第189話 愛


※注意※


前回に引き続き、ちょっと大人な回です。

ご注意くださいませ。




✣✣✣✣✣✣✣✣




「じゅ、準備って、何をしてきたの?」


 結月は、レオから顔をそらすと、あからさまな時間稼ぎを始めた。


「え?」


「その、小説の中では、男性が準備するシーンなんてなかったから、何をしていたのかなって?」


「………………」


 結月が、恥じらいつつそう言えば、レオは何事かと眉をひそめた。


 結月の言う小説とは、前に有栖川から借りた、あの官能小説のことだろう。確かに、あの日、レオが確認した限りでも、そのようなシーンは一切描かれてなかった。


 というか、基本端折られるだろう。

 物語の世界では……


「知りたいの?」

「う、うん」


 だが、どうやら、うちのお嬢様は、こんな時でも好奇心の方が勝ってしまうらしい。とはいえ、知らないなら、教えてあげるべきだろう。


 結月の知識のほとんどは、本によるもの。

 だが、本を読むだけではわからないことも、世の中には沢山ある。


「そうだな。シャワーをあびたり、爪を切ったり」


「爪?」


「あぁ、結月の身体に、傷をつけるわけにはいかないだろ」


「あ……」


 一瞬あっけに取られ、結月は、改めてレオの指先を見つめた。すると確かにレオの指先は、爪が綺麗に整えられていた。


(そっか、私のために……)


 身体に傷をつけないよう、わざわざ整えてきてくれたのだろう。なにより今日は、その手で、直接ふれられるのだと思った。


 普段は、執事らしく手袋をしているレオ。

 だからか、直接触れられたことは、まだ数えるくらいしかないのに……


(なんだか、余計に緊張してきちゃった)


「それに、結月は、を欲しいとは思ってないだろ」


「え?」


 すると、更に言葉は続き、レオが結月を伺うように見つめた。

 いきなり『子供』などといわれ、一瞬驚いた。だが、その言葉に、結月はあることを察すると、あからさまに頬を赤らめた。

 

「あ、あ、そ、そういう準備!?」


「うん、そういう準備」


「そ、そうよね。大事なことだし……でも、どうして私が子供を欲しくないってわかったの?」


 再度、不思議そうに結月がレオを見あげれば、レオは半年ほど前のことを思い出した。


「前に言っていただろ。阿須加家の血を、子供に受け継がせたくないって」


「あ。あれ、覚えてたの?」


「覚えてるよ。執事の子供は欲しくないとまで言われたら」


「うっ……」


 記憶がなかった頃とはいえ、少し申し訳ないことをしたと思った。


 その話を結月がしたのは、レオと恵美と共に、ショッピングモールに、参考書を買いに行った時のことだった。


 文庫本の中のお嬢様が、執事の子供を宿して終わるという結末に、結月はあまり納得が出来なかった。


 自分に置き換えたら、とてもじゃないが喜べなかったのだ。好きな人の子供を授かったお嬢様は幸せでも、執事の子として生まれた子は、きっと一族中から蔑まれる。


 そして、それは、果たして幸せだろうかと……レオに話してしまった。


「べ、別に、レオの子がほしくないわけじゃないのよ。でも、あの時、言ったことは本心。この阿須加家は歪んでるわ。だからこそ、この血を子供に受け継がせていいか、まだよく分からないの。それに、私は、親にまともに愛されてこなかったの。そんな私が、ちゃんと子供を愛せるのか……っ」


 自信がなかった。


 愛されてこなかったからこそ、もしも自分が、あの親と同じように、我が子を傷つけてしまったら……


「でも……レオは、どうなの? やっぱり子供はほしい?」


 だが、それは、あくまで自分の気持ちだった。


 レオはどうなのかと問いかければ、レオもまた、素直に想いを話し始める。


「そうだな。欲しいかどうかを問われたら、欲しいかな。結月との子なら、可愛くて仕方ないだろうね。でも、子供のことは、二人の問題だよ。結月が望まないなら、俺も望まない」


「……でも」


「結月、しばらくは二人だけで過ごそう。ゆっくりと、これまで会えなかった時間を埋めるように、ただ愛し合うだけの時間。それに、愛されて来なかったというなら、その分、俺が愛してあげるよ。嫌という程ね──」


「ん…っ」


 ちゅ──と頬をキスを落とされれば、その甘い感覚に、身体は素直に反応する。


 頬に触れた唇の感触は、どこかもどかしく、だが、キスに慣らされた身体は、自然と熱を持ちはじめた。そして、そんな結月の反応を確かめながら、レオは唇は、次第に頬から耳へ。


「ぁ、レオ……っ」

「耳弱いの?」

「わ……わかん、ない」

「そう。じゃぁ、こっちは?」

「きゃッ」


 耳を甘噛みしながら、空いた手が、スルリと太ももに伸びた。ナイトドレスの上から、決して肌には触れないように。


 だが、今まで一切触れられなかった場所に触れられたからか、結月は顔を真っ赤にし、ドレスの裾を押さえつけた。


「ま、待って……っ」


「うん、待つよ。でも、こんなことで恥ずかしがっていたら、先には進めないけど」


「そうだけど……っ」


 服越しに触れられただけなのに、体がおかしくなりそうだった。出したくもない声が、無意識に漏れて、羞恥心でいっぱいになる。


 もしも、この先に進んでしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。


「お嬢様」

「え、あ……っ」


 すると、いきなり執事口調になったかと思えば、今度は、結月の首筋に口付けながら、レオがまた肌に触れはじめた。


 次は、太ももでなく脇腹を撫でられて、擽ったさも相まってか、結月の口からはあられもない声が響く。


「ん……レオ、そこ……ッ」


「気持ちいいのですか?」


「ち、違……擽ったい……の! それより、なんで執事の」


「さっき、と仰ったでしょう?」


「そ、そうだけど……ん、ちょ……んんっ」


「お嬢様、声を我慢しないでください」


「だ、だって……っ」


「大丈夫ですよ。誰も聞いてはおりません。今夜は、私とお嬢様の二人きりですから」


 ──だから、もっと、その可愛らしい声を、聞かせてくださいね?


 そう、耳元で囁かれれば、体の奥が疼いた。


 あくまでも執事として、礼儀正しく返されて、なんだか、いけないことをしているような気がした。


 いや、実際にいけないことをしているのかもしれない。執事と愛し合うなんて──


「ねぇ、しばらくって、どのくらい?」


 すると、結月が、あからさまに話題を変えた。


 気を紛らわそうとしているのか、それとも恥ずかずによるものか、そんな結月に、レオは苦笑しつつも、あっさり執事モードから、切り替える。


「二人だけの時間のこと? そうだな、10年は欲しいかな」


「じゅ……10年!? でも、そんなにたったら、子供が欲しいと思った時には、もう授からないかもしれないわ。レオも知ってるでしょ。お父様とお母様には、なかなか子供が出来なかったの。なら、私も授かりにくい身体なのかも……っ」


「それなら、それでもいいよ。俺は一生、結月と二人きりでも構わないよ」


「でも……っ」


「結月、子供は"授かりもの"だよ。仮に俺たちの身体になんの問題がなくても、授からない場合もあるし、授かっても、生まれて来れない子供もいる。子供はね、たくさんの奇跡が重なって、初めてこの世に生まれて来れるんだ。世間が、当たり前に産んでいるからと言って、それは、決して当たり前のことじゃないんだよ。だから、仮に子供に恵まれなくても自分のせいにしなくていい。それに、俺も少し不安なんだ」


「不安? レオが?」


「うん、俺の母親は、俺を産んだ次の日に、亡くなってしまったから──」


 一度、離れると、レオは結月をみつめて、悲しそうに微笑んだ。


 父が残した『黒革の手帳』には、母を亡くした悲しみが、たくさん記してあった。そして、今になって、父の悲しみを理解することができた。


 もしも結月が、母と同じように、突然、俺の前からいなくなってしまったら、そう考えたら、不安で仕方なかったから。


「だから、今は子どものことは考えなくていい。いつか先の未来で、二人の生活が落ち着いて、結月が子供を愛せると思えるようになったら、その時考えよう」


 今はまだ、その時じゃない。


 大切な人だからこそ

 大切な人との子どものことだからこそ


 落ちていた環境で育みたい。


 それに、子供が出来たら、きっと結月を独り占めにすることはできなくなるから……


「だから、今は俺だけ見て? 俺に、愛されることだけを考えて──」


「……んっ」


 再び唇にキスを贈れば、文字通り、深く愛を注ぎ込んだ。


 包み込むような優しい口付けは、まるでチョコレートのように甘く、呼吸の合間に奏でる吐息は、繊細な音楽のよう。


 先に進むのを恥じらう結月には、しばらくキスだけで体をならした。


 すると、次第に体の力が抜けて、レオはそれに気づくと、そっと結月の髪を撫でたあと、優しくベッドに横たえた。


 ギシ──とスプリングが弾み、レオが結月の上に覆い被さる。


 真っ白なナイトドレスと、真っ黒な燕尾服は、酷く対照的で、こうして執事がお嬢様を押し倒す姿は、まるで小説の一説のよう。


 だけど、自分たちは、ずっとこの関係を望んできた。心だけでなく、身体ごと一つになる、この瞬間を──


「……始めていい?」


 組み敷いたあと、結月を見下ろし、レオが問いかければ、結月はレオを見上げながら、先程のレオの言葉を思い出していた。


 ──愛されることだけを。


 この行為は、これまでの結月にとって、義務のようなものでしかなかった。


 いつか、父が決めた顔も知らない婚約者と、一族のために子供を──跡取りを授かるための行為。


 きっとそこに愛はなく、ただ、されるがまま、好きでもない男を受け入れるだけだと思っていた。


 そして、それが阿須加家の娘として生まれた、自分の役目。


 だけど、今は、娘としての役目も、跡取りのこともなにも考えず、ただ好きな人に愛されるためだけに、この行為があるのかと思うと


  なんだか、急に涙が溢れてきた。


「……っ」

「やっぱり、怖い?」


 急に泣き出した結月を見て、レオが心配そうに、頬に触れた。

 

 直接ふれた指先の熱に、また涙が止まらなくなった。


 レオは、こんなにも、私の体をいたわってくれる。傷つけないように、怖い思いをさないように、少しの不安も持たせないよう、己を律して接してくれる。


 こんなにも素敵な人に愛されていることが、嬉しくてたまらない。


 レオに出逢えたことが、嬉しくてたまらない。


 勿論、不安がない訳じゃなかった。

 破瓜はかの痛みは、どれほどのものなのだろう。


 知らないからこその恐怖や不安も、確かにあった。


 だけど、もう大丈夫。

 レオが相手なら、何も怖がる必要はない。


「うんん、嬉しいの。あなたに、愛されていることが」


 もっと、たくさん愛してほしい。


 体の奥まで、あなたを刻み込んで、忘れられない夜にしてほしい。


 もう、あなたなしでは、生きられなくなるくらい。


 二度と、あなたを忘れられなくなるくらい。



 あなたと、心から愛し合いたい。



「レオ──」


 そっと両手を伸ばし、結月が迎え入れるような仕草をとれば、それ合図に、また甘い口付けが落ちてきた。


 呼吸すら忘れさせるほどの激しい口付けがつれてきたのは、二人共に生きると誓う、契りの夜。


 何もかも捧げて、彼のものになる、覚悟の夜。



 誰もいない屋敷の中。

 二人は、密かに愛し合う。


 時間を忘れ、呼吸を合わせ、幾度と肌を重ね、深く深く、愛を刻み合う。


 ──お嬢様と執事。


 そんな関係が、深く脳裏に染み付きながらも、揺らめく小さなあかりが照らす世界は、とても美しく、狂おしいくらいの愛に満ちていた。


 

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