第201話 夢の終わり
「あの日、私を突き落としたところを目撃していたメイドが、一人いたでしょう?」
「……っ」
その言葉に、冬弥は無意識に息を呑んだ。
確かに、あの日、一人だけ目撃者がいた。口封じのために解雇された、白木とかいうメイドが……
「記憶を取り戻したあと、秘密裏に白木さんと、連絡をとりました。今は、ご結婚されて、中村に名字を変えていますが、私が訴えるというなら、あの日のことを証言してもいいと言ってくれました」
少し前に公園で見かけたからか、白木が、この星ケ峯に住んでいることは分かっていた。
そして、記憶を思い出したことで、白木が、口封じのために解雇されたのだと気付いた結月は、レオに頼み、白木を見つけ出してもらった。
接触を避けるために、手紙だけのやり取りだったが、久しぶりに交わした白木の言葉は、あの時と変わらず、優しかった。
結婚し、娘が生まれた後も、時折、結月のことを思い出しては、心配をしていたらしい。
だが、解雇と同時に、結月に近づくなと脅され、屋敷に顔を出すことすらできなかったと、5枚にもわたる長文で、手紙を返してくれた。
「本当に、酷い人たち……私が母のように慕っていた人を、自分の体裁のためだけに追い出すなんて……っ」
思い返せば、悲しみさ怒りが、同時に込み上げてきた。
ずっと、謝りたいと思っていた。自分が、階段から落ちたせいで、白木は責任を取らされ、解雇されたと聞かされていたから。
それなのに、蓋を開ければ、結月と白木には、なんの落ち度もなく、それどころか、記憶喪失になったことを、自分の両親が喜んでいたのだ。
そして、その事実に、結月は改めて思い知った。
本当に、あの二人は、自分の気持ちなど、どうでもいいのだと。
だが、おかげで覚悟は出来た。
もう未練はない。
親を捨てることに──後悔はない。
「それに、あなたの罪は、それだけじゃないわ」
「え?」
「つい先日も、未成年の私に勝手にお酒を飲ませ、無理やり手籠めにしようとしました。しかも、その件を、全て従業員のミスだと出ちあげて、全てを揉みけした。あの時、不当に解雇された二人にも連絡をとって、協力してもらえるよう話はつけてあります。それに、今日ここで私を襲うというなら、私は明日の朝にでも警察に駆け込んで、あなたに乱暴されたと話します」
「な……ッ」
結月の言葉に、じわりと冷や汗を流せば、そんな冬弥を見据え、結月は更に追い詰める。
「冬弥さん。私は、今ここに、餅津木家も阿須加家も、どちらもつぶす覚悟できています。それに、例え、今日、あなたに体を奪われても、私は、あなたのモノにはならないわ。私の心は、彼だけのものです。だから、一晩中、暴れつづけてでも、あなたを拒絶します」
「……っ」
その目は、本気だった。本気で、一族ごと根絶やしにするかのような気迫を感じた。
それに、ここで組み敷いたところで、文字通り結月は、一晩中、拒み続けるのだろう。
決して、言い逃れのできない犯罪の証拠を、その身に残しながら――…
「どうしますか? サインをして私に協力しますか? それとも、親共々、地獄に落ちますか?」
すると、結月が、また書面をちらつかせながら、冬弥に問いかけた。二人きりの部屋の中には、クリスマスツリーの光が、場違いにも輝いていた。
確かに、あちらには、既に三人の証人がいる。
それに、幼い頃の話は、事故だと立証できても、ほかの件に関しては、言い逃れができない。
すると、その後、ふっと息をついた冬弥は、まるで諦めたように呟いた。
「……はは、甘い奴だな。そんなんで、餅津木家が地獄には落ちるわけねーだろ」
「……」
「この8年で、また力をつけた。揉み消すなんて朝飯前だ。だから、あいつらは全部、俺に罪をなすりつけて、のうのうと生きていくんだろうな」
「え?」
「……潰れるのは、俺だけだ。アイツらは、俺だけ切り捨てて、何も変わらず、いつも通りだ。お前、昔聞いたよな。俺に『愛されてるか?』って……愛されてねーよ、俺だって……あいつらが、愛してるのは、お金だけだ」
自分で言っていて、虚しくなった。
せめて、父にだけは愛されたかった。
俺が生まれたのは、母を愛していたからだと思いたかった。
でも――もう、いい。
もう、夢を見るのは、やめよう。
「貸せよ。サインしてやる」
そういって、冬弥が手を差し出せば、結月は、小さく息を呑んだ。
どうやら協力する気になったのか、冬弥の瞳から、その意志を確信できた結月は、ゆっくりと近づき、書類を手渡した。
すると、立ち上がった冬弥は、その後、自分の机の前まで移動し、中から万年筆と印鑑を取り出し、すらすらと自分の名前を記入していく。
それは、もう迷いすらないように。
そして、印鑑まで全て押し終えた後
「これでいいのか。それで、俺は何をすればいいんだ?」
結月に書類を渡しながら問いかければ、結月はその書類を受け取ったあと、再び冬弥を見つめた。
「そうですね。では、今夜は、私と愛し合ったことにしてください」
「え?」
だが、その言葉に、冬弥は困惑する。
私と……愛し合う??
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます