第2話

 まるで滑空しているかのような足捌きで、剣矢はボスに接敵した。明らかに、ボディガードたちの動きは精彩を欠いている。

 ボスの突き出た腹に軽い蹴りを仕掛け、転倒させる。ようやくボディガード二人が自動小銃を構えた時には、それぞれの喉元に剣矢の銃口が突き付けられていた。


「判断は迅速にな」


 そんな剣矢の言葉と銃声。それらを最後に、二人の意識は永遠に閉ざされた。


「ひっ! わっ! ぐほっ!」


 残るはボスである。尻餅をつき、ずるずると後退して、剣矢から距離を取ろうとしている。

 剣矢は拳銃をホルスターに戻し、ゆっくりとボスに近づいた。


「ま、まま待ってくれ! 金ならある! いくらでもやる! だから命だけは――」

「あっそう」


 剣矢はボスの正面にしゃがみ込み、ぺしっ、と額にデコピンを見舞った。


「うあっ! があっ! 血、血がぁあ!」


 額は表皮が薄いから出血しやすいのだと、教えてやるべきだろうか? いや、それに値する人間ではないな、コイツは。

 そう剣矢は判断し、作戦の『最終工程』に差し掛かった。


 ボスの禿頭を撫で回しながら、背後に回り込む。


「はーい、少しチクッとしますよー」


 看護師のような優しく慈愛溢れる声音で、剣矢は言った。そして、ボスの首筋にかぷり、と嚙みついた。


「がっ!」


 動かないでいてほしいのだが、生憎口は封じられている。仕方ない。

 剣矢は拳銃を抜いて、ボスの手を撃った。


「ぎゃあああああああ!」


 だくだくと手の甲からどす黒い血が流れだす。だが、四肢の血では駄目なのだ。首筋、あるいは頭部の血でなければ、吸っても意味がない。


 それに、吸血作業に勤しんでいる間にも、剣矢は多忙だった。正確には、剣矢の頭脳が。

 今この瞬間、剣矢はボスの血を媒介して、記憶を吸収しているのだ。

 次の作戦のために。新たな敵を倒すために。


 吸血作業は、三十秒ほどで終了した。

 あまりの恐怖からか、ボスは気絶し、失禁していた。


「だらしのねえ野郎だな」


 脳内感覚からすると、注射の効果が切れるまであと二分弱。さて、どうしたものか。


「おい、起きろ、おっさん」

「ん……うわっ! き、貴様! 私に何をした! 首筋に噛みついて――」

「心配すんな。致死量は吸ってねえよ」

「きゅ、吸血鬼……!」


 やれやれ、と剣矢はかぶりを振る。

 確かに『本物の』吸血鬼というものが存在することを、剣矢は知っている。だが、もし自分が本物の吸血鬼だったら、今頃おっさんはグール――生ける屍となっていたはずだ。

 

 剣矢が吸ったのは血液だが、厳密には、それを介して記憶を吸い取っただけ。献血のバージョンアップ版、とでも言うべきか。


 さて、問題は。

 残り一分三十二秒で、このボス、否、ボスだったおっさんをどうやってぶち殺してやるか。

 まあ、半殺しでも構わないのだが。


 とにかく、利用価値はなくなった。そんなボスに剣矢が抱いている感情。それは怒りでも憎しみでもない。道端の小石を眺めるような、無関心そのものだ。


「あんた、これだけの金を調達するのに何人殺した?」

「は、はっ?」

「答えてみろよ」


 再び銃口を、しかも今度は額に突き付けられ、ぶっ倒れそうになるおっさん。その襟首を掴んで、引っ張り起こす。


「何人殺した?」

「し、しし知らない! 私はただ――」


 それだけで、剣矢には十分な答えだった。


「あと三十三秒……。ま、楽しませてもらいますか」


 言うが早いか、剣矢は拳銃の狙いをずらし、無言で引き金を引いた。

 その弾丸は、おっさんの四肢を、腹部を、胸部を抉っていく。そのたびに豚の鳴き声のような悲鳴が響き渡ったが、快く聞いている者などいない。


「三、二、一」


 カウントダウンをして、最後の一発をおっさんの眉間に撃ち込んだ。

 と同時、剣矢の全身を、重苦しい倦怠感が襲ってきた。


「大丈夫か、剣矢」


 そう言って近づいてきた人物。彼女こそチームの司令塔、美奈川葉月だった。剣矢と同じ武装をし、自動小銃を背後に提げ、長めのポニーテールを揺らしながら近づいてくる。そして、そっと剣矢に肩を貸した。


「ああ、悪いな。このおっさん、どうしても苦しませてから地獄に送ってやりたくて」

「それがお前の悪い癖だ、剣矢」


 溜息をつく葉月。


「あれ? 憲明は?」

「和也の回収に向かったよ」

「でも、それってお前と合流してからじゃなかったっけ?」

「私はここに残ったんだよ。その……戦闘中にお前の注射の効果が切れたらマズいからな」

「そいつはどうも」


 葉月は僅かに唇を尖らせる動作をした。剣矢に肩を貸しながら、僅かに頬が紅潮してしまったのは、葉月のみぞ知るところである。


         ※


 集合場所は、近所の裏山だった。監視カメラの有無は既に確認済み。今回の作戦に投入された二台の一般乗用車は、どちらも盗難車だ。ナンバープレートも変えているから、ここから足がつくことはあるまい。


 葉月が車を止めると、後部座席でだらん、と四肢を脱力させている剣矢の腕がぐらぐら揺れた。そこまで体力を消耗してしまった剣矢とは対照的に、やたら威勢のいい声がする。


「葉月! お疲れ! 怪我はない?」

「ああ、大丈夫だよ、和也。あたしも剣矢も無事だ」

「よかったぁ! ねえねえ聞いてよ葉月、僕、今日は百発百中だったよ!」

「ほう?」

「全員ヘッドショットさ! 僕が後方支援だからって、馬鹿にしないでよね!」


 言葉の内容とは裏腹に、和也はなんとも自慢げである。小さなリスがぴょこぴょこ動くような、小動物的な印象を与える小柄な少年だ。


 あの倉庫ががらんどうだったとはいえ、和也はそこから五百メートルほど離れたビルの屋上から狙撃した。風がなかったものの、それでも百発百中は素直に称賛に値する。


 と、いつもの剣矢なら考えるだろうが、今はそれほどの体力すらなかった。

 全く以て無力、人畜無害である。たとえ腰に拳銃をぶら提げていたとしても。


「おう、大丈夫か、剣矢」


 そう言って、車の後部座席に巨躯が入ってきた。ぬっ、と大柄な身体を縮めて、腕を差し入れてくる。握られていたのは、スポーツ飲料と栄養ドリンクである。


「ああ、サンキュ、憲明」


 小柄な和也がリスなら、大柄な憲明は熊。何とも安直な喩えだが、的を射ていることは否定できない。二メートル近い身長に広い肩幅を有し、現場ではグレネードランチャーやロケット砲、燃焼性手榴弾といった重火器を扱う。

 格闘戦能力にも極めて優れており、純粋に戦闘能力でいったら、剣矢をも超えるだろう。もちろん注射、すなわち神経増強剤を打つ『前の』剣矢と比べれば、だが。


「憲明、毎度心配かけてすまないな」

「気にするな。このチームは、お前なしではとても結成できなかったんだ。皆に得手不得手がある。さ、飲めよ」

「ん」


 圧倒的敏捷性と精密射撃能力を有する剣矢。神経増強剤さえ打てば、憲明さえ凌駕する最強の人材である。しかし、この薬剤には欠点があった。

 一回の注射で身体能力を上げられるのは、十分間だけだということだ。しかも、その合間にゆっくり身体を休めなければならない。連続使用すると、血中濃度の僅かな上昇で、使用者が死に至る可能性だってある。


「皆、アジトに撤収するまでが作戦だ。特に剣矢は、今のところ戦力としては見做せない。三人で無事帰還するぞ」


 葉月の言葉に、憲明はすぐに身体を引っ込め、運転席に回った。


「葉月、僕、一緒の車に乗ってもいい?」

「ああ、構わないよ」

「よっしゃ!」


 葉月と和也の仲は、あからさまというか何というか、見ていて痛々しいほど分かりやすい。

 和也は葉月に恋心を抱いているのだ。

 確かに、理屈は分かる。剣矢、葉月、憲明は高校生くらいの年回りだが、和也はまだ中学生だ。

 少し年上で、前線で戦う異性の司令官。確かに、恋慕するのも無理のないことかもしれない。


 一方、葉月が和也に好意を抱いているかというと、それこそ『微妙』である。二人の遣り取りを見れば、葉月は楽しそうにも見えるし、適当にあしらっているようにも見える。


 まあ、そのあたりは葉月が上手く片付けるだろう。いや、そうでなくては困る。戦闘員として現場に立てる人材は、全部で四人のみ。モチベーションのアップダウンが激しいのだ。今は調子がいいようではあるが。


 などなど考えていると、憲明がヘッドセットで通信を試みた。


「葉月、今日はアジトじゃなくて、寺に行ってドクと顔を合わせたほうがいいんじゃねえか?」

《うむ。あたしもそう考えていた。だが剣矢の体力が……》


 剣矢はよっこらせと立ち上がり、身を乗り出してこう言った。


「俺のことは心配するな。一刻も早く情報を得たいのは、俺だって一緒だ。指示をくれ、葉月」

《ま、まあ、剣矢がそう言うなら……。了解、ドクに連絡を入れるから、剣矢と憲明は先行してくれ》

「了解。剣矢、大丈夫だな?」

「ああ。運転頼むよ」


 こうして、今日の任務は大方ケリがついた。

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