第183話 お気に入り
「よかったですね。あなた不細工だったら、執事として採用されてませんよ」
「え?」
あまりの衝撃に、軽く身震いがした。
確かに、執事の採用試験や面接を受けた時は、まだ帰国したばかりだったし、若く経験も浅いために、執事として力量を図るのは、その時点では難しいだろう。
だが、まさか顔がいいからという理由で、執事として選ばれていたなんて!
「……そうなんですね」
「はい。芸能人の誰に似てるだとか、昔助けてもらった男に瓜二つだとか、色々仰ってましたが……まぁ、要するに、あなたの顔がお気に入りなんです。だから、いつかは、ホテルのコンシェルジュとして引き抜くか、ご自分の執事にするつもりで採用したのではないでしょうか。でなくては、前任の執事の不祥事があったにも関わらず、お嬢様のお側に、あなたのような若い執事を置くとは思えませんし」
「………」
戸狩の話を聞きながら、今こうして計画が順調なことに、レオは改めて感謝する。
この計画を遂行する上で、一番初めに訪れる難関が、この阿須加家の執事として採用されなくてはならないことだった。
阿須加の使用人の人事に関しては、先に日本に移住していたルイを通して、こまめな報告を受けていた。
だが、名家の使用人なんて、そう簡単に変わるものではない。だからこそ、執事に限らず、使用人の募集がかけられた時点で、すぐさま行動に移し、何としても屋敷の中に紛れ込む算段をたてた。
だが、これだけのスキルを身につけてきたというのに、採用の理由が『スキル』ではなく『顔』とは、さすがのレオも言葉をなくした。
(どこまで、
今こうして、結月の傍にいられるのは、この顔のおかげ!
これは、美形だった父と、その父そっくりに生んでくれた母に、感謝しなくてはなるまい!
「それでは、五十嵐さん。次の仕事に移りましょうか」
すると、一仕事終えたかと思えば、また次の仕事がやってきた。
「はい。次は、どのような?」
「奥様が可愛がっている猫を、お風呂に入れます。猫の扱いはご存知ですか?」
「はい、心得ております」
にっこりと笑顔を張り付けて、従順な執事を演じる。だが、内心は
(なんで俺が、ルナ以外の猫の世話をしなきゃならないんだよ)
ルイの家で待っている可愛い愛猫の姿を思い出しながら、レオはひたすら心の中だけで、愚痴をこぼすのだった。
✣
✣
✣
「んにゃー!!」
一方、ルイの腕の中では、黒猫のルナが泣きわめいていた。
まるで、威嚇するように発せられたルナの声は、ルイの家に尋ねてきた来客へと向けられていた。
昼過ぎにやってきた来客は、40代の主婦であり、高校生の息子を持つ二児の母。まるで、御局様のような風格に満ちた彼女は、元・メイド長である、
「ルナちゃん、矢野さんは敵じゃないよ」
「五十嵐さんの言っていた猫って、この子のことですか?」
「うん、ごめんね。人見知りが激しくて。懐くまでは、いつもこんな感じかな?」
興奮気味のルナを『大丈夫だよ』とあやしながら、ルイは、矢野が手にした荷物を見つめた。
「これで、生活に必要なものは、あらかた揃ったかな?」
「そうですね。それより、住居の手入れは、どうなったのですか?」
「あーそれも、この前、斎藤さんが話に来たよ。来週、クリスマス前にみんなで行って、一気に修繕と掃除を終わらせようって……もう何年も空き家だったらしいから、住める状態にするまで時間がかかるとはいってたけど、大人数ですれば、二日でなんとかなるんじゃないかな?」
「そうですか」
「斉藤さんの奥さんも、最期に生まれ育った実家を見ておきたいってからって、一緒についてきてくれるみたいだよ。あとコックさんの彼氏も手伝ってくれるって」
「それは、冨樫から聞きました。あの二人が復縁したのは、裏で五十嵐さんとあなたが、手を回していたからだとか」
「あー、聞いたんだ。まぁ、使用人みんな追い出さないと、レオの計画がすすまなかったからね。ごめんね、無理やり追い出すようなことしちゃって」
にこやかに笑いつつもルイが謝れば、矢野は一つ息をつき、逆に頭を下げた。
「いいえ、結果的に、私たちは救われました。きっと来年の春には、お嬢様が餅津木家に移ると同時に、一斉に解雇されていたでしょうし、私の場合、息子の大学進学も、五十嵐さんに言われなければ、きっと知らないまま、あの子は就職していたでしょう。二人のおかげで、私の家族は変わらずに安定した生活ができています。それに息子も、夢を諦めずにすみました」
「そういえば、息子君の夢ってなんなの?」
腕の中で落ち着いたルナが、グルグルと喉を鳴らせば、ルイはその喉を撫でながら問いかける。すると、矢野は少しだけ誇らげな顔をしたあと
「うちの次男、片腕が不自由なんです」
「え?」
「幼い頃に、ジャングルジムから落ちて、腕を骨折して、それから片腕が上手く動かせなくなって、浩史はそれを、ずっと気にしていたみたいです。『俺が、ちゃんと見ていれば、弟の腕は、あんなふうにならなかったのに』と……だから、工業系の大学に行って、体が不自由な人たちが、少しでも便利に暮らせるよう、もっと性能の良い義手や義足を開発する仕事に就きたいといっていました。まさか、あんなに浮ついてばかりいた浩史が、そんなこと考えていたなんて、思いませんでしたが……」
普段は、手厳しい矢野の顔つきが、すっかり母親の顔に変わっていた。
立派に成長しようとする息子の姿に、胸を熱くしているのかもしれない。そんな矢野の姿をみて、ルイもまた目を細める。
「そう……それは、とっても素敵なお兄ちゃんだし、立派な志と夢を持ってるね」
弟のため、体の不自由な人のため、進みたいと思っていた道。でも、それを諦めようとしていた彼の将来を、レオは結果的に救ったのだろう。
「浩史も、五十嵐さんには感謝しておりました。それに、私の今の転職先を見つけてくれたのは、ルイさんだそうですね。その節は、ありがとうございました」
「あー、僕はいいよ。あくまでも紹介しただけだし、採用されたのは、矢野さんの実力だよ。それより、この前、話した計画についてだけど、うまくやれそう?」
すると、ルイがおどけつつも話題を変えれば、矢野は、少しあきれた顔をした。
「本気なのですか? はじめ聞いた時は、冗談かと思いましたが」
「まぁ、それは僕も思ったけどね、でも本気みたいだよ」
「そうですか……お嬢様は、相変わらずお優しい方ですね」
「確かに、非情になりきれないのは、結月ちゃんのいい所で、同時に悪い所でもあるかな? でも、レオも一人だったら、きっと叶えられないよ。この計画を実行しようとしているのは、信頼できる仲間がいるから」
数日前、レオから提示された計画は、正気の沙汰とは思えないよう内容だった。
目を疑うような指示書の中には、それが、お嬢様の願いだからと書かれていた。
だが、その無謀にも近い案は、同時に、仲間を信じているからこそ、編み出された案だと気付かされた。
「どうかな? 矢野さんに協力してもらえないと、計画丸つぶれなんだけど?」
「誰も、協力しないとは言ってないでしょう?」
ピシャリと言い放てば、その後、矢野は楚々とした笑みを浮かべた。
「私も、メイドの端くれです。ここまできたら、どんな無理難題でも叶えて差し上げましょう」
――それは、親愛なるお嬢様のために。
小さな町の片隅では、お嬢様と執事の計画が、仲間たちによって、着々と進められていた。
だが、その計画の裏で、結月を我がものにしようとする餅津木家の計画も進む。
はたして、勝つのはどっちか?
それは、まだ、誰にもわからない。
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