第4話

「まず、俺が注射を打った時の挙動については、皆分かってるよな」


 これには全員が、すぐさま頷いた。瞬発力、射撃精度、格闘戦技術の向上。


「で、副作用なんだが――」


 こんなことを仲間に語って聞かせる機会は、少なくとも剣矢本人にはなかった。が、整理しておかなければならない、という焦燥感が、彼の胸中に芽生えつつあった。


「一つは、性格が……あー、そうだな」

「嗜虐的になる、か?」


 端的な葉月の言葉に、剣矢はぎこちなく頷いた。

 過重暴行を働くのは、剣矢にとっても本意ではない。一方、こんな考え方もある。自分には憎しみを持ち、いや、それを通り越した無の境地で、悪党共を殺傷する権利がある、と。そしてそこには、義務もまた存在する、と。


 純粋に潰していくには、悪はその数が多すぎる。しかしより質の悪い、善の裏側にある悪であれば、まだ効果的な叩き方がある。

 それに、その悪を匿う善というのは、極めて社会性の高い存在だ。政府高官や地方の有力者、財政会の大物などなど。

 そいつら本人を叩けずとも、その手足として動いている下っ端を始末することはできる。


 ふと、剣矢は顔を上げた。我ながら饒舌に語りすぎたらしい。皆が目を丸くして、剣矢の顔を見つめている。


「ま、まあ、それが俺の認識だ」


 そう言うと、憲明が屈強な腕を厚い胸板の上で組み、長い溜息を零した。

 確か、憲明の戦う理由は『そのあたり』にあるんだったな。そう剣矢は思い出す。


「話を戻すぞ。俺が注射を打った時の、副作用の話だ」


 剣矢は、すとん、とエレベーターの内壁に背を預け、腕をだらんとぶら提げて見せた。


「戦闘可能時間は十分。これは俺の体内時計で測定できる。問題は、十分後のことだ」


『御覧の通りだよ』――そう言って、剣矢は自嘲的な笑みを浮かべる。


「身体に力が入らなくなる。内臓に異常はないが、骨格の動きを伴う筋肉、特に随意筋の消耗が激しい。もし戦闘中に十分過ぎたら、俺を見捨てて皆で逃げろ」

「ちょっと待て、剣矢。おかしいぞ」


 聞き捨てならぬ、と腕を伸ばしてきたのは葉月だ。ずいっと寄ってきた彼女によって、剣矢は逆壁ドン状態に陥る。

 和也は驚愕(と、もしかしたら嫉妬)で目を見開き、憲明はじっと事の推移を見守っている。


「剣矢、あたしたちはチームだ。お前が戦えなくなったら、お前の分も戦って援護する。そして救出する。自分だけ悲劇のヒーローぶるのは止めてくれ」

「葉月……」


 剣矢は葉月の瞳に、燃えるような情熱が秘められているのを感じ取った。


「二度と『自分を見捨てろ』なんて戯言を抜かすな。次はぶん殴るからな」

「分かった、分かったよ。俺が悪かった。戦闘員が四人から三人に減っちまったら、いろいろ不便だからな」


 単純にそういうわけではないんだが。葉月はそう続けたかったのだが、ここで切り上げることにした。変に誰かの肩を持つのは、チームリーダーとしてどうしたものかと思ったのだ。

 しかもその相手が剣矢となれば……。


「話は長くなったが、俺が残酷な性格になっちまうことと、十分でケリをつけなきゃならないこと。この二点は確認しておいてもらいたい。いいよな、皆?」


 葉月と和也が頷き、その横で、憲明は目だけを動かして了解の意を示した。


「よし。じゃあ、あとはドクに報告すればいいんだな」

「そうだ。でも剣矢、無理はするなよ」


 随分心配そうな葉月の様子に、何故か剣矢は笑い出しそうになった。顔の皮一枚で堪えたが、もしかしたら頬が歪に痙攣するのは目に入ってしまったかもしれない。


 再びリン、と軽やかな音が響かせ、エレベーターは到着を告げた。


         ※


「相変わらず綺麗好きだな、ドクは」


 憲明がぼやく。無理もない。エレベーターのドアの向こうには、先ほど目にした寺院からは想像もつかない、塵一つない清潔な空間が広がっていたのだ。


 やや広い板張りの廊下が、天井の蛍光灯に照らされて輝いている。両側は石壁だったり、襖があったり、障子で仕切られていたりした。


 だが、そのどの部屋にも『空き』というものがない。ここは謂わば、剣矢たちチームの情報統括センターにして作戦司令本部なのだ。襖を一枚開ければ、そこにはスパコン並みのスペックの筐体がずらりと並んでいる。


「ドク、いませんか? ドク?」


 葉月が手でメガホンを作って声を上げる。

 電子機器の熱暴走を防ぐべく、冷房がガンガンに利かされているので、早く人肌に馴染む程度の気温の部屋に入りたいのだ。それは他の皆も同じである。


 二、三分は経過しただろうか、廊下の突き当り、L字型に折れ曲がった廊下の向こうから、初老の男性の声がした。


「ふむ、了解した。情報は逐次私に上げてくれ。頼むよ、エレナくん」


 皆が視線を角にやると、奇妙な格好の人物が現れた。憲明並みの身長で、しかし肩幅は細い。綺麗に剃られた禿頭の下に穏やかな笑みを浮かべ、袈裟を身に着けている。足袋を履いていて、そのまま廊下を闊歩していた。


「遅くなってすまなかったね。負傷者は?」

「いえ、おりません。皆、よく戦ってくれました」


 そういう葉月に笑顔を向け、


「それは何よりだ」


 やや大きめの瞳を見開き、僧侶のような男性――ドクは、両の掌を合わせて俯いた。


「まずは今日亡くなった人々の冥福を祈ろうか」


 剣矢はそんな義理はない、と訴えたかった。だが、ドクがいなければいかなる作戦も決行は不能なのだ。自分が反論できるはずもない。


 しかし、ドクとて剣矢たちの胸中のわだかまりを把握している身だ。合掌の時間をすぐに終了させ、ついて来るようにと告げた。


         ※


 ドク――性別、男性。年齢・出生地・経歴、いずれも不明。本名すら明らかでない。

 何故そんな胡散臭い人物の協力を仰ぐのかと言えば、それこそ胡散臭いからだ。真っ当な人間が、こんな年端もゆかぬ少年少女たちの復讐を手助けするわけがない。


 それは、最初にドクに声をかけられた剣矢が感じていることでもある。

 ドクの服装は僧侶のそれだが、受ける印象は仙人に近い。霞を食って生きているからこそ、こんな枯れ枝のような体躯ながらも、生命活動を維持していけるのだ、などと思ってしまう。


 もし戦ったら相当強いに違いない。そう剣矢は確信していた。理由は分からないが『何となく』ドクの戦いぶりが見えるように思われるのだ。

 それこそ霧や霞、時には水のように敵の攻撃を受け流し、自らが攻めに転ずるのは一瞬。そしてその一瞬こそ、ドクにとっては、敵を仕留めるのに十分すぎる時間なのだ。


 とんでもない味方に出会ってしまったな――。ドクに出会う度、剣矢はそう思う。

戦ったことはなくとも、一緒に作戦立案をしたことはある。

 主に葉月が立てた作戦を軸にしつつ、警備用ドローンの攪乱、地元警察への偽装通報、県警へのクラッキングを同時に行うなど、銃火に頼らない部分で攻めていく。

 その状況観察力、洞察力、そして大胆さ。どれを取っても、並みの頭脳から発せられるものではない。

 まあ、剣矢たちの方が、若さゆえに物事を見る視野が狭いのかもしれないが。


 そんなことを考えつつ、剣矢は今、ドクの背中に従って歩いている。

 どうやって、これほど広大な施設を地下に建造できたのか。それは今もって謎だ。だが、理由はドク本人が語っている。

 自分は若い頃から多くの諜報機関で活動してきたので、所在がバレ次第暗殺者を差し向けられるからだそうだ。


 すると、自分たちの歩いている廊下の突き当り、一際大きな扉がスライドし、一人の少女が姿を現した。

 剣矢たちも十分若いが、その少女――エレナ・イーストウッドはまた一段階若い。というより幼い。銀髪のロングヘアに青く澄んだ瞳をしていて、今は真夜中だというのに、板状の立体ディスプレイを握って駆けまわっている。


「おお、エレナくん。さっきからすまないね、いろいろと頼んでしまって」


 ドクの労いの言葉に、エレナはこくん、と頷いた。その瞼は眠たげに半開きにされていて、猫科の動物のそれを連想させる。


「それで、解析の準備ができたんだね?」


 再び頷くエレナ。会話の流れを汲んだ剣矢は、ゆっくりとドクのそばに立った。


「今日もよろしく頼むよ、エレナ」


 そう言うと、エレナはぽっと頬を染めて、廊下の向こうへと走り去った。

 あんな表情をしてくれるのは、きっとエレナが戦闘中の剣矢の残虐さを知らないからだ。

 というのは、剣矢本人を含めたチーム全員が思うところである。剣矢は胸が微かに痛むのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る