第9話

 全く以て酷い話だ。憲明は、厳格ながらも愛情あふれる家庭に育った。それなのに、その両親が金のために殺された。少なくとも、本人はそう確信している。


「はあ……」


 剣矢が露骨な溜息をつき、憲明に視線を戻したその時。

 ぞっと冷たいものが、剣矢の背筋を流れ落ちた。

 その原因は、憲明の目だ。燃えているのでも熱を帯びているのでもない、冷え切った復讐心。そんなものが、憲明の瞳に宿っていたのだ。


 そこに飛び込んだら、業火による火傷ではなく、凍傷で全身が爛れてしまう。そう思わせる何かがあった。


「どうした、剣矢?」

「え? ああ、いや……」


 まさか『お前の目つきが怖いから目を逸らしたのだ』とは言えない。剣矢はしばし、沈黙を貫くことにした。


         ※


「あれ? エレナじゃないか」


 剣矢は素っ頓狂な声を上げた。アジトの裏口で、葉月と和也を待っていた時のことだ。ちょうど時刻は昼食時を回り、憲明と二人でカップラーメンでもすすろうかと思っていたところだった。


 剣矢たちの言う『アジト』とは、表向きは南関東の海上保安庁の下部組織である。だが実際は、特に何の特殊設備もない建物だ。山林にある作戦司令部にはなかなか近づけないため、剣矢たちが使っている根城に過ぎない。

 銃火器と食料の備蓄、それに防空壕はしっかり整備されてはいるが、それ以上でもそれ以下でもない。

 内外コンクリート剥き出しの、素っ気ない平屋の建物だ。


 剣矢がエレナの登場に頭を捻っていると、葉月が解説してくれた。


「あたしたちがドクのところで待機中している間に、剣矢が手に入れてくれた情報の解析が済んだんだ。データにプロテクトが仕掛けてあるから、その解除にとエレナに同行してもらった」

「そうか、有難い」


 剣矢が警戒を解くと、エレナは俯いて、提げてきたアタッシュケースをぎゅっと握り込んだ。緊張しているのだろうか?

 逆に、葉月は少しばかりご機嫌斜めの様子である。こればかりは、朴念仁と言われた剣矢には事情が分からない。


「ねえねえ皆! それよりさあ、せっかくエレナが来てくれたんだから、昼ご飯ご馳走になろうよ!」


 ぎこちない場の空気を見事に粉砕したのは和也である。


「さあ、エレナ! ここのキッチン、好きに使っていいからね!」

「おい和也、お前、エレナの飯が食いたいがために、無理やり連れてきたんじゃねえだろうな?」


 憲明がドスを効かせようとするが、今の和也は『固いこと言わないでよ!』と言って受け付けない。剣矢と葉月は目を合わせ、互いに肩を竦めて見せた。


 そう。エレナの料理の腕前はピカイチなのである。憲明もなかなかのものだが、エレナの方が、特に洋食においては圧倒的に美味い料理を作ることができる。


「ほらエレナ、材料はね、ここと、冷蔵庫と……ああ、あと棚の下に調味料もあるから!」

「和也、勝手に人の『職場』をひっくり返すなよ」

「ま、いいじゃん! こんな機会、滅多にないんだからさ!」


 ついには憲明もお手上げ状態になったが、取り敢えずエレナの『補佐』として、調理室への入室を許された。何故和也が主導権を握っているのかは、結局分からずじまいである。


         ※


 厚切りステーキ。山盛りパスタ。海鮮丼に、ルーから作ったカレー。


「な、何だこりゃ……」

「ふっふーん!」


 呆然とする剣矢の前で、何故か何もしていない和也が胸を張っている。

 すると、その後頭部に平手打ちが飛んだ。


「いたっ! 何するんだよ、憲明!」

「てめえは何もしてねえだろ。皆、エレナに感謝だ。一口たりとも残すなよ」

「お、おう……」

「わ、分かった……」


 剣矢は葉月と並んで呆然とした。

 エレナの代わりに、憲明と和也が大皿をどんどんダイニングに運び込んでくる。


「よーし、皆、席について! 手を合わせて、いただきまーす!」

「……」

「あれ? 皆、食べないの?」

「食うさ。お前が一人で馬鹿やってるのが面白くてな」

「何だよ憲明ぃ~」


 こうして、天国なのか地獄なのか、あるいはその両方なのか分からない、大食い大会が幕を開けた。


 それから約一時間後。


「うっく……」

「た、食べ過ぎた……」

「流石に俺もな……」

「エレナ、作りすぎ……」


 剣矢、葉月、憲明、そして和也がそれぞれに呻き声を上げる。その中で、他者と異なる動きを取ったのは憲明だった。先ほどと同様に、和也の頭をすぱーん、と引っ叩いたのだ。


「うげっ! 何するんだ、憲明! ただでさえ戻しそうなのに……」

「作った本人に失礼すぎるだろ、馬鹿野郎!」


 憲明の指摘は正しかった。エレナもだいぶ食べてはいたのだが、流石に高校生並みに、とはいかない。テーブルの隅で、俯いている。

 ジト目がデフォルトの彼女にとって、これが申し訳なさの表れなのか否かは分からない。しかし、少なからず作りすぎの責任を感じているのは確かなようだ。


 それを察した剣矢は、ふうっ、と息をついて、エレナを援護することにした。


「憲明、お前にだって責任はあるぞ。エレナと一緒にキッチンにいたのはお前だろう?」

「ん、ああ、ま、そうだな」


 憲明は飄々としたものである。


「だが――いや、止めよう。自分たちの食欲と、エレナの腕前を見込んで、料理を作らせすぎたのは俺の責任だ。皆、そしてエレナ、すまなかった」


 テーブルに両手をついて、頭を深く下げる。そんな憲明の姿が意外だったのか、和也は左右を見渡し、『えっ? ええっ?』などと素っ頓狂な声を上げている。


 この奇妙な茶番劇に終止符を打ったのは、葉月だった。がたん、と勢いよく立ち上がり、視線を全員に走らせる。


「さて皆、栄養補給も済んだところで、少しばかり休息を設ける。午後三時に、地下の第一会議室に集合。遅刻厳禁だ。エレナ、何かあったら遠慮なく言ってくれ。人を使っていい」


 こくん、と頷くエレナ。

 剣矢は時計を見遣った。もうじき午後二時になるところだ。一時間で食休みを果たせということか。


「頭はしゃきっとさせておかないとな……」


 そう呟いて、剣矢は顔を洗うべく洗面所へと向かった。


         ※


 一時間後、アジト地下一階・第一会議室。

 剣矢が足を踏み入れると、既にエレナが立体プロジェクターを起動しているところだった。


「よし、これで皆揃ったな」


 部屋の奥へ目を遣ると、葉月、憲明、和也は既に着席していた。


「すまない、待たせたか?」

「いや、集合の十五分前だ。問題ない」


 すると葉月は、剣矢と立ち替わるようにプロジェクターの方へと歩き、エレナから立体ボードを受け取った。どうやらそれに、今回の情報の詳細が書かれているらしい。

 エレナは口が利けないので、その代役というわけだ。


「よし、エレナ。始めてくれ」


 葉月の言葉に、エレナはこくんと頷いて、プロジェクターを起動ボタンを押し込んだ。

 すると唐突に、ある男の肩から上が大写しになった。


「どわっ! 何なんだよ、コイツ!」


 喚く和也。いつもならツッコミを入れる憲明も、真剣さ半分、驚き半分で映像に見入っている。


「この男の名前はダリ・マドゥー。本名かどうかは不明。だが、南米系のテロリストらしい」

「南米系……」


 剣矢は小さく呟いた。

 まさか、コイツが首謀者なのか?


 スクリーン上のマドゥーは、まるで西部劇から出てきた陽気な荒くれ者だった。

 茶褐色に染まった肌に、テンガロンハット。瞳は真っ青で、無精髭の生えた顎の上では太い葉巻を噛み締めている。美女を侍らせてでもいるのか、両肩を大きく開いていた。


 一発で、気に食わない奴だと判断できた。だが、それ以上に気になることが、剣矢にはあった。


「エレナ、一時停止。五秒後戻り」


 素早くエレナが対応し、映像を操作する。そして、剣矢は目を凝らした。

 無造作に切られたシャツの内側から、たくさんのタトゥーが覗いている。しかし、その中に確かに見えた。『01』の文字が。


 ああ、そうか。『こいつも』だったのか。


「あれ? け、剣矢、どうかしたの?」

「気にするな和也、後で話す。続けてくれ、エレナ」


 自分が思わず立ち上がっていることに気づくのに、剣矢にはしばしの時間が必要だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る