第226話 空っぽの屋敷
先の見えない暗闇の中を、キャンドルの明かりだけが灯していた。
あの後、屋敷のブレーカーを落としたレオは、結月たちが出ていった裏口に戻り、その扉をしっかり施錠した。
内側から鍵をかけ、更に南京錠までかける。
ここまですれば、外壁の守りは完璧だ。
何重にもかけられた鍵は持ちだし禁止で、更に、屋敷の中だけで管理されている。
そして、その屋敷を取り囲む、高さ3.8メートルの
だが、その守りをしっかり固めたあと、レオは再び屋敷に戻り、今度は、屋敷の中を施錠し始めた。
あらかた戸締りは確認済だが、それでも、念入りに最終確認をすませると、本館が全て施錠されたことを確かめ、レオは別館へと向かった。
本館と繋がった別館は、使用人の寮として使われていた屋敷だ。お嬢様が過ごしていた本館よりも、明らかに、こじんまりとして質素。
だが、そのおかげか、この別館の鍵は旧式のままだった。だからか、あっさり密室を作り出せそうで、レオは別館の鍵を全て確認したあと、最後に、自分の部屋に入る。
この屋敷に来てから使用していたレオの部屋は、初めて入った時と同じ状態になっていた。
来た時と同じ、ガランとした室内。
だが、当時あって今はないものが、一つだけあった。
それは、あの日、支給された燕尾服。
執事のトレードマークとも言える燕尾服は、クローゼットの中にはなく、そこは、もぬけの殻だった。
だが、それも当然だろう。使用済みの燕尾服は、各自で処分することになっている。
そのため、先ほど着替えた燕尾服も、トランクに詰めて、結月に持って行ってもらった。
だからか、あとは、この身一つで、屋敷を出るのみ。
──ガチャ
部屋の中を進み、窓を開けると、外の冷気が一気に中へと入ってきた。
そのせいか、ずっと頼りにしていたキャンドルの炎があっさり消えさる。
再び闇に包まれた屋敷の中。
だが、月明かりのおかげか、少しづつ目が慣れてきた。
夜空を見上げれば、新年を彩るように、美しい月が輝いていた。
天気が良かったのは、幸いだった。
どんなに優秀な執事でも、天候ばかりはどうにもできないから。
(しかし、まさか、最後に屋敷を出るのが、窓からになるとはな……)
窓枠に手をかけ、レオは小さく苦笑する。
執事として玄関から入ってきて、まさか、窓から出ることになるとは。
だが、これも全て、結月を救うために必要なことだった。
あの両親は、この屋敷が、
明日の朝だろうか?
それとも、夕方だろうか?
いや、もしかしたら、三日後かもしれない。
そんなことを考えながら、レオは窓枠に足をかけ、体を浮かせた。
ギシッと窓枠が、微かな音をたてる。
だが、レオは、その枠を軽々飛び越えると、あっさり窓の外へと降りった。
土を踏み締め、その後、コートのポケットから、テグスを取りだす。ここからは、密室作りの開始だ。
木製の両開きの扉は、本館の窓に比べて、密閉性が低かった。だからか、夏はいいが、冬はとても寒い。
だが、その気密性のなさと、
なぜなら、ハンドルを上にあげるだけで、鍵をかけられる。古い屋敷の手入れには、いつも手を焼いていたが、今は、それで良かったとすら思う。
その後、レオは、内側のハンドルにテグスを幾重にも巻き付けると、それを窓枠の上から外へと通し、両開きの扉を、パタンと閉めた。
ここまで来れば、あとはテグスを引き、鍵をかるだけ。細くとも強いテグスは、ちょっとやそっとじゃ切れず、レオがテグスを引けば、ハンドルはあっさり上に持ち上げられ、窓にはしっかり鍵がかかった。
あとは、ハンドルにまきつけたテグスを回収するだけ。だが、これも、さしたる問題はなかった。
鍵をかけたことで、ハンドルは、斜め上に傾いていた。
真上に伸ばされたテグスを、レオは、少し斜めに逸らす。すると、巻かれただけのそれは、スルスルと解け、簡単にレオの手の中に収まっていく。
もちろん、幾重にも巻き付けたため、テグスの回収には多少時間がかる。
だが、ハンドルに結びつてしまえば、テグスはハンドルから離れられず、証拠が残ってしまう。
だから、時間はかかるが、レオはこの方法を選んだ。
「よし、できた」
テグスを全て回収すると、完全な密室が出来上がった。
今、この屋敷には誰もいない。
文字通り『空っぽ』だ。
そして、ほっと息をついたレオは、閉じた窓に手を触れる。
ずっと、この日を待ちわびていた。
幼い日、結月と約束をした、あの時から。
いつか、この屋敷の使用人たちを全て追い出して、この屋敷を空っぽにする。
結月が、心置きなく出て行けるように、俺が彼女の夢を叶えてあげると──
「やっと……終わる」
夢の終わりが、近づいていた。
執事として仕えてきた、この時間と同時に──
「俺は、君が凄く憎かったよ」
冷たい窓に触れ、レオは小さく呟く。
結月を閉じ込める檻のようなこの場所が、俺は、すごく憎かった。
こんな場所、早くなくなってしまえばいい。
そう、何度と思った。
だが、外からは見えなかった、この屋敷の中は、意外と心地のよい場所だった。
愉快で賑やかな使用人たちと、愛らしいご主人様。
彼らとの日常は、思いの外、楽しくて。
そして、この中にいたからこそ思うのは、憎かったはずのこの屋敷が、結月を守ってくれていたのだと言うこと。
まるで、大切な宝物を、箱の中に閉じ込めるように──
「ありがとう。今まで、結月を守ってくれて」
屋敷を見上げ、レオは、悲しげに微笑んだ。
まるで、戦友に別れを告げるように──
「君が、守ってきたご主人様は、俺が必ず幸せにする」
口を聞かぬ屋敷に、レオは、改めて誓いをたてた。
老朽化が進んだこの屋敷は、いつか、あの両親よって、取り壊されるのだろう。
それを思うと、なんとも切ない気持ちになった。
だが、長年、主人を守り続けてきたこの屋敷も、やっと眠りにつく。
ボロボロになりながらも、その気品と優雅さを絶やさなかった、この屋敷が、今やっと、役目を終える。
執事として仕えてきた、自分と同じように……
「ご苦労様。君の──この屋敷の、執事になれてよかった」
ありがとう。
そして、さようなら。
屋敷に労いの言葉をかけると、レオは、名残惜しくも、その場から離れた。
月明かりだけが、夜の屋敷を照らす。
そんな中、足早に、裏口の扉の前で進んだレオは、屋敷を取り囲んでいる高い塀を見上げた。
そう、まだ安心してはいけない。
なぜなら、この塀を登り、敷地から抜け出さなければ、完全な密室にはなり得ないのだから──
「さぁ、仕上げだ」
そして、これが、執事としての最後の仕事だと、レオは自分に言い聞かせる。
屋敷の壁を一目凝視したあと、レオは、先程、施錠した裏口の扉の前に立ち、コンコンと、二回扉を鳴らした。
すると、外にいる相手が、今度はレオと同じように、コンコンと、二回の合図を鳴らしてきた。
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