第7話【第二章】
【第二章】
「どわはぁっ! はあっ! はあ……」
剣矢は勢いよく上体を起こした。
「おっと、大丈夫かね、剣矢くん?」
「はあ……。えっと、確か俺は……?」
「今日も日本国内で、麻薬の取引を潰してきたところだ。君は今、吸血行為によって得られた情報を私に引き渡した。今被っている、そのヘッドギアを通じてね」
ヘッドギア? 剣矢が頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、エレナがちょこちょこと近づいてきた。その場でヘルメット状のものを外す動作をする。
「ああ、そうか……。ちょうど二年前のことを思い出していたんだな……」
「君の父親が爆弾テロの首謀者だということを告げられた時の夢、かね?」
配線を接続し直しているドクの背に向け、剣矢は言葉を投げた。
「夢だなんて、そんな甘っちょろいもんじゃないですよ。自分で意識して、脳内再生していたんですから」
「それで頭を復讐心で埋め尽くし、脳をオーバーヒートさせて雑念を振り払う、か。君も難儀なルーティンにハマってしまったものだな」
「否定はしません」
シートに腰かけたままでいると、くいくいっと袖を引かれた。
エレナが、バケツを手に立っている。
「どうしたんだ、エレナ?」
そう問いかけながら、剣矢は思い出した。そう言えば、最初にヘッドギアを使った時、あまりの衝撃に嘔吐してしまったのだ。それだけで、精密機械の配線の一部が胃液で焼けてしまい、それなりの修理費がかかったと聞いている。
「大丈夫だ、もう慣れっこだよ」
そう言って、エレナの頭に手を載せてやる剣矢。エレナは再び頬を紅潮させ、振り返ってバケツを片付けに行った。
「おお、良いデータが回収できているようだ。明日の朝までには編集しておくから、剣矢くんも早く寝てしまうといい」
こちらに向き直り、横の壁を拳で叩くドク。
剣矢は了解の意と感謝の言葉を述べて、処置室を後にした。
※
俺は一体、何者なんだろう。
そんな問いかけを脳内でぐるぐる回しながら、剣矢は俯きがちに歩いていた。廊下を引き返し、左折して三番目の洋室だったか。自分が寝室として宛がわれたのは。
その指示に従って歩いていると、
「ちょ、ちょっとあんた!」
「うわっ!」
横合いから声をかけられ、びっくりして飛び退いた。
「なんだ、葉月か……」
「失礼ね、『なんだ』だなんて。あたしがいちゃ悪い?」
「いや、悪くはないけど。他人を驚かせるようなことするなよ、こっちは満身創痍で視野が狭まってるんだ」
「あっそ」
再び歩き出そうとした剣矢の肩を、葉月はぐいっと掴んで振り返らせた。
「おっと! 何なんだよ、さっきから!」
「それはこっちの台詞! あんたの部屋、ここなんでしょ?」
「あ」
剣矢はようやく気付いた。葉月は剣矢の部屋のドアに背中を預けていたのだ。自分に用事があるのかと尋ねようとしたが、止めた。当然だと言い返されるのがオチだ。
「ま、入れよ」
スライドドアの開閉ランプに手を翳し、剣矢はレディファーストを実践してみた。
天井の照明がぱちん、と点灯する。簡易ベッドとデスク、それに椅子が一脚。葉月は勝手知ったる様子で、さっさと椅子に腰かけた。
剣矢も覚束ない足取りながら、ベッドに座り込む。本当は大の字になりたかったのだが。
よいしょ、と足を組む葉月。
その時になって、剣矢はようやく葉月が風呂上りらしいことに気づいた。シャンプーの華やかな香りがふわり、と漂ってくるし、髪もポニーテールに纏めてはいない。
何より、パジャマ姿だ。別に露出が多いわけではないのだが、鎖骨のあたりが見えてしまって、剣矢は意外なほどドキリとした。
「それで、何だよ?」
自らの煩悩を振り払うように、剣矢は話を進めた。
すると今度は、葉月の方が口籠ってしまった。何が言いたいんだか。剣矢が部屋に戻るよう促そうとした、その時だった。
「あんた、正義の味方のつもりなの?」
「まさか」
剣矢は即答した。誰が正義の味方だって? 剣矢には、自分の復讐を果たすこと――父親を殺すこと以外に目標はない。どこに正義などあるものか。
「だから、あんな酷い殺し方をするの?」
「はあ?」
今度は、即答しそびれた。理由は二つ。
一つ目は、純粋に自分の仕留め方が『酷い』と評されたことに対して疑問が湧いたこと。
二つ目は、葉月が男口調でなくなっていることだ。戦闘時と作戦会議時以外、基本的には、葉月は女性口調なのだ。
剣矢は勝手ながら、それを気の弱さの表れだと思っている。強く出られる時には、葉月は女性口調などにはならない。
「で、どうなのよ?」
「おわっ⁉」
気づいた時には、葉月は剣矢の真ん前にいた。両手で剣矢の手の甲を押さえ込み、ずいっと顔を近づけてくる。
剣矢は先ほど、エレベーター内での壁ドンを食らったことを思い出した。一昔前の、刑事ドラマを思い出させる。
一つ大きく違うのは、刑事役である葉月の胸元が、犯人役である剣矢の眼前にあるということだ。
さして深くはないが、明確な谷間が剣矢の視界に飛び込んでくる。疲労とは違う意味で、剣矢はぐらり、と眩暈を覚えた。
と、次の瞬間。
「うわっ!」
「え? きゃあっ!」
仰向けに倒れ込んだ剣矢につられて、葉月も一緒に倒れてきた。
一つ幸いだったのは、剣矢が後頭部を壁に打たず、ベッドにのめりこんだこと。
一つ不幸だったのは、剣矢の顔面が葉月の胸に埋もれてしまったこと。
「むぐっ! もがっ! な、何だこれ、息が……」
「ちょっ、どこ触ってんのよ馬鹿! 離れなさいよ!」
剣矢の額を掌で押し付け、引き離そうとする葉月。その戦法は辛うじて上手くいき、被害は最小限度に留められた。
葉月はパジャマの襟元と裾を引っ張り、元に戻す。
剣矢はむせりながら、今のが何だったのかと思いつつ、周囲を見渡す。
「な、なあ、葉月、今俺窒息しかかってたんだが、お前、俺の首に絞め技でも掛けてたか?」
「……」
「は、葉月?」
「ずっと寝てろ、この朴念仁!」
「ごはっ!」
葉月の上段回し蹴りが、見事に剣矢の側頭部を捉え、剣矢はそのまま気絶してしまった。
「……ったくもう、どうしてあたしがこんな奴のこと……」
と呟きかけて、葉月は自分がとんでもない失言をしかけたことに気付いた。
かあああっ、と頭に血が上ってくる。
「エレナにばっかりいい顔して、知らないわよこのロリコン!」
結局、葉月のもたらした問いに、剣矢は答えられずじまいだった。
※
翌日、早朝。
「では、また情報が入ったら連絡する。エレナくんにも動いてもらうかもしれん。よろしく頼むよ」
ドクの言葉に、大きく頷いて見せるエレナ。
「それでは、解散! あたしと和也、剣矢と憲明は、それぞれ昨夜の車に乗車して下山! ナンバープレートの交換を忘れるなよ!」
「了解」
「へーい」
「分かったよ、葉月!」
三者三様の答え方をする男衆を前に、葉月は深い溜息をついた。まあ、仕事はきちんとこなしてくれるからいいのだけれど。
今皆がいるのは、地下構造物からエレベーターで上がってきた、半壊した寺院の前だ。その側面には、昨日乗ってきた普通乗用車が停めてある。
剣矢が回り込むと、大柄な憲明が手早くプレートを取り換えるところだった。
「憲明、何か手伝うか?」
「手伝える身体かよ、お前」
「え? ああ……」
言われてみれば、と剣矢は納得した。
人並みの言動は取れるが、ナンバープレートの交換や銃器の取り扱いといった、細かい仕事はまだできない。視界が滲んで、見えなくなってしまうのだ。これもあの注射の副作用である。せいぜいあと一、二時間我慢すれば何とかなるだろうが。
逆に疑問なのは、これだけ大柄な憲明が、どうしてこんな細かい手仕事をこなせるのか、ということ。
手先の器用さでいえば、もしかしたらチームメンバー内で一番かもしれない。
実戦で扱う兵器が多いということは、それだけ細かい整備ができるということに他ならない。
「器用で羨ましいな」
剣矢は思ったことを素直に口にした。すると憲明は肩を竦めながら、
「そいつはどうも」
と一言。素っ気ないが、まんざらでもない雰囲気。愛嬌がある、とでも言えばいいのか。
「さて、おーい葉月、こちらは出発準備完了だ。そっちはどうだ?」
「もう少し時間がかかる。お前と剣矢で、先にアジトに戻っていてくれ」
「了解だ」
剣矢の肩をぽん、と叩いて、憲明は運転席に身体を押し込んだ。
「悪い、剣矢。ダッシュボードからヘッドセットを取ってくれ」
「ああ」
「こちら憲明、発車する」
《了解。三十分後にこちらもアジトへ向かう。ルートは以前と同様で構わない》
「了解だ」
そうして、憲明はギアを操作して車を発車させた。
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