第169話 侵入者
日が傾きかけた頃、阿須加家の屋敷の前に、一人の男が現れた。
黒い髪をしたその男は、深くキャップを被り、手には紙袋を持っていた。
そして、その男は、ゆっくりと辺りを見回したあと、屋敷の裏手に回り込み、使用人たちが普段出入りしている裏口の前に立った。
日頃は鍵がかかっている重厚な扉。それを開けると、男はあっさりと屋敷の中に入り込む。
そして──
「すまないな。いきなり呼び出して」
不意に、男の声がした。
聞きなれたその声は、この屋敷の──執事の声。
そして、その黒髪の侵入者は、執事の顔を見るなり、呆れたように答えた。
「全く……この前は、女装して門から入ったってのに、今度は変装して、裏口から入ることになるなんてね? ちょっと、人使いが荒すぎるんじゃない、レオ」
その黒髪の男は、レオの友人のルイだった。
日頃は、鮮やかな金色の髪をしているルイ。だが、今は、黒のカツラで髪の色を変えていた。
その姿は、一見ルイとは分からないほど。だが、その整った顔立ちと、青い瞳は、相変わらず美しいままで
「黒髪だと、また印象が変わるな」
「そうかもね? なかなかイケてるでしょ?」
「あぁ……一見、日本人だ。黒のカツラなんて、わざわざ用意してのか?」
「あー、この前、谷崎くん(愛理の彼氏)を尾行した時に作ったんだよ。こんな目立つ髪で、尾行なんて出来ないしね」
「なるほどな。それより、持ってきたか?」
「うん、頼まれたものなら、ココに」
そう言って、ルイは手にしていた紙袋を差し出した。だが、それをレオが受け取ろうとした時
「でも、その前に。その使用人たちは、本当に信じて大丈夫なの?」
「……!」
紙袋をレオの前から遠ざけ、ルイが問いかけた。
「コレは、君が何年とかけて集めてきた大事な証拠品だよ。阿須加家にとっては、抹消したいようなものばかり。だけど、もし、その使用人達の中に一人でも裏切り者がいたら、何もかも水の泡になっちゃうよ?」
「………」
ルイの言葉に、レオは目を細めた。
ルイの言う通りだ。この中には、レオがこれまで集めてきた阿須加家の弱みが詰まっている。
この証拠品を手に脅せば、あちらも、こちら側には、迂闊に手が出せなくなる。
だが、それも見つからずに、逃げられればの話。
万が一、駆け落ちを企てていることがばれ、この証拠品を押収されてしまえば、これまでの8年間が、全て水の泡になる。
だが……
「心配するな。裏切る人なんていない。それは、一緒に働いてきた俺が保証する。なにより、一人でも裏切りそうな奴がいれば、わざわざ持ってこいなんて言わない」
「んー……それもそうか」
確かに──と、ルイが納得すれば、ルイは改めて、レオに紙袋を差し出した。
丈夫な紙質の袋。だが、それはずっしりとした重みがあった。
だが、それもそのはず、中に入っているのは、鍵付きのジュラルミンケースで、紙袋に入れてきたのは、あくまでもカモフラージュするためだから。
「鍵は、レオが持ってるよね」
「あぁ」
「しかし、これを、僕達以外が見る日が来るなんて、結月ちゃんは、本当に使用人に恵まれたね」
「そうだな……でも、そうだとするなら、それは結月の人柄によるものだ」
彼らは、皆、結月を救いたいと言った。
だが、それも全て、結月がこれまで使用人たちを大切に扱ってきたからこそ。
もし結月が、あの親たちのように、人を物としか扱わない娘に育っていたら、誰も助けたいとは思わなかっただろう。
それは、きっと自分だって──
「でも、使用人には恵まれたけど、恋人には恵まれなかったね」
「……は?」
だが、その後、ルイが言った言葉に、レオは眉をひそめた。
「どういう意味だ、それは」
「だって、こんなに執念深い男に捕まったら、もう逃げたくても逃げられないよ、結月ちゃん」
すると、からかい混じりに笑ったルイを見て、レオは、この8年を思いだ浮かべた。
父を亡くし、祖母には忘れられ、心が砕け散りそうな頃、結月と出会った。
結月との時間は、あのころの自分にとって、安らぎとも言える時だった。
だからこそ、結月との夢を叶えるためだけに、この8年間、人並み以上の努力を積み重ねてきた。
それを思えば、確かに、並の執念とは言えない。
レオは苦笑しつつも、今一度、ルイを見つめた。
「そうだな。俺に、ここまでさせたんだ。もう逃がさないよ、一生」
そう言って、微笑んだレオは、まるで悪魔のようだった。
欲しいものは絶対に逃がさない、強欲で残酷な悪魔。
だけど、一番恐ろしいのは、きっとレオじゃない。
なにより恐ろしいのは、この男を、ここまで虜にした『阿須加 結月』の方──
(……まぁ、ある意味、お似合いかもね?)
ついに、彼女が思い出した。より絆を深くする二人は、もう迷うことはないだろう。
あとは、夢に向かい突き進むだけ。
だが、それは楽しみでもあり、寂しくもあった。
二人が夢を叶えたら、この他愛もない時間は、終わりを迎えてしまうから。
でも──…
「楽しみにしてるよ。君たちが、夢を叶えるのを」
もう、何度と告げたその言葉を、改めて告げたのは、自分の気持ちを奮い立たせるため。
二人の幸せを、実現させるため──
「それはそうと、ルイも来い。みんなに紹介する」
「え?」
だが、その後、放たれたレオの言葉に、ルイは困惑する。
「え!? 僕も行くの!?」
「あぁ、お前には、状況をしっかり把握しておいてほしい」
「いや、ちょっと待って! 僕、この前、女装して会ってるんだけど!? みんなの前で、『女装した男でした!』って暴露するの!?」
「大丈夫。もう話したあとだ。だだ、お前の女装が完璧すぎて、誰も信じない。だから、会ってしっかり男だって伝えてくれ」
「そんな、マヌケな話ある!?」
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