翠眼の復讐鬼《リベンジャー》
岩井喬
第1話【第一章】
【第一章】
「ふあ~あ……」
暢気な欠伸の音がした。そちらを見遣れば、携帯端末の灯りが少年の顔を照らし出している。
ちょうどお化け屋敷で、顎の下から懐中電灯を当てたかのような。しかしそこに、そんな子供じみた恐怖感は微塵も感じられない。
この外見、少年の顔つきは、普通ではなかった。状況よりも、その少年自身の存在が恐怖を醸し出している。
髪はボサボサ。この暗さでは見えないが、色は真っ黒だ。背はやや高めで、ひょろっとした印象を与える。端末のディスプレイに照らし出された顎は細く、目はやや落ち窪んでいるようにも見える。
これだけだったら、ただの愛想のない少年、と言えるだろう。しかし、その全身に纏った雰囲気が常軌を逸していた。
『殺伐とした空気感』――一言で表現すれば、そういうことになる。何故この廃屋の壁に寄りかかり、端末をいじっているだけの少年が、そんな印象を与えるのか。それが間もなく明らかになるであろうことは、少年自身が最も熟知していた。
彼は最新式の軍用装備で身を固めている。
通信用イヤホン、野戦用防弾ベスト、高機動性コンバットブーツ。そして、二丁拳銃を収納し、両腰に装備したホルスター。
未だに蒸し暑い七月半ばの夜空を切り裂き、月光が少年を照らし出した。
そっと顔を上げ、目を細めながらそれを見遣る。そして軽く唇を湿らせる。
同時に、ヘッドセットから声が聞こえてきた。
《こちら葉月、総員、受信状況チェック》
《こちら憲明、問題なし》
《こちら和也、ちゃーんと聞こえてるよ!》
《葉月了解。剣矢、どうした?》
「……」
《錐山剣矢! 聞こえているなら応答しろ!》
「はいはい、聞こえてますよっと」
剣矢と呼ばれた少年は、さも面倒くさそうに端末を仕舞い込んだ。ホルスターから拳銃を取り出し、一丁ずつセーフティを解除する。
両方とも、十五発装填のオートマチック。カバーをスライドさせて初弾を装填する。
《おい剣矢! 聞こえているならちゃんと応答を――》
「だから今こうして喋ってるんだろうが。それより、羊はまだか?」
『羊』――作戦における殲滅目標のことだ。
適当な返答を寄越す剣矢に、通信相手、美奈川葉月は苛立ちを隠そうともしない。
《だからその最終確認をしようとしているんだろうが! お前にチームワークって概念はないのか?》
女性にしては低い、ドスの利いた声。だが、剣矢には通用しない。
《おい葉月、剣矢に説教しても意味がねえってのは、お前が一番よく知ってんだろ?》
《そうだよ葉月! 剣矢なんかいなくたって、僕が敵を全滅させてやる!》
憲明の助言に、和也の空回りした励ましの言葉。
葉月からの通信に、溜息が混じる。僅かな沈黙の後、葉月は語り出した。
《憲明、皆の連携を崩しては、勝てる戦いにも勝てやしないんだ。それに和也、お前は狙撃担当だろう? 一人で敵の殲滅は不可能だ》
注意された二人――重火器担当の大林憲明と、狙撃担当の小野和也は、共に黙り込んだ。
葉月の声を聞きながら、ちょっと疲れているんじゃないかと剣矢は思う。まあ、一番の働きをするのは自分なのだけれど。
剣矢は中身の空になった注射器を収納した。葉月、憲明、和也の三人が言い争いをしている間に、自分で注射しておいたのだ。
注入から約十秒。そろそろ効いてくるはず――。
「ぐっ!」
剣矢は軽い呻き声を上げたが、通信には入らなかったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
同時に、全身の血管に栄養剤を直接ぶち込まれたかのような震えが足元から頭頂部までを震わせる。
すると、ギン、という擬音語が立つかのように、剣矢の瞳が翠色に輝いた。
パキポキと指の関節を鳴らす。
「よし……」
剣矢は、しかし拳銃を抜くことをせず、壁から背を離して振り返った。
《剣矢、お前はもう――》
やや気遣わし気な、葉月の声。それを振り払うように、剣矢はマイクに吹き込んだ。
「注射した。さっさと頼む」
《了解だ。総員、攻撃開始!》
直後、凄まじい轟音が、壁の向こうから聞こえてきた。
バタタタタタタタッ、という自動小銃の発砲音に、チリンチリンという金属音が混じる。薬莢の落ちる音だ。
間を置かずして、ドォン、という爆発音が交差する。
この倉庫が崩落しやしないだろうか。常人ならそう考えるところだが、剣矢は気にしない。現場で崩落事故があって死亡? そんなのは、運のない奴の話だ。自分には関係ない。
半世紀前、すなわち二十一世紀初頭に放棄された沿岸の倉庫。そこで麻薬の取引をしている暴力団を駆逐するのが、今回の任務内容だ。
これだけ聞けば、闇社会に暗躍する悪を挫く正義の味方に聞こえるかもしれない。
だが、剣矢たちは違う。立派な反社会組織だ。
この取引だって、政府と癒着した暴力団によるものだから潰しにかかっている。ただの悪党など、相手にしない。そんな暇はない。
剣矢の拡張された聴覚には、敵の声が聞こえてくる。
「敵襲! 敵襲だ!」
「おい何やってる! 撃ち返せ!」
「暗くて見えねえ! マズルフラッシュを――ぐあ!」
ちなみに葉月たちは、暗視ゴーグルを着用している。それに、情報を得て下見をしていたから、どの角度、どの階層から銃撃すればいいのかも把握している。
《和也、一人も逃がすな!》
《了解だよ、葉月!》
葉月に声をかけられて嬉しかったのか、和也による狙撃も開始された模様。
そんな壁の向こうの惨劇を想像しながら、剣矢はそっと、さっきまで背を預けていた壁に掌を当てた。
憲明の持つ対物ロケット砲によるものだろう、振動と共に砂埃が降ってくる。敵は間違いなく、こちらに近づいてきている。追い詰められている、と言う方が正確か。
「あと八分四十五秒……」
ちょうどいいな、と判断した剣矢は、目を閉じて意識を集中し、掌に熱を与えるイメージで壁を押し込んだ。
すると、勢いよく壁が破砕された。ちょうど壁の向こうにいた敵の首根っこを掴み込む。
「う、うあ⁉ 何だ⁉」
敵の悲鳴を気にすることなく、軽く指に力を込めた。敵の首は呆気なく握り潰され、鮮血がびちゃびちゃと飛散する。
ざわめく壁の向こうの気配を正確に把握した剣矢。すぐさまマイクに吹き込む。
「攻撃中止。あとは俺がやる」
《葉月了解、憲明、あたしと合流しろ。和也を回収する》
《了解した》
『残り時間』があと五分を切ったことを確かめ、剣矢は思いっきり壁にミドルキックを打ち込んだ。一瞬で、倉庫内を仕切るコンクリート製の壁面が弾け飛んだ。近くにいた数名の敵も。
残るは五人。四人はフルフェイスのヘルメットで頭部を防御し、自動小銃を手にしている。もう一人、防弾ベストの上からスーツを羽織ったような、小太りのおっさんがいる。
「う、撃て! 撃てぇ! 私を守れぇ!」
剣矢は同情を禁じ得なかった。ボスに対して、ではもちろんない。こんな奴に従う羽目になったフルフェイスのボディガードたちにだ。
取り敢えず、といった形で開始される銃撃。剣矢はそれを、サイドステップで回避。ただのステップではない。横の壁に到達するほどの、大きな跳躍だ。
剣矢は壁に両足を着き、思いっきり曲げてから自分の身体を跳ね飛ばした。屈伸運動の要領で、しかし弾丸のような速度で、ボディガードたちに向かって突撃する。
一瞬の出来事。
自動小銃の狙いが逸れる。剣矢は両腕を広げて、ボディガード二人の首にかけて押し倒した。
二人まとめて後ろ倒しにしながら、拳銃をヘルメットと防弾ベストの隙間にねじ込む。そして、両手同時に、パン。
二人のボディガードは、一瞬びくり、と身体を震わせたが、それだけだった。あとは、首に空いた隙間から鮮血が溢れ出すだけ。
当然ながら、剣矢が殺人を犯したのも今日が最初ではない。
「な、何だ……?」
状況が分からず、寄ってくる取引先のボス。それを、残り二人のボディガードが引き留める。しかし、その場にいた存命中の四人のうち、剣矢を除く三人が、驚嘆することとなる。
「よいしょっと……」
剣矢は、二人分の死体を押しのけ、堂々と立ち上がったのだ。
「あのさ、ボディガードのお二人さん」
あまりに緊張感のない剣矢の態度に、ボディガードが引き金にかけた指が止まる。
「お仲間を殺しちゃった後で我ながらどうかと思うんだけど」
げしっと死体の一つを蹴とばす剣矢。
「あんたら、俺たちの味方にならない?」
返答はない。だが、ものすごい勢いでボディガード二人の頭が回転しているのは察せられた。
ふふっ、と含み笑いをする剣矢。
「まあ、最初の二人は気の毒だったけど、今のあんたらは生きてる。クライアントの選別はちゃんとしねえとな。馬鹿な親分の下について犬死にしないように」
ボディガード二人が顔を見合わせた、その時だった。
「誰が話し合っていいって言った、馬鹿野郎」
その言葉が終わる頃には、剣矢は再び地面を蹴っていた。
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