第10話

「こいつは七年前の十二月、展望台の爆弾テロを首謀した人物だ」


 淡々と葉月が説明する。


「多数の死傷者を出した、国際指名手配中の第一級テロリストだ。今回我々は、ドクが剣矢から入手した情報に基づいてこの男のアジトを襲撃し、部下諸共殲滅する。もちろん、その前には剣矢に吸血をしてもらう必要があるが」


 やや気遣わし気な葉月に、剣矢は仏頂面で『了解』とだけ答えた。

 やっと、父親に繋がる敵が見つかったのだ。コイツから情報を得ない手はない。

 剣矢は自分の背後から、ぶわり、と熱気が立ち上るような気配を覚えた。殺気を伴う闘争衝動だ。


 ダリ・マドゥー――必ず情報を収集し、その後でじっくり苦しめながら殺してやる。


「ところで剣矢、どうして映像を一時停止したの? 何か映ってるのかい?」


 剣矢の袖を引きながら、和也が問うてくる。

 ああ、そうか。皆には知らせていなかったのだな。そう呟いて、剣矢は自らの愚かさを自覚しつつ、シャツを脱いだ。


「あっ、おい剣矢⁉」


 葉月が真っ赤になって、言葉で引き留めようとする。だが、剣矢は一向に気にしない。

 葉月のそばでは、エレナが両目を手で塞いでいた。


 しかし、剣矢が脱いだのは、上着のシャツだけである。黒のタンクトップを纏った上半身から、ずいっと右腕を差し出した。


「皆、見てくれ」


 その言葉に、ようやく葉月は冷静さを取り戻した。エレナも、恐る恐るといった風で手をどかす。


「これが、俺の正体だ」


 剣矢の、適度に鍛えられた上腕二頭筋。その表皮に、入れ墨があった。『02』と。


「あっ、これって……」

「そうだ和也、ダリ・マドゥーと俺は、どうやら同じ実験の非検体になっていたらしい」


『同じ』とはこの場合、人体の一時的強化、言わばリミッターを解除する術を会得させられたことを意味する。


「マドゥーの腕にもあるだろう、同じ字体の入れ墨が。あいつは『01』だけどな」

「た、確かに……」


 ディスプレイを振り返り、頷く葉月。剣矢のそばでは、憲明が長い溜息をついている。


「この画像が撮影されたのはいつだ、葉月?」

「えっと、先週の中頃だ」

「それでこの入れ墨が消されてない、ってことは、こいつはまだ、俺のような特殊能力を使える『人体戦略兵器』ってことだ」

「じ、人体、戦略兵器……」


 その言葉におぞましさを覚えたのか、静かに和也が呟く。


「つまり、マドゥーの相手はお前でなければ務まらない、というわけだな? 剣矢」


 厳しい目つきの葉月に、剣矢はゆっくりと頷いた。


「俺はコイツの相手をするために、体力を温存しなけりゃならない。皆の援護が必要だ」


 剣矢は皆を見渡した。葉月、憲明、和也、そしてエレナ。


「エレナ、ドクに頼んで、ダリ・マドゥー一味の所在地を明らかにしてくれ。できるだけ早い方がいい。皆は銃器の点検を頼む」

「お前はどうする気だ、剣矢?」

「エレナを寺まで送りながら、ドクから直接情報を得てくる。葉月、皆を待機させておいてもらえるか?」

「おい、作戦司令官はあたしだぞ」


 ギン、と切れ味の鋭い目で、葉月は剣矢を睨んだ。が、剣矢はそれに臆することなく、背を向けてしまった。


「さ、行くぞ。エレナ、俺が車で寺まで送る」


 するとエレナは、ジト目の下で微かに赤くなりながら、こくこくと頷いた。


         ※


 現在、順当に人生を歩んでいれば、剣矢は高校二年生である。当然、車の運転などできない。だが、多少は荒い運転にも耐え得るよう、皆ドクに訓練されている。憲明が下山時、見事なテクニックを披露したように。

 もちろん、偽装運転免許証も肌身離さず携帯している。


 剣矢は自らが運転席に乗り、助手席をエレナに勧めた。


「ちっと暑いな。冷房入れるから、少し待っててくれ」


 とは言ってみたものの、エレナは気に留めず、ドアをスライドさせて乗り込んだ。

 早く情報解析を行い、皆の――いや、剣矢の役に立ちたいのだろう。

 まあ、そこまで察せられるほど、剣矢は繊細ではなかったが。


「よし、じゃあ、行くか」


 運転席に身体を滑り込ませ、剣矢は車を出発させた。


 海沿いの幹線道路を走行中、エレナの視線に気づき、剣矢は窓を開けた。エレナはぱっと身を引く。


「大丈夫か? あんまり暑いんで、お前が熱中症にでもなったら困ると思ってな」

「……」


 エレナは無言。話せないのだから当然である。だが、言葉を発しないのには、もう一つの理由があった。


「どうだ、エレナ? 綺麗だろう」


 我が事のように、剣矢が胸を張る。

 それはやや高慢だが、なまじ剣矢に非があるわけではない。彼はあまり地上に出る機会のないエレナに、せっかくだからと夕日を見せてやりたかったのだ。


 無論、返答はない。だが、剣矢にはそれで十分だった。

 エレナは窓の淵に手をかけ、そっと顔を出して、その長い銀髪を風に晒している。

 ちらりとそちらを見遣って、剣矢はその風景を、純粋に美しいと思った。


         ※


 エレナが口を利けなくなったのは、彼女の両親が、眼前でテロリストに射殺されたからだ。その後天的な障害によるものだと、剣矢は聞いている。


 エレナの両親は優秀な科学者で、日本の研究機関とも繋がりがあった。しかし、たまたま研究施設を訪れたその日に、反政府系勢力(を装った政府下部暴力組織)の襲撃を受け、母親は即死、父親はエレナを庇って重傷を負った。


「エレナ……。お前は、人の生きる道を、より広く切り拓くんだ……。そのために、我々の犠牲を……」


『無駄にしないでくれ』。父親の口がそう動いた直後、病室で父親は息を引き取った。そして、『お父さん!』と叫ぼうとしたときには、エレナの声は完全に失われていた。


 その後、エレナが何をどう考えたのかは、剣矢には分からない。だが、エレナは頭がいいし、論理的だ。

 病理学が専門だったエレナの両親。その両親が殺され、犯人の黒幕が不確かともなれば、まずはその黒幕を排除することを考えるかもしれない。むしろ、その方が自然だ。


 何たる皮肉。何たる宿命。剣矢は頭を抱えたくなったが、辛うじてハンドルを握り続けた。


「なあ、エレナ」


 ぴょこん、と軽くシートの上で跳ねてから、エレナはじっと剣矢の横顔を見つめた。

 

「辛いことがあったら、いつでも言うんだぞ。ドクで物足りない時は、俺が話し相手になってやる」


 そう言う剣矢を、エレナは目を見開き、まじまじと見つめた。


「なっ、何だ? 俺、変なこと言ったか?」


 慌ててぶんぶんとかぶりを振るエレナ。


「ああ、そうか。もし男が相手で話しづらかったら、葉月に頼んでも――」


 と言いかけて、剣矢は腕を止めた。危うく対向車線にはみ出るところだった。

 それほど強く、エレナが剣矢の腕を握り締めていたのだ。


 今は運転中だぞ、と注意しようとした剣矢だが、なかなか上手い言葉が見つからない。

 何故なら、エレナは切実な思いで、剣矢に縋り付いていたからだ。それほどエレナが真剣であることに気づくには、やはり剣矢は幼稚すぎたかもしれないが。


         ※


 その日の夜。時計が午後九時を回った頃だった。


「ただいまーっと」


 アジトに帰った剣矢は、使用した車のナンバープレートの交換を終え、誰もいない廊下を通ってダイニングへと足を踏み入れた。


「やあ、剣矢」

「お、おう」


 そこにいたのは葉月である。


「あれ? 憲明と和也は?」

「二人共、銃器の整備中」

「ああ……」


 すぐに剣矢は納得した。

 剣矢と葉月の携行する火器は、拳銃と小振りな自動小銃である。整備は簡単ではないが、憲明の重火器、和也の狙撃銃に比べれば朝飯前だ。

 葉月は二人の邪魔をできず、かと言って自室に籠ってもいられなかったのだろう、ダイニングのテーブル椅子に腰を下ろしていた。


「喉が渇いただろう? 何を飲む?」

「じゃあ、緑茶を頼む」


 すると、葉月はくつくつと笑った。


「何だよ?」

「いや? 渋い趣味をお持ちのようだからな。少しばかり、意表を突かれた」

「はあ……?」


 後ろ手に放り投げられた五百ミリのペットボトルを、片手でキャッチする剣矢。


「ところで、情報は得られたのか?」


 自分の烏龍茶をテーブルに置きながら、葉月は問うた。


「ああ。だが、今日はもう遅いだろう。明日の朝に四人で会議をして、午後にでも乗り込もう」

「了解。珍しく気配りができるじゃないか、剣矢」

「そうか? まあ、エレナの身の上を考えていたら、何だか……考えさせられてな」


 その時、より正確には『エレナ』の名が剣矢の口から出た瞬間、微かに葉月の口元が引き攣った。


「そう、か。お前も早く休めよ、剣矢」


 そう言い放ち、葉月は自室へと引っ込んだ。そそくさと退散する彼女を前に、剣矢は何事かと首を捻った。


「なんなんだ、アイツ?」

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