第8話
ドクの居城であり剣矢たちの情報中枢である地下構造物は、この街の沿岸部にほど近い山の上にある。少なくとも、出入口となる寺院は山の頂上にあるのだ。
無論、他者を寄せ付けないように、道路は舗装されていない。崖際にガードレールすらない。
「憲明、流石だな」
「何がだ?」
「こんな荒れた道を、時速七十キロで下りるってのは、相当度胸が要るんじゃないか?」
「そうか? 慣れればこんなもんよ。人殺しと一緒だ」
最後の一言が自分への当てつけだと気づいた剣矢は、ああそうかい、と応じるに留めた。憲明だって、多くの命を奪っているが。
「それにしても、ドクはどうやって車を用意しているんだ? 銃火器もそうだけどよ。他にも、偽装免許証とか、非常用食料とか」
「そりゃあ憲明、昔のよしみで提供してくれる奴がいるんじゃないか?」
「そうか。でも提供と言えば、お前の打つ神経増強剤も、どうやって手に入れてるんだろうな」
「ああ、それなら――」
剣矢は簡潔に答えた。ドクが自身で開発し、量産しているのだと。
「ほう? あの地下施設だけでそんなことまでできるのか?」
「そうらしい、としか言いようがない。ドクは素性が知れないからな」
「ふむ」
そんな話をしている間に、車は緩やかに舗装された一般道へ出た。緩やかなカーブを描いて滑り出る。
まともに日の下に晒されると、やはり今日も暑い。外気は四十度を超え、冷房だけでは剣矢と憲明の発汗を抑えきれない。
暑さを紛らわそうと思ったのか、憲明はこんなことを言い出した。
「そういえば――葉月から話は聞いたか?」
「話?」
「ああ。近々お前と話をしたい、なんて言ってたからな」
「そういうことか」
剣矢はポン、と両手を打ち合わせた。昨日の待ち伏せは、そういうことだったのか。何があったのかは、疲弊していてあまり覚えていないが。
「ま、何かあったら言ってくれや。俺でよければ、剣矢と葉月の仲裁ができる。和也には到底無理だろうからな」
「ああ、感謝するよ、憲明」
感謝ついでに訊いておくか。剣矢はそう思って、ちらりと憲明の横顔を窺った。
「憲明、確かお前のご両親は――」
「警官だった。捜査一課のエリートだ。それなのに、まさかあんなにあっさり殺されちまうとはな」
「あっ、悪い。すまない。ごめん」
突然謝罪の弁を連発しだした剣矢の様子が面白かったのか、憲明は肩を揺すって笑った。
「まあいいさ。俺だって、その復讐のために戦ってるんだからな。剣矢、お前が自身を否定することは、俺のことまで否定するのと同じだ。止めとけ」
「ああ……」
「まだアジトまで時間がかかる。乗りかかった船だ、少し話を聞いてくれるか?」
「その、憲明さえよければ」
「そうだな――」
髭のない顎に手を遣りながら、憲明は語り出した。自分が入手した情報を。両親の死に様を。
※
日本が銃社会化して、既に二十年。憲明の両親が殉職したのは、ちょうど五年前の、今日のように暑苦しい日のことだった。
八月某日、未明。
まず憲明に事態を知らせたのは、ネットのニュース番組だった。
《番組の途中ですが、速報、速報が入りました。沿岸警備中の警官隊が指定暴力団と遭遇、銃撃戦が発生しております。詳細は追ってお伝えいたします。さて、次のニュースです――》
気づいた時、憲明はキッチンテーブルを拳で打って、椅子を蹴倒すようにして立ち上がっていた。
まさか、昨日の両親の会話が現実になるとは思っていなかった。それゆえ、なまじ急に知らされるよりも、信じ難いという気持ちは強かった。
「明日の周回ルートは危険よ。私たちにも被害が出るかも」
「命令だ、従わないわけにはいかないだろう。そもそも、こうやって自宅で話をしていること自体が問題なんだ。もし憲明に聞かれていたらどうする?」
「それはそうだけれど、あの子ももう六年生……来年は中学生よ? 私たちがどれほど危険な仕事に就いているのか、分かってもいい頃だわ」
「僕や君が死んだら元も子もないんだぞ? 最近の憲明は、随分落ち着きがないように見えるしな」
「……それもそうね。ええ、そうかもしれないわ。話は止めて、今日はもう休みましょう」
というのが、憲明が聞いてしまった両親の最後の会話だ。
翌朝、憲明宛に簡素な置手紙が残され、両親は消えた。しかし憲明には、物理的にも精神的にもそんな覚悟はできていなかった。
ニュースは緊急報道番組に切り替わった。バタバタという報道ヘリの回転翼の音が響く中、ヘルメットとヘッドセットを装備したリポーターが、必死に声を上げていた。
《こちら現場上空です! 御覧ください、沿岸の工場跡地に、閃光が飛び交っています! 銃撃です、銃撃戦が行われています! 県警のドローン部隊ももうじき到着するという情報が――》
憲明はその立体映像に見入った。そして直感した。この銃火の中に、両親がいる。
「逃げて! 父さん、母さん、二人共逃げて!」
叫んだところで意味はない。だが、幼い頃の憲明にできるのは、精々がこの程度だった。
その時、はっとした。昨日、あの深刻な話をしている最中の両親の間に割って入っていれば、二人を引き留められたかもしれない。危険に晒さずにできたかもしれない。
しかし、賽は既に投げられた。誰に弾が当たり、誰が命を落とすのか。それは、終わってみなければ誰にも分からないことだった。
憲明は、まるで化石化したかのようにディスプレイに見入っていた。その画面の中で、曳光弾が飛び交い、爆発が起こり、県警のドローンが催涙ガスを噴出させている。
その過程を見ている間、一体自分は何回瞬きをしただろうか? それが分からなくなるほど、憲明は画面を注視していた。
気がついた時、すなわち自分用の携帯端末に通信が入った瞬間、憲明はようやく夜が明け、戦闘が終了していることに気づいた。
のそのそとポケットから端末を取り出す。そこに表示されていたのは、両親の同僚の名前だった。
何故、俺に連絡する? 普通は警察関係者以外の人間には、情報漏洩の問題から連絡などしないのが普通だ。
それでも、その刑事の端末番号が登録されていたのは、彼がそれだけ憲明の両親と親しかったからだ。小さい頃から、憲明も遊んでもらった記憶がある。
しばしの間、憲明は呆然としていた。しかし、着信音は一向に鳴り止まない。
憲明は再びのっそりと、震える手で端末を耳に当てた。
《憲明くん? 憲明くんだね?》
「……はい」
《繋がってよかった、すぐに病院に来てほしい。パトカーを向かわせたから、外で待っていてくれ》
憲明は無言で通話を切った。嫌な予感しかしなかった。
病院に着くと、件の刑事がこちらに背を向けて立っていた。外科医と思しき男性と話をしている。
憲明が声をかけると、びくり、と肩を震わせ、がちがちと機械のように振り返った。自分で呼びつけておいて、何事か。
「や、やあ、憲明くん」
「両親の容態はどうなんですか」
憲明は、我ながら落ち着きのある声音だと思った。いや、心が冷え切ってしまって、そう聞こえただけか。
これで議論の余地はなくなった。そう言いたげな雰囲気で、外科医はそのまま一瞥もくれずに去っていった。
「両親の病室は? それとも、まだ手術中なんですか?」
すると、刑事は振り返って憲明と視線を合わせた。
「憲明くん、私はこれから、君をある場所へ連れていく。落ち着いて、気をしっかり持つんだ」
ああ、そういうことか。憲明は察した。
刑事の背中の向こうにあったのは、地下に直通するエレベーターだった。この先にあるのは、最早『あの部屋』しかあるまい。
リノリウムの床を、こつこつと音を立てて歩いていく。ゆっくり振り返る刑事の頭上の立体表示を、憲明は目を細めて見つめた。『遺体安置所』。
※
そして現在。
「ご両親の遺体は、そこに……?」
「そうだ。まあ、周囲の刑事や医師が見せてはくれなかったが。それだけ酷い状態だったんだろう」
剣矢は沈黙した。きっと自分の母親も、同じような状態だったのだ。父親は無事逃げおおせたようだが。
「この話、まだ続きがあるんだ」
「続き?」
剣矢が目だけを動かすと、憲明はハンドルを握ったまま頷いた。
「俺の両親が殉職した日、現場では武器の密売が行われていた。たくさんの火器があったんだ。本来なら、自衛隊の特殊部隊が突入して対応してもいいくらいの」
「そ、そりゃあ……」
「それを知っていながら、県警の高官共は見て見ぬふりをした。いや、許した。きっと、そっちに金が流れていたんだろう」
剣矢は溜息をついて、窓枠に肘を着いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます