第13話【第三章】

【第三章】


 アジトでひとしきりニュース番組を見回った後、剣矢、葉月、憲明、そして和也の間には、痛いほどの沈黙がひしめいていた。四人の心を圧壊せんとするばかりに。


 ニュースの中身は、やはり剣矢たちの決行した作戦に関するものだった。通称『高級ホテル狙撃事件』と銘打たれている。確かに、最も目覚ましい活躍をしてのけたのは和也だ。善かれ悪かれ。


「だっ、だってさ!」


 和也は両腕を上げ、ぶんぶん振り回した。


「いてっ」

「あっ、ごめん、剣矢……って、そうじゃなくて! あー、もう!」


 和也は自らが爆発を起こしたかのような勢いで立ち上がり、四肢を突っ張った。


「僕の判断はそんなに間違ってたのかよ! 葉月が……仲間が人質にされていたら、誰だって慌てるだろ? 怖いと思うだろ? 皆、そんなに冷たい人間だったのかよ!」

「冷静だって言え、和也」


 腕を組んだ憲明が、和也の正面で唸る。

 剣矢は溜息をつかされるばかり。葉月は両手を膝に置いて、俯いたままだ。


 すると、和也はとんでもないこと言い出した。


「皆、人を好きになったことないのかよ! 僕は、葉月が好きだ。好きなんだよ!」


 どこが悪い。自分こそが正義だ。そんな自負の念が和也からは伝わってくる。

 だがそれ以上に、唐突に行われた公開告白に、空間の軋みはより大きくなった。


「お、お前、何を言ってるんだ⁉」


 剣矢は動揺した。自分でも意外なことに。

 これだけは。これだけは和也に言わせるわけにはいかなかった。そんな緊迫感が、逆に剣矢の一挙手一投足を封じてしまう。

 憲明はやれやれとかぶりを振るばかり。一方、葉月はテーブルに肘を、手の甲に顎を載せ、無感動な目で和也を見つめていた。


「葉月、今日のことで分かっただろう? こんな奴らより、僕の方が強いんだ! 僕と付き合ってよ!」

「……」

「は、づき……?」


 すると葉月は和也からついと目を逸らし、席を立った。


「先にシャワーを借りてもいいか?」


 男衆三人の中で最も冷静だった憲明が、『どうぞごゆっくり』と言い放った。

 葉月は無言のままダイニングを出て、やがて通路奥でばたん、と音を立てた。脱衣所に入ったのだろう。

 無情だな、と、剣矢は普段使いもしない言葉を胸中で響かせた。


 しばしの沈黙。それを破ったのは、案の定『病人』だった。言うまでもなく、恋の病の重症患者である。


「なっ、ななっ、何なんだよ、あれ!」


 バン、と両の掌をテーブルに叩きつける和也。

 音叉が共振するように、剣矢の心にも怒りの火が点いた。だが、それを憲明は、微かに目線を逸らすことで諫める。諫めるべき相手は、当然ながら剣矢ではない。


「そのへんにしておけ、和也。お前の手が動かなくなったら、誰が葉月を守る?」

「なっ、何言ってんだよ憲明! 君だって、僕の援護の仕方を批判したじゃないか!」

「お前の腕前を否定した覚えはねえよ。だから落ち着け。今日は皆疲れてる。それだけの話だ」


 和也は自己矛盾に気づいているのだろうか。剣矢はそんな疑念に囚われた。葉月を守るのに一番適格なのは、自分の腕を大事にすることだ。それなのに、暴れまわって最悪、指を骨折でもしてしまったら目も当てられない。


 剣矢の胸中の、そんな『呆れ』に気づいていないのか、和也は剣矢の肩に腕を載せた。


「な、なあ、剣矢はどう思う?」

「何がだ?」

「だからさぁ、何が、じゃなくて――あれ? えっと……」


 やはり自己矛盾だ。剣矢は不快な、吐き棄てるような溜息をついた。


「もう勘弁してくれ、和也。憲明の言う通り、今は作戦決行から、まだ日が変わってもいない。それに俺自身、あの注射のせいで疲れてる。しばらく休ませてくれ」

「なっ……!」


 ぐわっ、と和也の顔が真っ赤になるのが見えた。しかし剣矢は、何の防御策を取ることもしない。もう、煮るなり焼くなり好きにしてくれ。

 

 和也が拳を振り上げる。憲明が勢いよく立ち上がる。だが、和也の手首を掴もうと伸ばされた憲明の手は、何もない空間を掴み込んだ。


 意外に思った剣矢がそちらを見遣ると、和也は俯き、立ったままぶるぶる震えていた。

 その手は、爪が掌に食い込むほどに握り締められ、唇もまた、出血せんばかりに噛み締められていた。


「……知ってる……。僕は、僕は知ってるんだ! 葉月は、葉月は本当は、け、剣矢のことが好きなんだって! でも、それでも僕は……。くっ!」


 それだけ言って、和也は脱兎のごとく駆け出し、自室に籠ってしまった。


「なあ、剣矢」

「ん?」

「俺たち、一体誰と戦ってるんだろうな?」


『俺に訊くなよ』――そんな野暮な返答ができるほど、剣矢の心は図太くなかった。


         ※


 翌日明朝。

 ピピピピッ、という電子音で、剣矢は目を覚ました。

 昨夜はいろいろあったが、それでも熟睡できるだけの時間はあった。薄い日光が、カーテンの隙間から差し込んでくる。


 枕元に置かれた携帯端末を手に取ると、ドクからの着信だった。


「はい、剣矢です」

《単刀直入に話す。君たち宛に挑戦状が届いた》

「挑戦状?」


 その言葉に、剣矢はすぐさま覚醒した。何をドクに問うておくべきか、頭を整理する。しかしそれが完了するより早く、ドクは語り出した。


《敵は我々の情報網に割り込んできた。もしこの誘いに乗らなければ、我々の存在を世間に暴露すると喚いている》

「誰なんですか、その相手は?」

《錐山尚矢、君の父上だ》


 どごん、と胸部が凄まじい勢いで圧迫されたかのような感覚。心臓が引き抜かれてしまったかのようだ。


「……俺たちを打ち負かす狙いがあるとして、その目的は?」

《大方の見当はついている。だが直接話した方が早いだろう。今日の午前十時に、君の通信端末宛に情報を流すそうだ。他の皆に聞かせるのは自由だが、警察に知らせるのは厳禁としている》


 となると、その時になってから敵の勢力や狙いを尋ねるのが妥当だろう。


「了解しました。皆もその頃には起きているでしょうから、会議室で作戦会議に入ります」

《よろしく頼む》


 そうして通信は切れた。


         ※


「……というわけだ。皆で情報を訊き出して、できるだけ有利に戦えるよう、策を練った方がいいと思う」

「なるほどな」


 何故か朝食に出てきた青椒肉絲の器を鳴らしながら、憲明が腕を組んだ。その目をちらりと横に遣ると、葉月も素直に頷いた。問題は――。


「おい、和也。聞いてるのか」

「うん。敵は剣矢のお父さんなんだろ? そしてそれ以外は詳細不明。合ってるよね」


 剣矢は素直に感心した。昨夜の謂わば『修羅場』を乗り越えてなお、和也の頭は冴えている。まあ、『ロクな情報がない』という情報しかなかったわけだが。

 しかし、明瞭な和也の返答には、憲明も目を丸くした。


「あ、ああ、そうだ。その通りだ」

「よし、皆、午前九時五十分に第一会議室に集合。通信相手は、敵になる男だ。注意してかかれ」


 葉月のまとめに、三者三様で了解の意を表す男組。こうして、一時解散が為された。


         ※


 剣矢が会議室に入ったのは、午前九時になるかならないかといったところだった。

 

 葉月は、どこからか情報を得られないか、クラッキング作業に勤しんでいる。

 憲明は、地下二階の射撃訓練場で、動く的を相手に格闘中。

 和也は何をしているのか分からない。きっとオンラインゲームを、オフラインにして一人でNPC狩りでもやっているのだろう。

 大っぴらにオンラインモードになどしたら、このアジトの情報が流出しかねない。


 正面に配された立体ディスプレイを見つめながら、剣矢はポケットに突っ込んだ携帯端末を握り締めた。


 これから話すのは、自分の母親を殺した殺人鬼だ。自分の父親ではあるが、それ以前に人でなしだ。


「必ず、必ず仕留めてやる」


 ギリッ、と奥歯を鳴らす剣矢。


 それから先の一時間は、どろどろと過ぎ去った。気づけば十分経っていたり、もうじきかと思って確認したら五分しか経っていなかったりした。

 そうこうするうちに、一体何度溜息をついただろうか。数えてみるのも一興だったかな、と思った、まさにその時だった。


「この二十分で、ざっと五、六回といったところか」


 驚いて入り口を振り返ると、そこには葉月の姿があった。


「なんだ、葉月か……」

「ご挨拶だな、『なんだ』とは。誰の登場を期待していたんだ?」


 そう問われて、剣矢は返答に窮した。


「あたしたちはチームだ。お前が誰を好こうが嫌おうが構わない。だが、作戦に私情は持ち込まないようにな」

「わっ、分かってるさ、そんなことは」

「そいつは賢明だ」


 そう言って、葉月は背を向けて歩き出し、立体ディスプレイの調整作業に入った。

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