第11話
※
「これより、出撃する」
真っ青な晴天の下、葉月が宣言した。ちょうど翌日、軽い昼食を摂った後のことだ。
彼女の前には、剣矢、憲明、和也がいる。皆、緊張に顔をこわばらせている――というわけではない。
剣矢はパキポキと拳を鳴らしまくっているし、憲明は銃器の最終整備に余念がない。
極めつけは和也だ。露骨に残念というか遺憾というか、なんとも不愉快な顔をしている。
「剣矢、関節によくないぞ。憲明、整備はもういいだろう」
そうツッコミを入れる葉月。だが、和也に対してはノーコメントである。
「ちょっ! ちょっとさあ、葉月! 僕だけすっ飛ばさないでよ!」
「お前の言いたいことは分かってるよ。葉月と別な車両だから、ご機嫌斜めなんだろ」
「憲明ぃ~! 先に言わないでよぉ!」
そう。今回もまた、二台の乗用車で作戦地点に向かうのだ。
ただし、先に出発するのは剣矢と葉月。次が憲明と和也だ。
「あんまり気にするな、和也。往復で四、五十分ほどだ。大した時間じゃない」
「葉月までそんなこと言うなんて……。うぅ~……」
「おら、さっさと行こうぜ」
憲明が、ばん、と和也の背を叩く。その間に、剣矢と葉月は先行する車両に乗り込んでいた。
今回のチームの組分けには意味がある。目標建物への突入を速やかに行うためだ。
ダリ・マドゥーは、こそこそ隠れはしていない。高級ホテルの高層階、ワンフロアを借り切って、こともあろうに全面窓ガラスの部屋で寝食をしている。
だが、問題は護衛の人数の多さだ。その広いフロアに、十数名の部下が配されている。全員が自動小銃を手に、黒いサングラスの向こうから周囲を窺っている。交代時間もばらばらで、警備に隙がない。
その手配ですら、もしかしたら政府関係の人間が手を貸しているのではないか。
剣矢にはそう思えて仕方ない。怒りと興奮が、腹の底からふつふつと湧いてくる。
「大丈夫か、剣矢?」
ハンドルを握る葉月が、声をかけてくる。剣矢ははっとした。こういう時こそ、冷静であらねば。
「あたしたちが一階から突入すると同時に、憲明がホテルの配電盤を壊して火災警報を鳴らす。民間人が大方いなくなったところで、剣矢とあたしがマドゥー一味のいるフロアに突入。マドゥー本人を確認し次第、剣矢は戦闘体勢に移行。雑魚はあたしと、窓際を上ってきた憲明、それに和也が片付ける。これでいいな?」
「ああ」
剣矢はやや辟易していた。この一連の確認は、葉月が既に五回は行っている。今ので六回目だ。
だが、そうして耳に刷り込まれることで、身体が自然に動くようになる――それはままあることだ。
今回の、耳にタコができそうな確認作業も意味がないわけではあるまい。
そうこうするうちに、葉月はホテルの地下駐車場に車を滑り込ませた。停車し、監視カメラの死角であることを確認してから、剣矢と揃って拳銃と自動小銃に初弾を装填し、セーフティを解除する。もちろん、イヤホンも装備。
するとまさにそのタイミングで、憲明から通信が入った。
《こちら憲明。配電盤を破壊する》
「了解、やってくれ」
葉月の僅かに緊張のこもった声がして数秒後。ヴーン、ヴーンという火災警報が響き始めた。
「何だ? 火事か?」
「お客様、落ち着いてください!」
「落ち着いていられるか! 出口は? 非常口はどこだ!」
案の定、パニックになった。押し合いへし合いをする大人たちの間を、剣矢と葉月はするりと駆け抜けていく。
「こちら葉月、和也、高層階の状況は?」
《護衛の連中が武装の確認作業に入った! ただの火事じゃないことは把握してるみたいだ!》
「了解。和也、そのビルの屋上の風速は大したことはないな? そのまま監視を続けてくれ」
《葉月、もう撃っちゃってもいいんじゃない? 敵は早めに減らしておいた方が――》
「駄目だ」
目の前の太った男性客を避けながら、葉月は即答。
「和也、お前の存在はギリギリまで悟られたくないんだ。狙撃手だからな。何度も説明しただろう?」
《……はぁい》
わがままな子供が上げるような、情けない返答。
こんな時にまで私情、というより慕情を持ち込む和也を、剣矢は怒鳴りつけたくなった。だが、無事帰還するまで怒鳴るのはお預けだ。
すると今度は、もう一人の別動隊から声が入った。
《こちら憲明》
「こちら葉月。状況は?」
《和也は予定の射撃ポイントに置いてきた。俺はこのホテルの、屋外の窓を清掃するためのゴンドラに乗ったところだ。葉月と剣矢の突入に合わせて、俺は窓を割って突撃する》
「了解」
こちらは作戦通りらしい。剣矢はほっと息をついて、葉月に続いて階段を駆け上がった。
途中、スプリンクラーが作動したが、気にはしなかった。むしろ好都合だ。本当の火事だと思わせることができるかもしれない。
だがそれは、マドゥー一味にとっても好都合な事象だった。
《葉月! 葉月!》
「どうした、和也? 突入直前だぞ」
《スプリンクラーの降水で、フロアが見渡せない! 何とか止めてくれ!》
「了解。憲明、聞こえているな?」
《ああ。十五秒ほど待て》
嫌に長い十五秒を経て、降水は止まった。しかし、はっと息を飲む気配が、イヤホンから聞こえてくる。
「和也、何があった?」
《マドゥーがいない!》
「は、はあっ?」
素っ頓狂な声を上げたのは剣矢である。せっかくここまで来たのに、標的が姿を消しただと? 冗談じゃない。
「待て、剣矢! 単独で突入するのは危険だ!」
ぐいっと腕を葉月に引かれ、正気に戻る剣矢。拳銃を抜き、扉のそばで身構える。
《マドゥーの部下たちはそこにいる。けど、当の本人が見当たらない! 逃げ出したのかも――》
《それはない》
即座に否定したのは憲明だ。
《ここからもフロア全体が見渡せるが、ここから脱出した人影はなかった。マドゥーはどこかに潜んでいるぞ》
その言葉に、剣矢は懐から注射器を抜いた。が、葉月がそれを制した。
「弾薬はこちらも十分ある。剣矢、お前のことはあたしたちが守るから、お前はマドゥーのことだけを考えているんだ」
真剣な、しかしどこか安堵感を覚えさせるような、不思議な瞳で葉月は言った。
「憲明、カウントダウンだ。あたしとお前で最初に突入し、和也に援護させる。これでいいな?」
《了解。秒数は任せる》
「では……。十、九、八、七――」
《――四、三、二、一、零》
俺は勢いよく、脇から観音扉のドアを蹴り開けた。すぐに顔を逸らす。踏み込んだ葉月が、音響閃光手榴弾を投げつけたからだ。
バン、という軽い音と共に、真っ白な光が溢れ出す。既にコンタクトレンズ式の遮光版と耳栓を装備していた剣矢たちは、眼前を腕で覆った敵に対し、容赦なく引き金を引いた。
問題は、相手の身体のどこを狙うか、だった。本来なら、胸に二発、頭部に一発といきたいところである。だが、敵も防弾ベストを装備しているだろうし、閃光を防ぐべく腕を頭部に掲げている。
さて、どうしたものか。
葉月は軽く俺の手を引いて、ドアのそばにあるソファに身を潜めさせた。
「和也、そこから敵を狙撃できるか?」
《モチのロン! やっと僕の実力を――》
「いいから撃て! そのための対戦車ライフルだろう!」
そう。今回の作戦で和也が携行したのは、いつもの狙撃銃ではなく、高威力の対戦車ライフルだ。少なくとも、対人兵器ではない。
「憲明、ゴンドラ内で伏せろ! 和也が銃撃を開始する!」
《了解!》
憲明がそう言い終えるや否や、真っ赤な花弁がフロアに散った。その正体は、敵の鮮血と臓物と骨格、その他諸々である。
ヘッドセットからは、ガキィン、という重々しい金属音が連続して聞こえてくる。和也の対戦車ライフルの発砲音だ。それより若干早く、一人、また一人と肉塊に変わっていく敵のボディガード。
対戦車ライフルの弾速は、音速を優に超える。無論、防弾ベストを貫通するなど造作もない。
《こちら和也、弾倉を交換する》
「了解。憲明、敵の背後から攻め入ってくれ。剣矢はあたしの援護を」
《了解》
「了解」
憲明と俺の了解の意を確認した葉月は、ソファの背もたれに手をついて乗り越え、銃撃を開始した。使っているのは自動小銃だ。パタタタッ、パタタタッ、と短く連射し、和也が撃ち漏らした敵を的確に仕留めていく。
剣矢は背後から葉月を観察し、援護する。憲明は持参した大口径散弾銃で窓ガラスを割り、フロアに乗り込んできた。その気配に気づいた時には、敵は腹部に銃口を突き付けられ、次の瞬間には大穴を空けられていた。
ガラス片を避けつつ、わざと転倒するようにして、憲明はズドン、ズドンと弾丸を撃ち込んでいく。
そうして、フロアは剣矢たち四人によって制圧されたかに思われた。
頭上から手榴弾がまとめてごろり、と投下されるまでは。
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