第225話 夜闇


「ねぇ、何かあったの?」


 大晦日の夜、阿須加家の屋敷の前は、初詣に行く人々で賑わっていた。大人も子供も、この日ばかりは夜更かしをし、町へと繰り出す。


 だが、その道中、突然、屋敷の明かりが落ちたからか、側を歩いていた人々は、ガヤガヤと騒ぎ始めていた。


「パパ、真っ暗ー」


「そうだな、停電か?」


「停電じゃないわよ。だって、あっちの家はついてるもの」


「え? じゃぁ、ココだけ? ブレーカーでも落ちたんだろうか?」


「何ってるの、庶民の家ならともかく、あのなのよ!」


 この辺りでは知らない者はいない名家・阿須加家。そんな家のブレーカーなんて、余程のことがないかぎり落ちないだろう。


 だが、なぜか屋敷の中の明かりだけでなく、外灯まで綺麗に消えて、辺りは真っ暗。


 そのせいもあってか、門前にいた人々は、まるで野次馬のごとく、屋敷の中を食い入るように見つめていた。


 いつ復旧するのだろう?

 暗がりの中、明かりがつくのを待つ。

 だが、屋敷の明かりは、一向に元には戻らず……


「ねぇ、なんかおかしくない?」


「トラブル?」


「いや、もう寝たんじゃねーの」


「いやいや、0時きっかりに? 大晦日の夜にそれはないでしょ」


「そうだよ。それに、門灯まで消えてるし」


「ねぇねぇ、何かあったの?」


「なんか、この屋敷だけ停電してるんだって」


 ガヤガヤ、ザワザワと、通りすがる人々を巻き込みながら、話は少しずつ伝染していく。


 すると、屋敷の前にいたが、今度は、摩訶不思議なことを言い出した。


「ねぇ、さっきが聞こえたよね?」


 屋敷の明かりが消える直前、除夜の鐘の音に混じり、シャンシャンと響いた鈴の音。


 それが、確かに聞こえたと言う女に、隣にいた男も同調する。


「あぁ、俺も聞こえた。屋敷の方からだろ?」


「うん。なんだろ、あの音」


「え? 鈴なんて聞こえた?」


「うんん。私は、聞こえなかったけど」


 聞こえたという声と、聞こえなかったといる声。それが、入りまじりながら、民衆たちは、口々に話し始める。


 確かに聞こえたという者。

 全く聞こえなかったという者。

 そして、聞こえた気がするという者。


 様々な声は、阿須加家を取り巻き、そして、その話は、次第に大きくなっていく。


 だが、ここにいる人々は、想像もしていないだろう。


 後に、この屋敷で、使が、この民衆の中に紛れこんでいたなんて──



 ✣


 ✣


 ✣



(真っ暗ね……)


 そして、その頃──屋敷の裏手にある扉の前では、結月と恵美が、ひっそりと合図を待っていた。


 扉に張り付き、耳を澄ます恵美と、その傍らで、声をひそめ、屋敷を見上げる結月。


 まるで、役目を終えたかのように静まり返る屋敷は、結月が生まれた頃から暮らしてきた屋敷だった。


 だからか、全く思い入れがないわけではない。


 だって、この場所は

 たくさんの愛に溢れていたから──


 生まれながらにして、親に疎まれていた結月は、とても孤独な娘だった。


 だが、この屋敷の使用人たちは、そんな結月を、いつも温かく包み込んでくれた。


 時には、母のように、父のように。

 または、兄のように、姉のように。


 主と従者としての一線をこえることはなくとも、それでも家族のように、たくさんの愛情を注いでくれた。


 そして、それは、この屋敷にいたおかげだった。


(今まで、ありがとう……っ)


 共にすごした屋敷に、結月は、心からお礼を言った。


 幼い頃から、ずっと過ごしてきた、我が家との別れ。


 この屋敷から、結月は、早く出ていきたかった。それなのに、いざ離れるとなると、どうしてこんなに寂しくなるのだろう?


 箱の中に閉じ込められるような生活は、とても苦しかった。


 親に愛されない毎日は、何度と心を砕いた。


 だが、それでもこの箱の中は、幸せだった。


 だって、みんなと過ごしたこの日々は、とてもかげがえのないものだったから──



「屋敷の前、騒がしくなって来ましたね」


 すると、正門の前が、ガヤガヤと騒々しくなって来たのに気づき、恵美が呟く。


 これまで阿須加家の明かりは、深夜でも優雅に輝いていた。


 特に入口の門灯と、園庭を彩るポールライトは、防犯のためもあり、決して消えることはない。


 だが、今は、その光が一気に落ち、屋敷全体が夜の闇に包まれていた。


 ならば、騒がれるのは当然だろう。

 いや、むしろ──計算通りだ。



 ──コンコン!


「……!」


 その瞬間、裏口の扉が鳴った。

 外からの合図に


「お嬢様、行きますよ」


 と、恵美が声をかければ、結月は、意を決して、その場から歩き出した。


 この騒ぎに乗じて、人知れず、屋敷から脱出する。だが、裏口の扉が開いた瞬間、結月は、あらためて、屋敷を見上げた。


 明かりが消えた屋敷の中には、今、レオが一人だけで残ってる。


 全ての仕上げを整え、ここを完全な密室にするために。


 そう、この屋敷の住人たちが、ということを再現するために──


(……レオ、早く来てね)


 愛しい人の無事を願いつつ、結月は、恵美とともに屋敷から抜け出した。


 決して、声をださず、帽子を深々と被り、少年になりすます。


 そして、お嬢様である結月が、この裏口からでたのは、初めてのことだった。もちろん、こんな夜更けに、屋敷を抜け出したこともない。


 だが、それは、夢を叶えるための、ほんの小さな一歩。


 結月は、恵美に連れられ、すぐさま住民たちの群れに潜り込むと、その後、ゆっくりと夜の町へ消えていった。

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