✣ 番外編 ✣ 執事さんの看病【後編】
『そんなことで、わざわざ電話しないで頂戴』
その後、屋敷に戻り、結月を部屋に運び終えたレオは、別邸に電話をかけていた。
結月の母親である阿須加 美結と話せば、相変わらずな対応にレオは呆れかえる。
娘が熱を出して寝込んでいるのに、そんなこと?
あまりの反応に、怒りが込み上げてきた。
「相変わらず、最低な親だな」
喉からでかかった言葉をグッとこらえ、電話を切ったレオは、執事として有るまじき言葉を発した。
こんなところを聞かれたら確実にクビだ。
だが、あいつらの結月に対する態度は、さすがに目に余るものがある。
一言でも、優しい言葉をかけてあげるのが、親というものだろうに、口を開けば
『なんのために、そんなに使用人がいると思ってるの! あなたたちで何とかして!』
と、娘のことは、全て使用人に丸投げ状態。
よくあんな親から結月が生まれたものだ。
澄んだ泉のような結月と、腐った泥水のような両親。まさに雲泥の差。
つくづく、結月が、あの親に育てられなくてよかったと思う。
「五十嵐さん」
「……!」
すると、お嬢様の元にいた恵美が戻ってきたらしい。執務室にやってきた恵美を見て、レオは、すぐさま問いかけた。
「お嬢様は?」
「今、熱が38度もあって、今日は一日安静にしてとのことでした。先程、薬も頂きましたので、お嬢様にお昼をお持ちしたあと、薬を飲ませようかと」
「それなら、私がお持ちします」
「え、でも、お嬢様のお世話は、私の」
「いえ、元はと言えば、私がお嬢様の体調不良に気づけなかったのが原因です。悪化させてしまったお詫びに、私に看病をさせてください」
「そんな、五十嵐さんが気にする事では」
「気にしますよ。朝のうちに気づいていたら、高熱を出すこともなかったかも知れません」
「そうですけど……わかりました、それで、五十嵐さんの気がすむなら」
「ありがとうございます」
なんと、まぁ、ちょろいこと!
相原は、素直で情に脆いため、このように頼み込めば、すぐに言うことを聞いてくれる。
きっとこれが、矢野だったら、こうはいかない。
「では、あとは私が──」
その後、レオは、執務室をあとにし、シェフが作ったリゾットと水の入ったピッチャーとグラスを銀のプレートの上に乗せ、すぐさまお嬢様の部屋に向かった。
ノックをして中に入れば、ちょうど医者が帰ろうとしていて、レオは軽く会話をし見送ったあと、結月に声をかける。
「お嬢様、お食事をお持ち致しました」
二人きりになり、改めて結月を見れば、結月は、ベッドの中で苦しそうにしていて、レオは少しばかり不安になる。
赤い頬と荒い呼吸。医者には、環境の変化によるストレスもあるだろうと言われた。ここ最近、結月の身の回りに起きたストレスと言えば、やはり、あれだろう。
父のようにしたっていた斎藤が、突然いなくなってしまったこと。
(こうなったのも、俺のせいか……)
結月にとっては大切な家族。その斎藤が突然いなくなってしまったという事実は、結月にとっては、心身に不調をきたすほど重いことだったらしい。
だが、今更、事態は変わらない。斎藤は戻ってこないし、他の使用人たちも、いずれ追い出す。
だからこそ、結月の心を、自分でいっぱいにしないといけない。
例え、忘れられていても、俺意外の人間など見向きも出来なくなるほどに、その心を全て埋め尽くさなくては──…
「お嬢様、起き上がれますか? お辛いでしょうが、少しでも食事をとってから、お休み下さい」
「ん……でも、あまり食べたく……ないわ……っ」
その後、レオはサイドテーブルにプレートを置くと、結月に食事をとるよう促すが、結月はあからさまに嫌そうな顔をした。
先程より熱が上がっているのか、起き上がるのも辛いのかもしれない。嫌だと言う結月を見て、レオは、仕方なしにベッドに腰かけると、その華奢な体に触れ、結月を優しく抱き起こす。
「食べさせてあげますから、少しでも召し上がってください」
「た、食べさせてって……なに言ってるの?」
執事の言葉に、結月が困惑した表情を浮かべた。
さすがに食べさせてもらうのは恥ずかしいし、申し訳ない。
だが、レオは有無を言わさず、結月の肩を抱きよせると、ひと匙すくったリゾットを、結月の口元に持っていく。
「どうぞ。あーんしてください」
「な……、あーんって」
「熱くはありませんよ。適温に冷ましてまいりましたので。それに、私はお嬢様の家族です」
「家族?」
「はい。具合が悪い時は、家族にめいっぱい甘えていいんですよ」
「……っ」
そう言って微笑めば、その家族という言葉に思うところがあったのか、結月は恥じらいながらも、リゾットを口にした。
「食べられそうですか?」
「ん、少しなら」
レオに寄りかかりながら、なんとかリゾットを食べてくれた結月。それを見て、安心したレオは、二口目を救いあげ、また口元に運ぶ。
そして、時おり水分を摂らせながら、それを何度か繰り返せば、リゾットを半分ほど食したあと、薬を飲ませた。
白い粉薬を、結月の口に入れ込んでやれば、その苦い味に結月が顔を歪めた瞬間、すぐに水を飲ませ、喉の奥へと流し込む。
「けほっ、けほ……っ」
「大丈夫ですか?」
「に、苦い」
「薬ですからね。でも、直に効いてきます。氷嚢も新しいものに変えましょうか」
「うん……ありがとう。でも、それが終わったら、仕事に戻っていいわよ」
「え? 何をおっしゃるのですか。今日は、ずっと、お嬢様のお傍に」
「ダメよ、忙しいでしょ。もう子供じゃないし、私は、一人で大丈夫。それに、五十嵐が、ずっと傍にいたら、落ち着いて眠れないわ」
「……っ」
そう言われてしまえば、レオは何も言えなくなる。
結局、その後、レオが結月の傍にいることは叶わず、レオは不安を抱えながらも、結月の部屋を後にした。
✣
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✣
そして、一日はあっという間に過ぎ去り、夜を迎えた。
あの後から、こまめに結月の様子を見にいったが、薬が聞いているのか、よく眠っているようだった。
体温も、昼間計った時と比べると、少しさがり、呼吸も落ちついてきたようだった。
「五十嵐さん、今夜は本館で休むのですか?」
「はい。夜中にお嬢様に呼ばれる場合もありますし、すぐに駆けつけられるように」
だが、やはり心配なのは変わらず、恵美の言葉に、レオは、当然とばかりに答えた。
使用人用の別館からだと時間もかかる。もう、大丈夫だとは思うが、万が一結月になにかあれば、悔やんでも悔やみきれない。
その後は、屋敷の戸締りをすると、レオは改めて、結月の部屋に向かった。
起こさないようノックもせずに扉を開ければ、案の定、結月は眠っているようだった。
だが……
「ん、ぅ……っ」
「お嬢様?」
どこか苦しそうな声が聞こえて、レオは慌てて結月の元に駆け出した。
みれば、結月は苦しんでいると言うよりは、うなされているようだった。
泣きそうになりながら、シーツをきつくと握りしめているのがわかって、レオは、すぐに結月の手をとり、握りしめた。
「結月」
なにか、悪い夢でも見ているのかもしれない。
名前を呼んで、頭を撫でてやると、結月はレオの手を、きつく握り返してきた。
強く強く握り締め、決して離そうとしない結月。それを見て、レオは苦笑する。
「だから、傍にいるって言ったのに」
痩せ我慢して、いい子を演じて、本当は傍にいて欲しいのに、その思いは、決して口にしない。
「家族がほしい」と幼い頃に願っていながら、使用人たちを家族と称していながら、その家族に遠慮をしているのは結月の方だった。
「早く、その心を、俺に開いて──」
遠慮なくわがままを言って、他愛のないことで、笑いあって、また、あの頃の結月を見せて欲しい。
例え、記憶をなくしていても、また俺を愛して、その寂しいと嘆く心を、俺にだけは預けて欲しい。
家族として、恋人として──
「愛してるよ、結月」
優しく髪を撫でて、狂おしいくらいの愛を囁けば、結月がかすかに身じろいだ。
やっと再会できた、愛しい人。
あの日から、ずっと待ちわびていた、大切な人。
例え忘れられても
俺は君との約束を、絶対に忘れない。
あの日の誓いを、絶対に叶えてみせる。
「ずっと傍にいるよ。俺たちは、家族なんだから……」
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「ん、……」
朝の光に反応して、結月が目を覚ませば、重苦しい体は、不思議と軽くなっていた。
薬が効いたのか、熱が下がっているのがわかる。
(もぅ、朝……なのね)
嫌な夢を見た。幼い頃の夢。
熱が出て弱り果てた私に、両親が辛辣な言葉ばかりかけてくる夢。
私は、そんな両親の言葉に泣いてばかりいて、辛い心を必死に押し殺して、いつも一人で病と戦っていた。
だけど、それが、途中から優しい夢に変わった。
泣いている私に、誰かが駆け寄って来てくれた。
頭を撫でて、手を握りしめて「愛してる」と「ずっと傍にいる」と、囁いてくれた。
そんな、優しくて──幸せな夢。
「え……?」
だが、その瞬間、自分が何かを握りしめているのに気づいて、結月は目を見開いた。
白い手袋をした、誰かの手。それを、キュッと握りしめたままの自分に、ひどく困惑する。
私、何してるの? この手は……誰?
「お目覚めですか? お嬢様」
「……っ」
瞬間、声をかけられ顔をあげれば、ベッドに腰かけ、こちらを見下ろしている執事と目が合った。
一睡もしていないのか、少し眠そうな顔をしと微笑む執事の姿に、結月は瞠目する。
「な、なんで、五十嵐が……! もしかして、一晩中ここにいたの!?」
「はい。お嬢様が、離して下さらなかったので」
「だ、だからって……手なんて振り解けばいいじゃない!」
「できませんよ」
「……え?」
「寂しいと泣くお嬢様の手をふりほどくなんて、私には出来ません」
「……っ」
その瞬間、繋がった手に力がこもった。決して離さないとでも言うように、レオの手が優しく結月の手を包み込む。
「さ、寂しいなんて……私、そんなこと言ったの?」
「はい、いかないでと、泣きじゃくっていましたよ」
それは、半分嘘で、半分本当。もう遠い昔の話だけど、幼い結月は、別れ際に泣いていた。
寂しい──と、いかないでと。
あの日、離してしまった手を、もう二度と話したくないと思う。俺たちは、寂しさを埋めるために、愛しあったようなものだから……
「手を繋いであげると、安心されたようでした。なにか悪夢にうなされていたようでしたが、ご気分は、いかがですか?」
「そ、そう……ありがとう、ごめんね。もう、大丈夫よ」
「では、なにか温かいお飲みをお持ちしましょうか。それとも、まだこのままでいたいですか?」
「え?」
このままといわれ、繋がった手に視線が向いた。
結月は、その手を見て、顔を真っ赤にすると
「ご、ごめんなさい! ずっと握ったままで!」
「いえ、むしろ、お嬢様のお傍にいられて、私は幸せでした」
「え?」
「寂しがり屋なお嬢様のことは、私が嫌というほど、甘やかして差し上げますので、今日もたっぷり、看病させて頂きますね」
「……っ」
顔を近づけられ、優しく微笑まれると、結月はまた頬を赤くして
「か、看病って、もう治ったわ!」
「治ってはおりませんよ。まだ、少し熱があるようですし」
「な、なんで、わかるの!?」
「わかりますよ。私は、お嬢様の家族ですから」
「か、家族……」
その言葉に、夢の中のことを思い出した。
誰がが、手を握ってくれた。
「愛してる」と囁いて「ずっと傍にいる」と言ってくれた。
俺達は、家族なんだから──と。
(あの言葉、もしかして、五十嵐が……?)
本当に夢だったのだろうか?
まるで、現実のような、ハッキリとした夢だった。温もりも、感触も、匂いすら感じるような。
でも……
(そんなはず、ないわよね?)
愛してるなんて、ずっと傍にいるなんて、そんなこと、五十嵐が言うはずない。
だって、五十嵐は
私の"執事"なんだから──…
病床の中、うつらうつら見た夢は
とても優しい夢だった。
でも、それが夢ではなく
現実だったと、お嬢様が気づくのは
まだまだ、先のお話のようです。
番外編.end
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