第235話 異変


「はぁ、やっと終わったわ」


 阿須加一族の集まりを終え、別邸に戻ってきた美結は、着物姿のまま、深くため息をついた。


 今の時刻は、夕方4時すぎ。

 元旦は毎年、親族の集まりで潰れてしまう。


 その上、義兄夫婦の嫌味を聞かされ続け、最悪な正月を迎えるのだ。


「心労、お察し致します。奥様」


 すると、夕陽が射す私室の中で、戸狩とがりが、一礼しながら美結をうやまった。


 このメイドの顔を見てホッとするのは、彼女が誠心誠意、阿須加家……いや、美結に尽くしてくれているからだろう。


 現在、25歳の戸狩は、亡くなった母親の代わりに美結のメイドとなった。15歳の時からだから、かれこれ10年の付き合いだ。

 若いながらも優秀な戸狩は、今では別邸を取り仕切るメイド長にまでのし上がり、美結の右腕と言っていいくらいだ。


「戸狩、服を準備して。早く着替えたいわ」


 この窮屈な着物を、早く脱ぎ去りたい。

 そう気だるげに言えば、戸狩は


「畏まりました。すぐに着替えをご用意致します。ですが、その前に、一つお伝えしたいことが」


「伝えたいこと? なに?」


「実は……本館と連絡が取れないのです」


「え?」


 その言葉に、美結は首を傾げる。


「連絡が取れない?」


「はい。今日は元旦です。おおむね五十嵐の方から、新年の挨拶があると思っていたのですが、一向に連絡がなく、昼過ぎに、こちらから電話を入れました。ですが、誰も出ないのです」


「……何を言ってるの?」


 誰も出ない――そんなはずはない。

 あの屋敷には、結月の他に使用人が三人もいる。


 仮に、誰かが出かけていたとしても、全員が不在になることはほぼなく、なにより、結月には屋敷から出るなと、昨日、洋介が忠告していた。


 ましてや、あの本館の総括は、執事の五十嵐だ。あの五十嵐が、元日に挨拶一つよこさぬなど……


「電話が、壊れてるんじゃないの?」


「そうも思いましたが、一応、コール音は鳴るので、つながってはいるかと……また、気になって、メイドに様子を見に行かせましたが、正門も裏口も施錠されていて、呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこなかったそうです。それに、近隣の住民たちが、少し妙なことを」


「妙なこと?」


「はい。昨夜0時頃、屋敷の明かりが、突然消えたそうです。そして、その後から、人の気配が全くなくなってしまったらしく……もしかしたら、神隠しにあったのではないかと?」


「はぁ?」


 その意味不明な言葉に、美結は吃驚する。

 無理もない。神隠しなんて、非現実的な話を、誰が信じるというのか。


「何を言ってるの? そんなバカなとこが」


「美結!!」


 すると、扉を開け、突如洋介がやってきた。


 どうやら、洋介もメイドたちから話を聞いたらしい。スーツ姿のまま入ってきた洋介は、眉間に皺を寄せながら


「本館の話は聞いたか?」


「ええ。今、戸狩から聞いた所よ」


「僕がかけても電話に出ない。何をやってるんだ、あの屋敷の使用人どもは!」


「そう苛立たないで。もしかしたら、電話が壊れて呼び鈴が鳴らないのかも」


 荒れ狂う洋介をなだめようと、美結が声をかける。だが、そこに戸狩が


「奥様、お言葉を返すようですが、あの五十嵐が、そのような不備に気付かないとは思えません。電話が壊れているのなら、いち早く対処し、こちらにも一報を入れるはずです。それなのに、こんな時間まで音沙汰がないのは……」


「「…………」」


 戸狩の言葉に、洋介と美結は、不安げに眉を顰めた。


 あの執事の優秀さは、別邸にいる誰もが知ってる。それ故に、五十嵐が、そのような不備に気付かないとは思えない。


 だが、実際に執事からの連絡はなく、夕方になっても音沙汰なし。


 それに、気になるのは、住民たちが噂していた"神隠し"という証言。


「もういい! とりあえず、車を出せ! 直接、結月の様子を見に行く!」


 神隠しにあったなんて、そんなバカげた話を信じたわけではない。


 だが、結月は阿須加家の大切な跡取り娘。

 万が一のことがあれば、取り返しがつかない。


 そう思い、洋介が指示を出せば


「戸狩。念の為、本館と裏口の鍵も持っていって」


「畏まりました。直ちに御用意致します」


 と、美結も戸狩に指示をし、洋介、美結、戸狩の三人は、洋介の秘書である黒澤くろさわが運転する車に乗って本館へと向かった。


 そして、それから数分後──


 四人が本館へと辿りつくと、屋敷の前には、人だかりができてきた。


 数十人の住民達が、門の外から中を覗き込み、ヒソヒソと話をしているようだった。


「そこをどいてくれ!」


 そして、そんな住民たちを見て、黒澤が、車内から声をかけた。


 門前にたむろされていると、屋敷の中に入れない。


 だが、いつもなら、阿須加家の車が見えた瞬間、執事が屋敷の中から門の開閉を操作をし、開けてくれるはず。


 だが、今日はピクリとも動かず、それはまるで、侵入者を拒むかのよう──


 しかも、立ち往生する車が、阿須加家の車だとわかったからか、住民たちは、一斉に、その車の周りに集まってきた。


「阿須加さん、やっといらっしゃった!」


「何かあったんですか!?」


「ここの使用人たちは、毎朝、わしらに挨拶をしてくれるんじゃよ!」


「それなのに、今日は誰も出てこなくて!」


「あの子たち、大丈夫かい? 私ら、心配になっちゃってねぇ」


「神隠しって、本当ですか!?」


「今、町中の噂になってますよ!」


「……っ」


 口々に詰め寄る住人たちは、屋敷の住人達の安否を心配していた。


 まさか、この屋敷の使用人たちが、ここまで近隣住民から熱い信頼を寄せられていたなんて、洋介も美結は、全く知らなかった。


 しかも、住民たちの話を聞けば、お正月の挨拶も、毎年欠かさずメイドと交わしていたらしい。


 それなのに、今日は門すら開かず、夕方になっても誰も姿を現さない。


「なんなんだ、これは……っ」


 口々に神隠しなどという住民たちを見て、洋介が怖々しく呟いた。


 そんな非現実的なことが起こるはずがない。


 だが、屋敷に見上げれば、点くはずの外灯も門灯も、全くついておらず、もう夕方だというのに、屋敷の明かりすらついていなかった。


 そして、それは、どう見ても異様な光景だった。


「黒澤! 今すぐ、裏口を開けろ!」

「か、畏まりました!」


 住民たちのせいで先に進めない車を乗り捨て、洋介たちは、裏口へ移動した。


 まさか、阿須加家の当主が、こんな質素な裏口から入ることになるなんて、思いもしなかった。


 だが、今はそうも言っておられず、住民たちに見守られる中、洋介たちは裏口の扉の前まで来ると、戸狩がスペアキーを使い、その扉を解錠する。


 ──ガチャン!


「!?」


  だが、鍵を開け扉を開こうとした瞬間、何かに妨げられた。数センチだけ開いた扉の隙間から見えたのは、レオが取り付けた──南京錠。


「だ、旦那様、更に鍵が……っ」


「なんだと! 一体なんのつもりなんだ。ここまで手を煩わせるなんて……! 黒澤、ドアを壊せ!」


「よ、宜しいのですか!?」


「構わん!」


 洋介の指示に、秘書の黒澤が体当たりをして、南京錠を破壊する。すると、洋介たちは、すぐさま屋敷の玄関へ移動した。


 だが、その間にも、屋敷の外には、騒ぎを聞き付けた人々が、少しずつ集まり始めていた。


 しかし、洋介たちは、それを気にもとめず、屋敷の玄関の前に立つ。


 木目が美しい両開きの扉。


 その鍵穴に、戸狩がスペアキーを差し込めば、鍵を回した瞬間、ガチャッと小さく音が響いた。


 鍵が開いた。


 そう確信すると、ゆっくりとドアノブを回し、その後、洋介と美結の目の前で、その扉は開け放たれた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る