第202話 神様


「とりあえず、今夜は、私とことにしてください」


「え?」


 その予想外の言葉に、冬弥は困惑する。

 私と……愛し合う?


「──て!? お前さっきは、拒絶するって!」


「何を赤くなっているのですか? 愛し合ったに決まってるしょう。冬弥さんだってわかってるはずです。今、お互いの親が何を望んでいるか。なら、親の望みどおりにしましょう。私は、どうしても、いい子でいなくてはならないんです」


「いい子?」


「はい。婚約者と仲睦まじく、心から愛し合っている娘を演じなくてはならないんです。だから、あなたも協力してください」


「協力って……っ」


 何を言い出すかと思えば、先ほどとは真逆のことを言われ、軽く戸惑った。


 だが、それは冬弥にとっても都合がいい。


 親にも兄にも、絶対に失敗するなといわれている。今日ここで、結月を物にしなければ、また役立たずだと罵られるだけだろう。


「でも、俺と恋人のフリをして、その後は、どうするんだ。結婚するつもりはないんだろ」


「はい。結婚はしません。私は、もうじき、行くんです」


「は?」


「ですから、それまでの間、私と仲睦まじく過ごしてください。そして、私がいなくなったあとは、最愛の恋人を失って嘆き悲しむ婚約者を演じるだけでいい。その後は、冬弥さんにお任せします。流石に、相手がいなくなったとなれば、結婚どころではなくなりますし」


「い、いや、ちょっとまて! 神様の元って、まさか、自殺でもする気か!?」


「まさか。そんな命を粗末にするようなことはしません。私は、数日後、に合うんです」


「は?」


 次々に繰り出されれ不可解は返答に、冬弥は目を丸くする。


 神隠し──それは、人が忽然と姿を消すことから、鬼や天狗、神様の仕業ではないかと噂されていた昔話のこと。


 そして、その神隠し伝説は、この星ケ峯ほしがみねにも、古い言い伝えとして残っていた。


『人間好きの神様は、真夜中に鈴の音と共にやってきて、気に入った人間を、山へと連れて行ってしまう』という、そんな言い伝えだ。


 たが、それは、ただ迷信で、信じているのは、子供や年寄りばかり。


「お前、バカなのか? 神隠しなんて」


「ふふ、おかしなことを言っているのはわかっています。でも大丈夫です。うちの執事は、とても優秀ですから、神様を味方に付けるくらい造作もないことです」


「神様をって……あの執事、何者だよ!?」


「まぁ、そう言わずに。とにかく、私たちは今夜、男と女の関係になった恋人同士です。そこまですれば、私が、冬弥さんとの結婚に不満を持っているなんて、誰も思わないでしょう。あなたとの間に、子供を作ろうとしてるわけですから」


「まぁ、そうだろうけど……でも、娘がいなくなれば、警察沙汰にはなるだろ」


「なりません」


「え?」


ための材料も揃ってます。それに、前も言ったはずです。私は愛されてないと……なら、あの両親は、きっと私よりも自分たちの保身を取るはず。だから、警察沙汰にはなりません」


 そう言って、悲しそうに俯いた結月は、もう何もかも諦めたかのように見えた。


 愛されたいと願っていた。だからこそ、親の言いなりになり、良い子でい続けた。


 でも、それは報われず、今、自分たちは親を裏切ろうとしている。


「……お前も、苦労してたんだな」


 冬弥がポツリと呟けば、結月は、その後、ふわりと微笑み


「ふふ、案外、優しい面もあるのですね? 心配して下さるのですか?」


「っ……別にそんなわけじゃ」


「ありがとうございます、冬弥さん。でも、大丈夫です。これでやっと自由になれます。やっと自分の人生を歩いていける。だから、この計画が上手くいくよう協力してください。宜しくお願いします」


 改めて、結月が頭を下げれば、冬弥は目を見開いた。


 さっきの脅迫めいた言葉が嘘みたいな変わりよう。だが、その奥ゆかしい態度には、不思議と胸が熱くなった。


「わ、わかった。協力してやる……! それより、この後、どうするんだ」


「この後?」


「愛し合ったフリをするんだろ」


「あ、そうですね。では、まずは愛し合う前のをしましょうか」


「準備?」



 ✣


 ✣


 ✣



 その後、夜も更け、入浴をすませた結月と冬弥は、再び部屋の中にいた。


 一応、をするなら、それなりの行動をとらなくては怪しまれる。


 そんなわけで、あのあと、それぞれ風呂に入ったのだが、お風呂から戻ってきた結月は、これまた色っぽく、冬弥はベッドに腰かけたあと、おもむろに眉を顰めた。


(考えてみれば、一晩一緒に過ごすんだよな)


 今の時刻は、夜の9過ぎ。

 そう、夜はまだ始まったばかりだ。


 しかも、お風呂上がりの結月は、清楚なナイトドレスの上にカーディガンを羽織り、長い髪を一つにまとめあげていた。

 

 うなじを晒す白い首筋が、とても綺麗だと思った。そして、結月が冬弥の前を横切れば、ドレスの裾を揺しながら、まるで花のような上品な香りが舞うのだ。


 もはや香りだけで、誘われているような気分になってくる。


「……おい。ひとつ聞くけど、寝る時はどうするんだ。ベッドひとつしかないぞ」


 そして、少しだけ頬を染め、冬弥は、この先を想像し広いベッドに目を向けた。キングサイズのベッドは、大人二人が寝ても、十分な余裕はある。


 だが、さすがに同じベッドで寝ていたら、変な気を起こす可能性だってあるわけで……


「大丈夫ですよ。私、今夜は眠るつもりはないので」


「え?」


 だが、そんな冬弥を他所に、結月はスタスタと部屋の中を移動すると、自分の荷物の前にしゃがみ込んだ。


「私、この日のために、しばらくをしてきたんです。だから今日も、目を覚ましたばかりで、まだ眠くはありません。それに、秘密兵器も持ってきましたし」


「秘密兵器?」


「はい、です!」


 そう言って、トランクを開けた結月は、中から大量の何かを取り出した。

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