第229話 優秀な執事


 ──コンコン


 屋敷の裏口にて。レオが扉を二回鳴らせば、外にいる人物も、同じように二回の合図を送ってきた。


 ちなみに、一回は、周りに人が合図。

 そして、二回が、周りに人が合図。


 二回と言うことは、今、この扉の向こうに人はいないらしい。


 だが、すでに施錠した、この扉から出るわけにはいかず、レオはコートのポケットから小ぶりのトランシーバーを取りだし、外にいる人物に話しかけはじめた。


浩史こうじくん。悪いね、こんな時間に」


 外にいる相手は、矢野の息子の浩史だった。


 0時前に家を出た浩史は、そのまま、まっすぐ屋敷に向かい、使用人たちが出入りする裏口の前にたった。


 そして、先程、結月たちを屋敷から逃がし、そのままレオが来るのを待っていたというわけだ。


『別にー。親の了承は得てるし! それに、お嬢様たちは、しっかり人混みに紛れたみたいだぜ』


「そうか……でも、まさか、浩史くんが協力してくれるとは思わなかったよ。俺は、君との約束を破ってしまったのに」


『だからだよ! 大学に行きたいことは、お袋には、話すなっていったのに!』


「そう、声を荒らげるな。人がいないとはいえ、全く通らないわけじゃないんだから」


『わかってるよ。だから、俺がこうして見張ってるんだろ。それに、まぁ、なんていうか……確かに、約束は破られたけど、執事さんをのおかげで、俺、大学受けられることになったんだ。ありがとう』


「………」


 トランシーバー越しに聞こえた声は、どこか照れたような声で、レオは、小さく笑みを浮かべた。


 初めて会った時の浩史は、ひどく生意気で、まさに、反抗期の子供のようだった。


 だが、その反抗的な態度が、身分差による苛立ちからくるのがわかって、どことなく、幼い頃の自分と重なってしまった。


 子供の生活は、全て親に左右される。

 与えられるものも、受けられる教育も、全て。


 自分だって、片親で、父の収入だけで生計を立てていたからか、決して裕福とは言えなかった。


 認知症を患った祖母は、病院にも通院していたし、毎月の薬代だって、それなりにかかっていたことだろう。


 そして、その上に積み上がっていく教育費や生活費。


 子供の頃は、日々の生活にどれほどかかっているか、全く知らなかった。だが、大人になった今ならわかる。


 祖母は働けず、息子は幼く。

 唯一の収入源だった父は、家族を守らなくてはならなかったからこそ、仕事を辞めることができなかったのだろう。


 そして、ズルズルと阿須加家に蝕まれていった父は、ついに限界が来て、川に身を投げてしまった。


 何も知らなかった自分が、幼いながらに、父の日記を見つけた時は、酷く絶望したものだった。


 父の苦しみに気づかなかった自分を恨み、阿須加一族への復讐を誓い、そして、結月のことですら『庶民を見下して笑ってるような性格の悪いの女だ』と信じて疑わなかった。


 そして、あの日の浩史の言葉は、あの頃の自分と似ていると思った。


 子供である故に、どうにも出来ない無力さを抱えていた頃の自分に──


『母ちゃんの転職先の件も、ありがとう! 大学合格できたとしても、母ちゃんが無職になってたら、どうなってたか』


 すると、また浩史が話かけてきて、レオは静かに目を閉じた。


 あの時は、犬みたいに噛み付いてきた青年が、今はこうして素直に『ありがとう』と語り掛けてくる。


 そんな姿に、自然と胸が熱くなった。


 だが、まさか、あの日『お嬢様を口説いて、逆玉の輿にのる』なんて言っていた青年が、こうも変わるとは──


「いや、矢野さんは、元々優秀な人だからね。転職先が決まったのは、矢野さんの実力だよ。伊達に阿須加家の家庭教師ガヴァネスをしていたわけじゃないな。それに、俺の方こそ、礼をいうよ。君たちのおかげで、やっと夢が叶う」


 不思議なものだ。


 この屋敷に来た時は、使用人たちを全て追い出し、一人で事を進めるつもりでいた。


 誰にもたよらず、たった一人で──


 なぜなら、協力者を得てしまうと、誘拐の片棒を担がせるようなものだから。


 それ故に、ルイですら、頼るつもりはなかった。


 だが、それがいつしか、こうしてお互いの夢や願いが繋がり、協力を得る形になった。


 今は、みんなが俺たちの幸せを願ってくれている。


 お嬢様の駆け落ちに関わるという大それたことを、率先して手伝ってくれる。


 それに、結月がいった『神隠しにあいたい』というあの望みは、きっと自分一人では、なし得なかっただろう。


 例え、どんな優秀な執事であったとしても──


「あとは、君たちに任せるよ」


『おぉ、任しとけって! きっと明日には、大変なことになってるぜ!』


「そうか、頼もしいよ」


『それより、この屋敷の塀、どうやって出るんだ?』


 すると、浩史が屋敷の塀を見上げながらそう言って、レオも同じように見上げた。


 3メートル以上もある、屋敷の塀。


 レンガでできたらその高い塀の上部には、デザイン性に優れた鉄柵が取り付けられていて、全体の高さは、約4メートル。


 見た感じ、そう簡単に、越えられるような塀ではなかった。


『ロープとか、脚立とか、なんか用意してんの?』


「いや、用意してないよ。ロープなんか使って、ちまちま登ってたら、不審者がいるってバレるだろ」


『そ、それは、そうだけど……じゃぁ、どうやって出るんだよ。扉は鍵かけちまったし』


「大丈夫だよ。このくらいの壁なら、ロープを使わなくても登れる」


『は?』


 だが、レオのその言葉に、浩史は瞠目する。

 ロープを使わなくても、登れる??


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