3.聖夜の猛攻

第190話 餅津木家


「お嬢様、そろそろ、お出かけのお時間でございます」


 12月24日の夕刻。

 屋敷の中には、美しく着飾った結月がいた。


 長い髪を編み込み、品よくまとめあげた髪には、ブルートパーズが埋め込まれた髪飾り。


 そして、身を包む衣装は、職人が美しく編み上げたオフホワイトのレースワンピース。


 更に真珠のイヤリングと、胸元にブローチをあしらえば、まさに見本とでもいいたくなるような清楚で品のあるお嬢様ができあがった。


「おかしくないかしら?」


 執事に呼びかけられ、結月が首を傾げつつ顔を向けた。

 レオが髪を仕上げたあと、着付けをするためメイドの恵美を呼び寄せると、レオは出かける準備をするため部屋を出たので、こうして着替えが終わった結月を見るのは初めてだった。


 よく見れば、頬にはうっすらとチークが入り、化粧をしているのも分かる。


 婚約者の屋敷に、これから出向くとなれば、身だしなみには、いつも以上に気を使ったことだろう。


 だが、それを分かってはいても、この麗しい姿が、全て着付けられたものだと思えば、どうにも虫の居所が悪くなってくる。


「どこもおかしい所は、ありませんよ。今日のお嬢様は、いつもに増してお美しいです。できるなら、誰にも見せたくはないですね」


「もう、そんなこと言わないで。今日は、餅津木家に招かれて」


「わかっていますよ。でも、嫌なものは嫌なんです」


 珍しく拗ねたような声を発すれば、レオは結月の元に歩み寄り、その唇にキスをしようと、すっと顎を持ち上げた。


「ちょ! ちょっと、ダメ!!」


 だが、それを、すんでの所で結月が塞き止める。


 口元を手で塞がれ、あからさまにキスを拒否する結月。その反応に、レオはおもむろに眉を顰めた。

 

「なんで、ダメなんだ」


「だ、だって、口紅つけた後なんだもの。キスなんてしたら……」


 なるほど。つまり、口紅が取れるのを嫌がってのことらしい。確かに、化粧を終えた女性にとっては避けたいことかもしれない。


 だが、レオは……


「大丈夫ですよ。口紅は、また塗り直してあげますからね」


「え?」


 瞬間、有無を言わさず、唇を塞がれた。


 あっさり腰に手を回され抱き寄せられれば、結月も始めこそ抵抗したが、その後、大人しくレオのキスを受け入れ始めた。


 甘い吐息と同時に、熱い舌が絡む。


 そして、その口付けが深くなればなるほど、あの日のことを思い出してしまう。


 数日前、身体を繋げて愛し合った、あの夜のことを──


「ん……っ、レオ」

「顔赤いけど、なにか思い出した?」

「な、なにかって」

「あの夜のこと?」

「……っ」


 からかい混じりに囁けば、結月が、図星とばかりに頬を赤らめた。あの夜、狂おしいほどに愛された記憶は、今も身体の奥に、しっかり刻まれていた。


 初めての夜は、とても優しくて、それでいて激しい夜でもあって、こうしてレオの熱を感じる度に、思い出してしまう。


 だが、それはレオも同じだった。


 あの夜、結月を抱いてから、どうにも歯止めが効かない。自分でもあきれるくらい結月を求めるようになって、時間が許すなら、このまま服を乱して、色濃く自分の跡を刻みつけたいくらいだ。


 だが、さすがに、それをするほどの時間はなく──


「俺のつけた跡、まだ残ってる?」

「の、残ってる……けど」

「どこに?」

「む、胸と……太ももに」

「そう」


 我ながら、分かりやすい所につけたものだ。

 レオは、数日前の自分に呆れつつも、クスリと笑みを浮かべた。


 この純血さを映し出すような純白のワンピースの下には、自分が残したキスマークの跡が残ってる。


 それを思うと、不思議と嬉しさが込み上げてくる。もし、その跡を、冬弥が見たらどんな顔をするだろう。それには、少し興味があった。


 だが、その跡を見られるということは、結月に危険が迫るということ。そして、それだけは、絶対に起こってはいけないこと。

 

「結月、俺が教えたことは、全て頭に叩き込んだ?」


「うん、大丈夫よ。心配しないで」


 名残を惜しむように、レオが結月をきつく抱きしめれば、結月もまた、不安がるレオを抱きしめた。


 クリスマス・イブの夜。

 結月は、餅津木家に招かれた。


 婚約者である餅津木 冬弥と、一夜を共にするために。


 そして、その夜は、初めて執事が、お嬢様の傍を離れる夜でもあった。











      第190話 『餅津木家』









 


 ✣✣✣



「ようこそ、お越しくださいました」


 阿須加家の屋敷から、車で一時間ほど離れた郊外に、餅津木家の屋敷はあった。


 レトロで趣のあるその屋敷は、結月が暮らす西洋風の阿須加の屋敷とは、また違う雰囲気だった。


 日本古来の門構えや外観は残しつつも、中にはテーブルにソファーと、近代的な家具が揃っていた。


 所謂、明治のころを思わせるようなハイカラな雰囲気の屋敷。正直、ショッピングモールを営む餅津木家には、あまり似つかわしくない屋敷だった。


「やぁ、いらっしゃい、結月さん」


 午後6時──結月を先導に、執事と共に屋敷の中に入れば、奥の部屋から冬弥が話しかけてきた。


 身なりをしっかり整え現れた婚約者に、微かに心中をざわつかせながらも、結月は丁寧に挨拶を返す。


「本日は、お招きいただきありがとうございます」


「こちらこそ、来てくれて嬉しいよ。それに、今日は、一段と綺麗だ!」


 美しく着飾った結月をみて、冬弥が顔を綻ばせる。

 デートと言っても、今日は両親を混じえての会食も兼ねていた。だからか、両親の前にでても申し分ない、その清楚さと奥ゆかしさを兼ね備えたコーディネートに、冬弥はおもわず感嘆する。


 前にパーティーで見た赤いドレス姿もよかったが、こちらは、また格別美しい。むしろ、あまり肌を露出しない、こちらのワンピースの方が、結月の良さを格段に引き立てている。


「あの、結月様のお荷物は、こちらですか?」


 すると、そんな二人の傍らで、メイドたちが、執事に声をかけた。


 結月の背後に控えたレオの手には、大きめのトランクがひとつと、バイオリンの入ったケースがひとつ。


 そして、荷物をメイドに預ければ、もう執事の役目は終わる。できるなら、少しでも長く結月の傍に付き添いたいが、このまま奥へ進めば、冬弥は嫌がるのだろう。そう思うと、レオは素直に、荷物をメイドに手渡した。


「お気遣いありがとうございます。少々重いのですが、大丈夫でしょうか?」


「はい、大丈夫──て、重!?」


 着替えなどが入ったトランクを差し出せば、予想外の重さに、餅津木家のメイドがそれを落としそうになった。


「おい、なにやってる!」


「も、申し訳ありません、冬弥様!」


「俺に謝ってどうする。結月さんに謝れ!」


「は、はい! 申し訳ございません、結月様!」


「いいえ。冬弥さん、怒らないであげてください。ごめんなさい、重いですよね。一晩お世話になるとなると何かと物入りで……うちの執事に運ばせましょうか?」


「だ、大丈夫です! それに女性の荷物が重くなるのは、当然のことです! 結月様のお荷物は、私たちが、丁重にまでお運びしますので!」


「…………」


 冬弥様の──その言葉に、今夜泊まる部屋が、冬弥の自室だということを示される。


 もちろん、覚悟はしてきた。だが、直接言われると、更に身が引き締まる思いがした。


 今夜は、執事のいないこの屋敷で、二人きりで過ごすのだ。


 目の前の"冬弥この男"と──


「結月さん、今夜は俺の部屋で過ごすけど、大丈夫かな?」


 すると、冬弥が念押しするように、問いかけてきた。


 「大丈夫か」とは、なかなか紳士的な質問だ。


 なぜなら、結月と冬弥は、まだ婚姻前。結納すらすませていない男女が、同じ部屋で一夜を過ごすなど、本来なら、ありえない。


 だが、親同士が決めた、"あの条件"がある限り、この二人に、そんな常識は通用しない。


 ならば、この言葉を鵜呑みにしていいはずがない。なぜなら、返事は一つしかないのだから……


「はい。大丈夫です」


 柔らかく笑って返せば、結月の背後で、レオが静かに目を細めた。


 敵地の中でも、その凛とした姿勢を崩さない結月の覚悟は本物だ。


 なら、自分は、そんな結月を信じて待つのみ──


「冬弥様。結月様のこと、宜しくお願い致します」


 全く宜しくなんてしたくないが、執事として振る舞わなくてはならないレオは、冬弥にむけて改めて頭を下げた。すると冬弥は


「あぁ、ゆくゆくは妻になる人だ。丁重に扱うよ」


「結月様が外泊をなさるのは、初めてのことでございます。何かございましたら、すぐに阿須加家にご連絡ください」


「あぁ、君はもう帰るんだろ」


「はい。──それでは、お嬢様。また明日の朝、お迎えに上がります」


「わかりました。五十嵐、屋敷のことは頼みますね」


「はい。心得ております」


 恋人だと勘づかれぬよう、淡々とお嬢様と執事として会話をすれば、その後、一礼したのち、レオは、餅津木家を後にする。


 そして、去っていくレオの後ろ姿を見つめながら、結月は、改めて覚悟する。


 いつも助けてくれる執事は、もういない。

 ここからは、自分でなんとかしなきゃいけない。


 レオを、悲しませないためにも──


「じゃぁ、行こうか、結月さん」


 冬弥が語りかければ、結月はその後、婚約者らしい笑顔を張りつけたのち


「はい、宜しくお願いします」


 と、可愛らしく笑いかけた。

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