第228話 母親


「この家、レオが、子供の頃に住んでいた家なんだよ」


「え?」


 その言葉に、結月は驚きつつ、ルイを見つめた。


 レオが、幼い頃に住んでいた家。結月が、出会ったあの8年前、レオは、この家で暮らしていたのだと──


「レオが? この家で?」


「そうだよ。8年前に、お父さんとおばあちゃんと一緒に暮らしていた家。その後、空き家になっていたこの家を、僕が買い取ったんだよ」


 歩きながら話せば、廊下のはしらに、文字が刻まれているのが、うっすら見えた。


 『れいじ 10才』と書かれた古い線の横に『レオ 10才』と書かれた文字。


 それは、父親の代から、息子へと受け継がれた成長の証だった。


 自分が、あの屋敷を手放したように、レオもまた、愛すべき我が家を手放していたのだと、その刻まれた文字を見て、結月の胸には、言われもない切なさが宿る。


 何もかも捨てさせて

 何もかも捨てて


 私たちは、新しい未来へ進む。


 でも、できるなら

 捨てることなく叶えたかった。


 お父様とお母様に認められて


 友人たちや生まれ育った故郷こきょうを捨てることなく、愛する人と結ばれたかった。


 でも、それは、どうしても──叶わぬ夢だった。


「ルイさんが、この家を引き取ってくれて、きっと、レオは喜んでますね」


 結月が柔らかく微笑むと、ルイは、どこかくすぐったそうに答える。


「あはは、そうかな?」


「そうですよ。口にはしなくても、絶対に、そう思ってます」


「そっか。レオのこと、よくわかってるんだね。君が記憶を思い出してくれて、本当によかったよ」


 記憶をなくしていた時のことを思い出し、ルイが喜びを込めて微笑む。


 ルイが、初めて結月と会った時、結月は、レオに恋心を抱きながらも諦める気でいた。


 女装をして現れたルイを、レオの恋人だと疑わず、その叶わぬ恋を受け入れ、忘れようとすらしていた。


 そして、あの日『五十嵐には言わないで』と言う結月の思いを、ルイは踏みにじってしまった。


「あの時は、ゴメンね。絶対に言わないでって言われたのに」


 知られたくなかった思いを、レオに話してしまったことを謝れば、結月はフルフルと首を振りながら


「いいえ。そのおかげで、今の私たちがあります。ルイさんには、本当に、ご迷惑ばかりおかけしました」


「ご迷惑か……確かに、レオには、かなりのワガママを言われたかな~。女装して彼女になりすませって言われた時は、どうしようかと思ったけど、迷惑だとは思ってなかったよ。僕は、ずっとレオの夢を応援してたからね。それに、今は、みんな同じなんじゃないかな? 君たちの幸せを心から願ってる。奥の部屋で、矢野さんと斎藤さんも待ってるよ」


「え、二人も来てるんですか?」


「うん。斎藤さんは、奥さんも連れてね」


「奥様も? 本当に!? 私たち、斎藤の奥様から、ご実家を譲り受けることになったので、できるなら、しっかりご挨拶をしておきたかったんです」


「そっか。じゃぁ、丁度よかったね。斎藤さんの奥さんも、一目会ってお礼を言いたかったって」


「お礼?」


「うん、斎藤さんが辞められたのは、レオのおかげだからね。それと、来てるよ」


「もう一人?」


 だが、その言葉に、結月は首を傾げた。


 斎藤に矢野に、恵美に愛理。

 使用人は、レオ以外、みんな揃ってる。


 ──じゃぁ、誰が?


 そう思ったが、ルイは『会ってからの、お楽しみ』なんて言いながら、結月を奥の客間へ通した。


 客間は、二間続きの和室で、ストーブがかれていた。


 暖かな空気に満ちたその場所には、斎藤夫婦と矢野が座っていて、そして、その隣にもう一人、誰がが座っているのが見えた。


 長い髪をした、30代後半くらいの女性。


「……っ」


 そして、その姿を見た瞬間、結月は、大きく目を見開いた。


 そこにいたのは、結月が

 『会いたい』と思っていた人だった。


 会って、謝りたいと

 ずっとずっと、思っていた人。

 

白木しらき……さん?」


 声を震わせながら、結月が問いかける。


 すると、その人物は、ゆっくりと立ち上がり、あの頃と変わらない、優しい声を発した。


「お久しぶりです。結月お嬢様」


 そこにいたのは、結月が幼い頃、母親のように慕っていた人。


 元・メイドの──白木しらき 真希まきだった。

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