、何故か目に涙を溜めていた。
「おい、どうした、エレ――」
直後、屈んだ剣矢の背中に腕が回された。剣矢は、言葉を途切れさせてしまう。
自分の肩に、エレナの顔が押しつけられている。それだけで、何かひどく落ち着かない気分になる。
「あー、口を利けないエレナの代わりに、俺が解説するとだな」
憲明は後頭部をガシガシと掻きながら、二人のそばに立った。
「エレナはいっつも感謝してるんだ。俺たち戦闘要員に。とりわけ、一番危険な前線に立って、情報を入手してくる剣矢にはな。それで、自分なりのことをやってくれた、ってわけだ。もちろん、こんなVIP待遇をされるのはお前だけだぞ、剣矢」
「そりゃあ……うん、ありがとうエレナ、光栄だよ」
と言った矢先、ばちん、といい音が廊下に響き渡った。綺麗なデコピンの決まった音だ。
「いってぇ! 何すんだよ、憲明!」
「なあに、お前があんまり野暮なことしか言わねえからよ」
「う……」
何の反論もできない剣矢。
別に汚名返上のつもりはなかったが、剣矢はゆっくり、数回エレナの頭を優しく撫でた。言葉で伝えるより、手っ取り早いと思ったのだ。
「じゃあ、俺はちょっと行くところがあるから。ちゃんとお礼はするからな、エレナ」
こくこくと頷くエレナ。
彼女に背を向け、剣矢は先ほどドクに教わった部屋を目指す。
「おい、剣矢」
「何だよ憲明、まだ何か――」
「手短にな」
それだけ言って、今度こそ憲明は腕を組み、壁に背を預けた。
※
こんな状況であることは、半ば予想していた。
葉月の病室に入って、真っ先に目に入ったもの。それは葉月ではなく、和也の背中だった。
「なあ、和也」
「僕の、せいなのか」
「……」
やはりそう来たか。
剣矢が予想していたパターンは二つ。一つ目は、どうして葉月を守り切れなかったのかと言って和也が自分に殴りかかってくること。二つ目は、和也が自責の念に駆られて落ち込んでいること。
この状況を見る限り、どうやら後者だったらしい。
キレられるよりはマシかもしれないが、手の施しようがない。というか、分からない。
取り敢えず、スライドドアの開閉音で、誰か――この場合は剣矢だが――が入ってきたことは分かっているはずだが。
入室が許された以上、自分にも葉月を見舞う権利があるはずだ。そう思った剣矢は、ゆっくりと和也の背後から回り込み、仰向けに寝ている葉月の姿を覗き込んだ。
人工呼吸器を取り付けられ、マスク状の部分が吐息で白く曇っている。
剣矢はそっと葉月の肩に触れようとして、躊躇った。和也が、真っ白い顔で彼女を見下ろしていたからだ。その血色の悪さたるや、今ベッドで輸血処置を行われている葉月といい勝負だった。
「僕に……」
口を開いた和也に向かい、剣矢は目を上げた。和也の声は掠れ、震え、ゾンビか何かを連想させた。
「僕に、力がなかったんだ。だから、葉月を、守ってあげられなかった……」
「言うなよ、和也」
自分の声に意外なほど力が籠っている。そのことに驚きを覚えつつ、剣矢は続けた。
「今回葉月が撃たれたのは、俺たち皆の責任だ。ドクとエレナは、尚矢の武装を解析しきれていなかった。憲明の榴弾や和也の狙撃銃は効かなかったし、俺は注射を打った後にも関わらず、尚矢を止められなかった」
「……」
「葉月だってそうだ。地雷の起爆には成功したけど――」
「葉月を悪く言うな!」
和也はぐいっと腕を伸ばして、剣矢の前襟を引っ掴んだ。しかし、すぐにその腕は枯れ果てるかのようにゆるゆると滑り落ち、再び和也は俯いた。
「僕が、僕が葉月を守るべきだったのに……」
「何を言っている、和也? お前ひとりの責任じゃない。それとも、そうやって葉月を自分だけのものにでもしようと思ってるのか?」
「ああそうさ、それが僕の我がままだって、それは分かってる。でも、でもさ、剣矢。君だって、僕のことは知っているだろう? 僕の過去は」
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