第168話 繋がれた鎖
「あなた方は、本当にそんな人生が、結月にとって幸せだと言えますか?」
その言葉に、誰もが息を詰めた。
自分達が仕えたお嬢様のこの先の未来が、あまりにも辛く過酷なものであることに、身が震える思いがした。
好きでもない相手と結婚をさせられるだけでなく、子供が出来なければ、また別の男に宛てがわれる。
心と身体をひたすら酷使し、すり減らすだけの人生に、どんな夢や希望があるのだろう。
「お嬢様……っ」
その先に待つのは、果てしない暗闇だけな気がして、恵美が、涙目になり結月を見つめた。
そして、その後は、もう誰一人として、レオに反論する者はいなかった。
レオは、そんな使用人たちを一瞥すると、その後、席から立ち、床に座り込み放心状態になった結月の傍に膝まづいた。
知らされていなかった事実。
それも、あまりにも悲惨な未来を告られた。今の結月の心境を思うと、胸が張り裂けそうになる。
だが、ここまで来たら、もう後には引けない。
レオは、結月の手を取り、静かに立ち上がらせると、次に、使用人たちに向き直り、改めて頭を下げた。
「これまで、あなた方を欺いていたこと、深くお詫び申し上げます。ですが、結月のことを少しでも大切に思って下さるなら、どうか俺に、彼女を拐うことを許してください」
真摯に頭を下げ、許しを乞う姿に、4人は息を詰めた。
言っていることは、決してまともではない。娘を一人、拐うと言っているのだから。
だけど、その姿には、不思議と胸を打たれた。
彼の誠実さが、否応にも、伝わってくる。この執事は、本気でお嬢様を、この屋敷から連れ出そうとしている。
この阿須加という
だけど、本当に上手くいくのだろうか?
もし、連れ戻されたりしたら、その先に待つのは──更なる絶望だけ。
「許してって、言われても……っ」
すると、その姿に困り果てが恵美は
「斎藤さん、斎藤さんも、何か言ってください……!」
そう言って、斎藤に助けを求めた。
ずっと黙っていた斎藤は、一度、恵美に目を向けた後、改めて、結月とレオに目を向けた。
深く頭を下げる執事と、その横で立ち尽くすお嬢様。
きっと、この二人の未来は、自分のこの言葉で、決まってしまう。
人の未来を左右する一言。その最後の判断を任されるのは、あまりにもコクだった。
でも……
「……そうだな。私は、嬉しいかな」
「嬉しい……?」
瞬間、斎藤が微笑みつげたことばは、意外なもので、皆は首を傾げた。
「……嬉しいって」
「私は、お嬢様が生まれた時から、ずっとお傍に仕えてきた。お嬢様は、幼い頃とても無邪気でね。よく私に行きたい場所や、やりたいことを、色々話してくれた。だけど、私は、それを叶えてやることができなかった。旦那様からの命令があったから……それに、白木さんが辞めさせられてからは、小さなワガママですら、ぱったり言わなくなってしまってね……だから、また、こうしてワガママを言ってくれたことが、私は嬉しくてね」
「っ……」
変わらない眼差しで、まるで、父のように暖かな言葉をかけてくれた斎藤に、結月の胸はいっぱいになった。
駆け落ちをしたいなんて
やはり、自分の父は、斎藤だけだと思った。例え、血が繋がらなくても、使用人だったとしても……
だが、それは斎藤も同じだったらしい。斎藤は、優しく結月を見つめると
「お嬢様、今はもう使用人でないから、言えますが、私はあなたを本当の娘のように思っていました。無邪気に笑いかけてくれるのが嬉しくて、微笑ましく思いながらも、あなたの将来を、ずっと案じていました。せめて、優しく清廉な男性が、お嬢様の婚約者になってくれたらと……ですが、その婚約者も、どうやら、そうではないらしい。なら、私は例え向かう先が茨の道でも、お嬢様の気持ちを優先させてあげたい」
「……私の」
「はい。好きな男となら、茨の道もまた変わって見えるかもしれない。それで、五十嵐くん。なにか策はあるのかい?」
すると、斎藤は、次にレオを見つめた。
「矢野さんの言う通り、駆け落ちなんて簡単なことじゃない。警察が動き出せば、見つかるのは時間の問題。なにより、連れ戻されれば、お嬢様は今以上に監視が厳しくなって、二度と会う事は出来なくなるだろう。だが、君のことだ。なんの策もなく駆け落ちをしようなんて、思ってはいないだろう。もし、お嬢様を救う手立てがあるのなら、どうか、私にも──手伝わせてほしい」
「え?」
手伝う──その言葉に一驚する。
「手伝う……?」
「あぁ、うちのお嬢様は、いい子すぎて、張合いがなくてね。だが、そんなお嬢様の最後のワガママくらい叶えてやりたいだろう。夢は、見るだけで終わらせてはいけないよ」
「……っ」
斎藤の言葉は、レオの心に深く深く響いた。
幼い頃の結月には、たくさんの夢があった。
だけど、その夢は、成長するにつれ、一つ一つ失われていった。
親に傷つけられ、涙を流す度に、心を殺し、人形のように生きていた結月。
だが、そんな結月を見てきたからこそ、斎藤は、結月の夢を叶えたいと言ってくれる。
お嬢様の
人生をかけたワガママを
ただ『好きな人と家族になりたい』
そんな
普通の女の子らしい夢を……
「私も手伝います!」
すると、その斎藤を筆頭に、使用人たちが次々と声を上げ始めた。
恵美は、結月の側まで駆け寄ると
「お嬢様! 餅津木家になんて、絶対に行っちゃダメです!」
「そうだよ! いくらなんでも酷すぎる!! 私も手伝うから、みんなで駆け落ち成功させよう! ねぇ、矢野さん!!」
「え! 私は……っ」
愛理が詰めよれば、ずっと反対していた矢野もまた、結月を見つめ目を細めた。
矢野だって、ずっと結月に仕えてきた。
まるで自分の娘のように、彼女の幸せを願ってきた。
「ッ……私が、お嬢様の幸せを願わないはずがないでしょう!」
「ふふ、だよね~」
すると、場の雰囲気は、まるで冬が終わりを告げたように温かくなった。
初めの殺伐とした空気が、嘘のように和らぎ、結月は、そんなみんなの姿を見て、また、目に涙をうかべた。
「ぅう、みんな……っ」
「ちょ、お嬢様、泣かないでくださいよ!」
「ッ……だって」
恵美が心配し声をかければ、結月の頬にはまた涙がつたった。
止まるはずがない。
こんなに、嬉しい涙が……
「ありがとう、みんな……っ」
泣きながら感謝の言葉を伝えれば、使用人たちは、その後、温かく微笑んだ。
絶対に、成功させよう。
大切な大切な、お嬢様のために──…
そして、そんな彼らの決意を前には、レオもまたその意志を強くする。
一時は、どうなることかと思った。
最悪の場合、今夜にでも結月を連れて屋敷を離れるべきかも考えた。
だが、そうならずにすんだのは、この使用人たちが、本気で結月の幸せを願ってくれたから……
「それで、本当に策はあるんですか?」
すると、矢野が問いかけてきて、レオは、視線をあげた。
策──そう言われ、レオは不敵に微笑むと
「はい。ですが、その前に……」
久しぶりに、使用人たちが集まった屋敷の中は、これまでとは違う空気に包まれていた。
それはまるで、二人の未来に小さな小さな光が灯されたかのような、そんな優しく晴れやかなものだった。
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