最終章 夢と策略のシンフォニア

1. 恋人たちの末路

第166話 裏切り


 コチコチ、と時計の音が響く。


 しんと静まり返るその場所は、結月ゆづきが、普段一人で食事をとっている食堂の中。


 豪奢で優雅なその場所には、会食をたしなめるほどの広いテーブルがあって、その上には、今日もシミ一つないテーブルクロスがかけられていた。


 壁には、有名画家が手掛けた大きな絵画。

 脇には、グランドピアノ。


 そして、その部屋の隅を彩るのは、流麗な花瓶に活けられた、美しい花々。


 だが、その格調高い場所で、普段なら上座に一人腰かけている結月が、今日は、普段とは違う位置に腰かけていた。


 従者である執事の隣に座った結月。


 そして、その対面には、これまで結月に仕えてきた四人の使用人たちの姿があった。


 結月とレオに、向かい合うようにして、恵美めぐみ愛理あいりが座り、その二人を挟み込むように、斉藤さいとう矢野やのが腰かけていた。


 そして、向き合い、息をつめ、その四人の使用人たちが、同時に眉をひそめたのは、レオが自分たちのことを、包み隠さず話したから。


 二人の関係も

 レオがここに来た目的も


 そして、この先のことも──全て。



「じゃぁ……五十嵐さんは、お嬢様を奪い去るつもりで、この屋敷に来たってことですか?」


 恵美が、震えた声でそう言えば、レオは、すぐさま答える。


「はい」


「じゃぁ、いつか私たちのことも裏切るつもりだったんですか!?」


「そうですよ」


「……っ」


 なんの迷いもなく無慈悲にも言い放てば、その執事の言葉に、恵美がキュッと唇を噛み締めた。


 目の前には、信じられない光景がひろがっていた。


 自分たちが、これまで仕えてきたお嬢様の横に、対等に腰かける執事の姿。


 そして、これまで絶対的な信頼を寄せていたその執事が、自分たちをあざむき、大切なお嬢様を、この屋敷から奪い去ろうとしている。


 そんな、目を背けたくなるような光景が……


「ちょ、ちょっとまってよ、五十嵐君には、彼女がいるでしょ!?」


 だが、そんな恵美をなだめ、今度は愛理が叫喚する。


 先日、恵美と愛理は、確かに見たのだ。


 自分の彼女だといって、執事が金髪のフランス人を紹介してきたことを


「あの時、紹介してくれた、ルイさんは」


「ルイは、彼女ではありません」


「え?」


「ルイには、あくまでも、彼女のふりをしてもらったにすぎません。俺の本当の彼女は結月だけです」


「な……じゃぁ、五十嵐くんが言ってた、結婚を約束した彼女って」


「結月ですよ。それに、屋敷に来た時、矢野さんから前任の執事の不祥事を聞かされました。若い執事が来たことに、何かしら不安を抱いていたようだったので『彼女がいる』と話しておけば、あなたたちの警戒を、多少なりとそぎ落とせると思った」


「……っ」


 その話に、四人がまた息をのむ。


 確かに、五十嵐の言うとおり『彼女がいる』という話に、心なしか安堵したのは確かだった。


 お嬢様を守らねばと結束を固くする中、また若い執事がやってきたことに、使用人たちは、皆、警戒していた。


 だが、その彼に必要以上の信頼を寄せしまったのは、その働きぶりによるものが大きい。


 誰にでも対等に、分け隔てなく接する器量の深さと、執事として申し分のない技術と有能さ。


 そして、皆が悩んでいた斉藤の件をあっさり収束させた、この執事に、まんまとその警戒心を解かされてしまった。


 彼なら絶対に、お嬢様に危害は加えないだろうと……


「じゃぁ、本当に、五十嵐さんは、お嬢様を……っ」


「みんな、やめて! レオは……五十嵐は、なにも悪くないの!」


 すると、その場から立ち上がり、結月が口挟んだ。


 断腸の思いで、使用人たちを見つめた結月は、切実に、その思いを訴える。


「五十嵐は、私の願いを叶えに来てくれただけなの! それなのに、私が……私が、今の今まで忘れていて……っ」


 すると結月は、悔しそうに唇を噛み締めた。


 幼い頃、レオがフランスに行くといったのが、とても辛かった。


 自分のことを、家族として傍にいたいと言ってくれた人。そんな人が、遠く離れた異国の地へ行ってしまうと聞いて、胸が張り裂けそうだった。


 いつか、忘れられてしまうと思った。


 幼い頃の約束なんて、きっと、儚く消えゆくものだろうと……


 だけど、そんな自分に、レオは『結婚しよう』と言ってくれた。


 神様の目の前で『絶対に忘れない』『必ず迎えに来る』と、箱に夢と想いを閉じ込めた彼は、その後、彼にとって初めてのキスを、自分に捧げてくれた。


 それなのに、あんなにも忘れられたくないと泣いて困らせた自分が、レオを忘れてしまっていた。


 8年もの間、ずっと――…


「悪いのは、私です……みんなに黙って、レオとこっそり会っていたの。いつか、婚約者ができるとわかっていたのに、それでも、私は、彼を好きになってしまった……ごめんなさい……元はと言えば私のせいです。だから、どうか、レオを責めないで……!」


 涙を浮かべながら、切に訴える結月をみれば、その想いの深さが伝わってくる。


 お嬢様は、確かに今、執事に恋をしている。

 

 まるで、眠っていた感情が呼び覚まされたかのように「レオ」を名を呼ぶ姿に、これまでのお嬢様とは違うのだと気付かされた。


 お嬢様は本気だ。本気で、この執事と人生を共にしたいと願っている。


 この煌びやかな生活を、何もかも捨てて、茨に道に進もうとしている。


「お願いします……私は、レオと……好きな人と一緒に生きていきたい……だから、どうか、見逃してください! このことは、誰にも言わないでください!」


「なッ、お嬢様! 頭を上げてください!」


 すると、主人にあるまじきかな。結月は、床に手を付き、深く頭を下げた。


 屋敷のお嬢様が、使用人たちに土下座をする姿をみて、恵美がとっさに静止の声をかけたが、結月は、それでもひたすら謝罪と懇願を繰り返し、その姿を見て、今度は矢野が口を開く。


「お嬢様」

「……っ」


 メイドだったころと変わらず、凛とした矢野の声。その声には、レオもまた警戒心を高めた。


「私は、もうこの屋敷の使用人ではありません。ですが、お嬢様のためにも、はっきりと言わせていただきます。お嬢様、鹿


「……っ」





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