第223話 除夜の鐘


 結月が返事をすれば、準備を終えたらしい。

 男装した恵美と、私服姿の愛理が入ってきた。


「お嬢様、準備万端ですね!」

「えぇ。恵美さんも、しっかり男の子ね!」


 男装した恵美が、結月の手をとれば、結月も士気を高めつつ、その手を握り返した。


 そして、その一方で、愛理は女性らしい服装のままだった。


「愛理さんも、準備は整いましたか?」


 レオが愛理に尋ねる。すると、愛理は


「うん、バッチリ! 荷物は、昼間のうちにルイくんの家に運んだし、あとは、私たちだけだよ。いよいよだね、五十嵐くん」


「………」


 いよいよ──そう言われ、レオは静かに目を細めた。

 この後、レオが着替えれば、この屋敷を出る準備は全て整う。


 執事として仕えてきた、この数ヶ月。

 どれほど、この日を待ちわびたことだろう。


 辛いこともあった。

 心が挫けそうこともあった。


 だが、それを乗り越え、今やっと、この燕尾服を脱ぎ捨てる時がやってきた。


 そう、この屋敷をにする時が──


 ──ゴーン


 するとその瞬間、まるで祝福するように、除夜の鐘が鳴り始めた。


 108の煩悩を打ち払う鐘の音が、屋敷のみならず、町中に響き渡る。


 時刻をみれば、22時30分。


 除夜の鐘は、107回までを旧年中に鳴らし、最後の1回を、新年になってから打ち鳴らす。


 そして、この屋敷が空になるのは、108回目の鐘が、鳴り響いた、その瞬間──


 闇に響く鐘の音は、今まさに、神様を招いていた。


 いや、神様だけじゃない。

 この町中の人々を、夜の町へと誘う。


 ついに、この時が来た。

 失敗の許されない、一発勝負。


 だが、こんなにも胸踊る大晦日は、初めてだった。

 レオは、自分をみつめる女性たちを、改めて見つめると


「では、始めましょうか──神隠しを」













       第223話 『除夜の鐘』











 ✣✣✣


 ゴーン、ゴーン──


 23時45分、紅白が終わり、88回目の除夜の鐘が鳴り響いた頃、町中の人々は、一斉に初詣へと出かけはじめた。


 ヒヤリとした冷気が漂う夜の世界。だが、人々の心は、新しい年に向け、明るい気持ちにみちていた。


 そして、そんな中、元・阿須加家のメイドである矢野 智子ともこの息子である、浩史こうじもまた、初詣にむかう準備をしていた。


「浩史、忘れ物はない?」


 母の智子ともこが声をかければ、浩史は、明るく笑って玄関に立った。


「あぁ、トランシーバーなら持ったけど」


「そう、頼むわね。失敗は許されないから」


「わかってるよ。でも、あの人、あの屋敷から、どうやって出るつもりなんだろ?」


 母から聞いた、執事の計画を思い出しつつ、浩史が眉を顰める。


 聞く話によれば、屋敷の出入口は、二箇所しかないらしい。表の正門と、使用人たちが出入りする裏口だけ。


 だが、その裏口の鍵は、二本しかなく、一本は本館が持ち、二本目は、別邸で結月の両親が金庫で厳重に管理している。


 なにより、その鍵は、特殊な加工が施されているため、阿須加家専属の鍵職人しかつくれないそうだ。

 しかも、そんな専属技師に、合鍵を作ってくれなんて頼めば、この計画がバレてしまう。だからこそ、執事は合鍵は作らないと言っていた。


 だが、鍵がなければ、あの屋敷を密室にすることは出来ない。


「大丈夫よ。五十嵐さんに任せておけば。あなたは、指示されたことを全うなさい」


「はいはい、わかってるよ。あの人、まじおっかねぇし。だけど、俺も感謝してるんだ、あの人には。なんせ俺を、夢の入口に導いてくれた人だからな」


 いつだったか、あの執事と初めてあった日のことを、浩史は思い出す。


 母が鍵を忘れ、屋敷に届けに行った日、浩史は、阿須加家の執事、五十嵐 レオと出会った。


 歳を聞けば、二十歳だと言った。

 だが、その姿は、明らかに自分とは違っていた。


 熟練された身のこなしと、佇まい。

 そして、王者のような風格。


 だが、むしゃくしゃしていた浩史は、その執事にいってしまったのだ。

 『この屋敷のお嬢様を口説き落として、玉の輿に乗る』などいう、バカげた話を。


 すると、まぁ、酷く威嚇され、あっさり窘められた。


 かなり、怖かった。

 敵に回したら、殺されるんじゃないかってくらい。


 だが、あの時言った執事の夢の相手が、その屋敷のお嬢様だとすれば、威嚇されてもしかたないと思った。


(好きな人と一緒に、朝ご飯を食べる……か)


 それは、あの日、聞いた執事の夢。


 なんて、ちいさい夢だろう。

 初めは、そう思った。


 だって、誰でも叶えられそうな夢だったから。


 だが、その相手が阿須加家の娘なら、全く小さな夢ではなかったのだと、今になって気付かされた。


 だって、本来なら、叶わぬ夢なのだ。

 お嬢様と執事は、決して結ばれることがないのだから。


「じゃぁ、行ってくっから」


 その後、軽く手をあげれば、浩史は、すっと気持ちを切り替えた。


 あの人は、俺を夢の入口に立たせてくれた。

 諦めていた大学進学への道を、俺に与えてくれた。


 なら、その恩返しをしたい。

 あの執事の叶わぬ夢を、叶える手伝いをしたい。


 そして、今日は、一世一代の大勝負。

 ならば、力にならないなんて選択肢はない。


「行ってらっしゃい、浩史。それと、神社に言ったら、合格祈願も忘れずにね」


「そうだな。あの人の夢を叶えたら、神様も味方してくれるんじゃね?」


 冗談交じりに笑えば、浩史は、母に見送られ、矢野家を後にした。


 外に出れば、そこは深夜にもかかわらず、初詣に向かう住民たちで溢れていた。


 浩史は、その人並みに紛れ、ある場所を目指す。


 向かうのは、執事が待つ、阿須加家の屋敷だった。


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