第172話 娘と住処


「ルナ、今どうしてるの?」


 結月が、不安げに呟いた。


 女の子だからと、一匹だけ残されたあの仔猫を、レオが飼うと言って、引き取ってくれた。


 とても可愛いらしい黒猫だった。

 人一倍、結月に懐いていた仔猫。


 あの子は、今どうしているのだろう。

 すると


「大丈夫だよ」


 そう言って、レオが結月をみつめ、優しく微笑んだ。


「ルナは今、ルイの家にいるよ。結月のことを待ってる」


「本当?」


「あぁ、今度は会わせてあげる。俺たちの大事なに」


「っ……うん」


 ずっと沈んでいた結月の顔が、やっと華やいだ。


 あの日、共に家族になった仔猫。その子が元気だと知り、結月が嬉しそうに微笑めば、それを見て、レオもまた頬をゆるめた。


 ずっと、会わせたいと思っていた。

 この屋敷に来てから、ずっと。


 そして、それは、結月があの"黒猫のぬいぐるみ"に『ルナ』と名付けた時に、よりいっそう強くなった。


「ルナ、大きくなった?」


「うん、大きくなったよ。今は、大人の猫と変わらない。それに、結月が選んでくれたキャットタワーで、よく遊んでるよ」


「本当? 私が選んだオモチャ、気に入ってくれてるの?」


「あぁ、とてもね。まぁ、あれはオモチャというよりは、遊び場だけど」


 結月が、オモチャではなく立派な遊び場を選んだ時のことを思い出し、レオがクスクスと微笑めば、そのほんわかとした空気に、恵美と愛理が頬を赤くする。


(ッ……五十嵐くんが、また執事らしくない顔してる!)


(あぁ、お嬢様! 前は、恋なんて無意味なものだと仰っていたのに、今は、ちゃんと恋をしてらっしゃるんですね……!)


 なんだが、胸が熱くなってきた。


 まるで、チョコレートのように甘い二人の雰囲気に、不思議と目が離せない。


 むしろ、このまま、キスの一つでもしてしまえばいいのに!

 そんな気持ちにすらなってくる!


 だが、そこに──


「レオー、そろそろ話を戻したほうがいいんじゃない?」


 と、ルイが割って入れば、レオは、すぐさま、皆に視線を戻した。


「すみません。とにかく、先に話したように、住居の件は、全て白紙に戻りました。早急に手を打たないと」


「ていうか、なんでその住居、つかえなくなったの?」


 すると、今度は、愛理が疑問符を浮かべながら問いかけた。レオは、少しばかり顔を暗くすると


「来夏、餅津木家が所有するデパートが、新しく建つことになりました。そして、そのデパートが建つ場所が、その家のがある町で」


「え!? 餅津木家のデパートが!?」


「はい。俺も婚約者の話をきいたのは、屋敷に来てからなので、さすがに相手まで予測するのは……ですが、駆け落ちをする以上、阿須加家と関わりのある人間の側には、あまりいたくありません。いくら、こちらが弱みを握っているとはいえ、所在を知られるのは極力避けておきたい。だから、その住居は潔くことにしました」


「す、捨てるって!」


「家をですか!? なんか、もったいない!」


「そうかもしれませんが、仕方ありません。厄介事の芽は、早々に摘んでおかないと」


「確かにそうですけど……五十嵐さんて、すごいですね。お嬢様のために、そこまでできるなんて……!」


「…………」


 恵美が感嘆のため息を漏らせば、レオは小さく苦笑する。


 確かに、一人の女性のために、ここまでするのは、少し異常かもしれない。


 だけど、結月を救うことは、自分にとって『生きがい』だった。


 ただ、死にたいと思っていた人生に、結月が光を与えてくれた。


 生きる喜びを

 想い、惹かれ合う尊さを


 そして、また『家族』を持つという──優しい未来を。


 だからこそ、絶対に失敗はできない。


 もう二度とあいつらに


 家族を奪われたくないから──…



「しかし、住むところがないのは、厄介ですね」


 すると、そんな中、また矢野が口を挟む。

 椅子に腰掛け厳しい顔をする矢野は、事態の深刻さに気づいているようだった。


「落ち着ける場所がないのは、不慣れなお嬢様には、酷なことです」


「わかっています」


「あ! ねぇ、五十嵐くんの親、確かにフランスにいるっていってたよね! もういっそフランスに移住しちゃうとか」


 瞬間、愛理が閃いた。だが、レオは


「いや、海外に出れば、警察沙汰になったときに、すぐに足がつきます。なにより、結月はパスポートをもっていません。今から作るにしても時間がかかるし、なにより、行く予定もないのにそんなものを作ったら、あの親たちに怪しまれる」


「えー、じゃぁ、どうするの? お嬢様に野宿とか絶対ダメだからね!」


「わかってますよ」


「あの、私なら大丈夫よ! 野宿だってなんだってするわ」


 すると、今度は結月が口を挟んだ。


 レオの足は引っ張りたくない。

 そう思ったのだが


「バカ言うな、結月」


「そうですよ、お嬢様! 野宿を舐めないでください!!」


「え!?」


 瞬間、レオと恵美から辛辣な言葉が返ってきて、結月は軽く狼狽えた。


 野宿とは、そんなに過酷なものなのだろうか!?


「で、でも大丈夫よ! だって私、本で読んだことあるもの! と同じでしょ!?」


((キャンプ!!?))


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る