第176話 夢と現実
お嬢様のディナーや入浴の準備をすませたあと、使用人達は、やっと夕食を迎える。
それは、今日も変わりなく、キッチンから続く、使用人用の休憩室の中では、恵美が夕食の準備をしていた。
愛理が作ったまかないを、テーブルに並べ、フォークやナイフなどをセッティングすると、三人分の夕食を準備し終えたあと、恵美が、ぽつりと呟いた。
「五十嵐さん、戻ってきますかね?」
今、執事は、お嬢様の元にいっている。
この時間、お嬢様は入浴を終え、部屋に戻る。そして、そのお嬢様の御髪の手入れをするのが、執事の日課なのだ。
だが、普段なら、所定の時間には戻ってくる執事だが、今日は、明らかに状況が違っていた。
「うーん……しばらく戻って来ないんじゃない? 二人っきりでゆっくり話したいこともあるだろうし……だから、夕食は、私たちだけで先に食べとこ」
「そ、そうですよね」
愛理が気を利かせれば、恵美は、二人分のお茶を入れたあと、席に着いた。
だが、温かく美味な料理を食しながらも、ふと昼間のことを思い出したせいか、心の中が、やたらと忙しない。
「あ、あの二人、今、何してるんでしょうか?」
「何って。そりゃぁ、キスの一つでもしてるでしょ?」
「キ、キス!?」
「あはは、恵美、顔真っ赤~」
恵美が、顔を赤くすると、愛理がからかいながらも楽しそうに笑った。だが、その後少し真面目な顔になると。
「それより、恵美は大丈夫なの?」
「え?」
「親と喧嘩して家出中だって言ってたけど、屋敷を出たあと、行くところはあるの?」
「それは……っ」
愛理の問いかけに、恵美はバツが悪そうに顔をそむけた。
家出したところを、運良くこの屋敷に拾われ、住み込みで働くことになった恵美。
もちろん、屋敷を出たあと行けるところなんて、どこにもなかった。だが
「だ、大丈夫です! 自分の住む所くらい自分でなんとかします。お嬢様たちの足は引っ張りたくないですし」
「そうだけど、もう時間もないし、本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫ですよ。最悪、実家に戻るって、手もありますし」
「そっか。ならいいけど」
恵美が、笑ってそう言えば、その笑顔に愛理は安心したのか、ホッとしたように答え、また食事を取り始めた。
だが、恵美は、その笑顔の裏で
(どうしよう。実家には帰りたくないな……っ)
ふと、思い出したのは、家出した、あの日のこと。
『そんな夢、叶うはずないだろう!!』
と、両親に罵倒された、あの時のこと──
(どうして、親って、子供の夢を潰すようなことばかり言うんだろう)
幼い頃は、応援してくれた。
それが、いつからか『現実を見ろ』と言うようになった。
(なんとか、仕事と住む場所を見つけなくちゃ……っ)
あの家に、帰らずにすむように──…
第176話 『夢と現実』
✣✣✣
カタッ──と、ドレッサーの上に
「ちゃんと、覚えた?」
耳元で、イタズラめいた声で囁けば、指導を終えた結月は、顔を真っ赤にしていた。
「もう少し、普通に教えられないの?」
「普通じゃなかった?」
「きょ、距離が近すぎるわ。それと、声も……っ」
「声?」
「子供の頃の声とは、全然、違うんだもの」
「そりゃ、もうとっくに声変わりしたし。でも、ここ最近は、毎日聞いていた声だろ」
「そうだけど……」
それは、確かに、毎日のように聞いていた執事の声だった。
だけど、幼い日ころの『望月レオ』の声を思い出したせいか、その変わりように、結月は戸惑っていた。
愛らしさを含んだ幼い声が、今では、男性の声に変わっていた。
優しさの中に力強さを秘めた、艶のある声。そして、その声が、教えを乞う度に、身体中を撫でるように囁くのだ。
結月──と、名前を呼びながら。
「なんだか、変な感じ……」
「なにが?」
「記憶を思い出したのはいいけど、子供の頃の私達が急にとびこんできたような感覚で、まだ、上手く現実だと受け止めきれていないの。まるで、今日あったこと全てが、夢の中の話みたい」
「………」
鏡の中の自分たちを見つめ、結月が不安げに呟いた。まだ、ふわふわと、世界がおぼつかない。
記憶の中の幼い自分たちのことも、協力すると言ってくれた使用人たちのことも、そして、私を助けに来てくれたこの執事のことも
その全てが夢か幻のようで、また目が覚めたら、あの辛い現実に戻ってしまうかもしれない。
そう思うと、不安で仕方ない。
「夢じゃないよ」
だが、そんな結月を背後から抱きしめ、レオが、また囁きかけた。
「全部、現実だ。夢のように、消えてなくなったりしない」
「……ぅん」
抱きしめられれば、その熱が、現実だと教えてくれる。
震える心臓の音が重なりあえば、生きていることを実感できた。
「また、不安になったら、いつでも抱きしめてあげる。だから、ちゃんと
「んっ……」
そう言って、また口付けられれば、舌先から、これでもかと現実を叩きこまれた。
熱い舌が絡まる度に、逃れられないほどの愛情を注ぎ込まれる。
それは、夢だなんて、思えなくなるほどの──…
「んっ、は……でも、それにしたって、レオは……変わりすぎだわ」
「……そう?」
「そうよ。だって昔は、こんなにしょっちゅう抱きしめたり、キスしたりしてこなかったし」
「お前、昔の俺が、いくつだと思ってるんだ」
「そ、そうだけど! でも、声だって低くなったし、背も高くなって、あと、すごく意地悪になったわ!」
「はは、それは、結月が可愛いから、ついね」
「え!? 私のせいなの!?」
「そうだよ。いちいち、あんな可愛い反応を返されたら、イタズラしたくもなる。それに俺からすれば、結月も変わったよ」
「そうかしら?」
「あぁ、あの頃より、更に綺麗になって、魅力的になった。それに、あの頃の結月は、隠れて官能小説を読むような子じゃなかったかな」
「なッ!?」
瞬間、結月は顔を真っ赤にすると、まるで、怒っているとでも言うように、頬をふくらませた。
「もう、そういう所よ! 意地悪なところ! それに、アレは、そういう本だと思って借りてきたわけじゃ……ッ」
「ははは、そっちこそ、そういう所だよ」
「え?」
「そういう反応を返すから、いじめたくなるんだろ。それに、ちゃんと分かってるよ。なにより、この8年で、俺たちは確かに変わった。だけど、それだけ大人になったってことだ」
「大人に……?」
「うん。もう、あの頃のように、親の元でしか生きられない子供じゃない。二人だけで生きていける」
「二人……」
「あぁ、だから──」
微笑み、結月の手を取れば、レオは、その手の上に、あの『空っぽの箱』を乗せた。
この箱の中には、二人の夢が詰まってる。
あの日、教会の中で誓った
二人だけの
「この屋敷を出て、結月が自由になれたら、正式に結婚しよう」
「結婚……」
「うん。籍を入れて『
「……っ」
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