第165話 復讐と愛執のセレナーデ ⑳ ~誓い~


「なんだか、あっという間だったね」


 夏休みに入った7月下旬。フランスに旅立つ前日、俺はルナを連れて、結月に最後の別れをつげにきた。


 いつもの温室の中。ベンチに座る結月は、ルナを膝に乗せて、その背を撫でていた。


 とても、名残惜しそうに……


 だけど、普段と変わらず柔らかな笑みを浮かべた結月は、しっかりと別れを受け止めているように見えた。


 でも、俺の方は、一つだけ気がかりなことがあって


「あのさ、結月」


「ん?」


「前に言ってた、ヤマユリの花だけど……ごめん、まだ咲かなくて」


 前に、ヤマユリが咲いたら、結月に見せてやると約束していた。だけど、うちの庭先にあるヤマユリは、まだ蕾のままで、咲いてはくれなかった。


「いいよ、気にしなくて……咲かないうちに摘むのは、可哀想だもの」


「……ごめん」


「もう、そんな顔しないで。最後なんだから、笑って、お別れしましょう」


 そういうと、結月は俺の手を握りしめた。こうして、手を繋ぐのも最後。


 次は、いつになるか分からない。


 別れが迫ると、無性に寂しさや不安が押し寄せてきた。


 できるなら離れたくなかった。

 ずっと傍にいたかった。


 だけど、本心ではそうおもっていても、口にはしなかった。


 最後は笑顔で別れよう、そう約束したから。


「必ず、迎えに来る」

「うん……」


 時間が来るギリギリまで、一緒にいた。

 手を繋いで、寄り添って。


 明日のこの時間には、あの家を出て、空港に向かう。フランスに行ったら、簡単には帰って来れない。


 それでも、どんなにつらくても、別れる道を選んだのは、二人の未来のため。


「じゃぁ、また」

「うん、またね」


 その後、俺たちは、二人笑ってサヨナラをした。


 あっけない終わりだった。

 本当に終わりなのか、分からないくらい。


 また明日も、変わらずに会うのではないかと思うくらいの、普通の挨拶。


 フランスに行ったあとは、お互いに、手紙を出さないと決めた。使用人や親にバレたら大変だから。


 次に会うのは、きっと数年後。

 俺たちが、大人になった時。


 だけど、漠然と不安を感じたのは、その未来への約束が、あまりにも遠いものに感じたから──…



 ✣


 ✣


 ✣



「レオくん、準備は出来た?」


 そして、次の日

 日本を発つ、その日の午後。


 伯母に声をかけられた俺は、小さく相槌をうっていた。


 この日の俺は、普段よりオシャレな服を着て身支度を整えたあと、ルナと一緒に家の中を見回していた。


 迎えが来たら、俺はこの家を捨てて、フランスに行く。慣れ親しんだ家は、酷くガランとしていた。


 祖母は、先日希望していた老人ホームに移って、今は俺一人。


 フランスに行くまでの間、一時的に俺を預かろうかと伯母はいってきたけど、ルナもいたし、なにより最後まで、この家にいたかったから、断った。


「父さん、俺……行くね」


 ルナを下ろし、父が残した、あの空っぽの『箱』に握りしめた俺は、仏壇の前に立ち、父に最後の挨拶をした。


 父の遺影は、俺がひきとられたあとは、伯母夫婦の家に行くらしい。


 俺が、フランスに持っていく父のものといえば、写真と万年筆と黒革の手帖。そして、この小さな空っぽの箱。


 だけど、その箱を見つめながら、ふと思った。もし俺が、結月と結婚したいって言ったら、父は何を思うだろう。


 俺が好きな女の子が、自分を苦しめた、あの阿須加の娘だと知ったら、父はやはり嫌がるだろうか、それとも、反対するだろうか?


 だけど、仮に反対されたとしても、俺の意思は、変わらなかった。


 父の苦しみに気づけなかった。

 だからこそ、結月は、絶対に救いだしたい。


 例え、この命に変えても──…


「父さん、俺、好きな子が出来たんだ。その子は、父さんと同じように苦しんでる。だから、絶対に助け出すよ。だからどうか、見守っていて……」


 その後、決意の言葉を残し、仏壇から縁側に向かうと、ゆっくりと外の景色を見渡した。


 庭先にある景色は、今日も優雅だった。

 最後に見るこの家の景色は、夏の瑞々しい風景。


 だけど、ある一点を見た瞬間、俺は目を見開いた。


「え?」


 庭先の池の側には、昨日までつぼみだったヤマユリが、美しく咲き誇っていた。


 黄色のスジが入る、その色鮮やかなヤマユリは、結月が見たいといっていた、あの約束の花。


「咲いてる……っ」


 一瞬目を見張り、その後、俺はすぐさま時刻を確認した。


 家を出るまで、あと一時間。

 まだ、間に合うと思った。


 俺は、弾かれたように、庭先に飛び出すと、手にしていた箱をポケットの中に押し込み、ヤマユリを数本切りとり、器用にまとめて花束を作った。


 今の時間なら、きっと結月は温室にいる。


 まだ、会えるかもしれない。

 約束を、破らずに済むかもしれない。


 そう思うと、俺は慌てて、家から飛び出した。



 ✣✣✣



 それから、すぐに屋敷にむい、中に忍び込むと、俺は温室の中で結月を探した。


 お願いだから、いてくれ。そう思いつつあたりを見回せば、中には予想通り、結月がいた。


 だけど、その後、声をかけるのを戸惑ってしまったのは


 結月が、泣いていたから──


「ぅ……っ、うぅ……レオ」


 夏らしく真っ白なワンピースを着た結月は、温室の中で、うづくまり泣いていた。


 昨日は、笑って別れようと言っていたのに、本当は、俺のために、泣かないようにしていただけなのだと思った。


 もう会えない俺を思いながら、涙を流す結月をみて、俺は愕然とする。


 やっぱり、あんな口約束だけじゃ、ダメだ。


 自分たちが大人になるまで、あと何年あるだろう。そして、その年月は、あまりにも長く、遠く──


「結月!」


 手にしたヤマユリをきつく握りしめると、俺は背後から結月に呼びかけた。


 すると、その声に、涙目のまま振り向いた結月は


「え、レオ? もう……出発する時間じゃ……っ」


 すごく驚いた顔をしていた。

 だけど、俺はそんな結月の手を掴むと


「来て……!」


「え?」


「ちゃんと約束しよう。神様の前で……!」


 そう言った刹那、俺は結月を連れて屋敷から抜け出した。


 向かった先は、前に結婚式をしているところを二人で見た、あの教会。


 そこは、結月の屋敷からは、そう遠くはなく、俺たちは、ただひたすら走って教会の中に入った。


 息を切らしながら、中を見回せば、そこには、運よく誰もいなかった。


 静かな教会は、窓から差し込む光で溢れていた。


 とても、清らかで神聖なその空間で、俺は念の為、入口の鍵を閉めると、結月を連れて、祭壇の前まで歩き出した。


「レオ、何をするの……?」


 結月は、ずっと戸惑ったままだった。いきなり、こんな所に連れてこられたのだから……


 だけど、俺は立ち止まり、結月に向き直ると、祭壇の前で、改めて結月を見つめた。


 二人向かい合い、見つめ合えば、その瞬間、空気が変わる。


 レースがあしらわれた真っ白なワンピースを着た結月は、まるで花嫁のようだった。


 本当なら、ベールや指輪があれば、もっと良かったのかもしれない。


 だけど、俺が結月に差し出せるのは、ヤマユリで作ったこのブーケと、あの空っぽの箱くらい。


 だけど、それでも、この先結月が、不安な思いをせずに、俺を待つことができるなら──


「結月、結婚式をしよう」


「……え、結婚式?」


「うん。今からやるのは、ママゴトじゃない。永遠の愛を誓う、本当の結婚式」


 真っ直ぐに結月を見つめて、俺はヤマユリの花を差し出した。


 本気の思いを伝えるように──


 すると、結月はそのブーケを手に取り、こぼれおちそうなくらい目を見開いた。


「これ……ヤマユリ?」


 じわりと涙をためて声を震わす結月に、俺は、次に、空っぽの箱を差し出す。


 蓋を開けて、結月の手の平に箱をのせると、その上に、俺も手を重ね合わせた。


 箱を二人で、包み込むようにして──


「結月、これからこの箱の中に、俺たちの『夢』を閉じ込めよう」


「……夢?」


「うん、俺は、絶対結月を忘れない。必ずここに戻ってくる。そして、戻ってきたら、あの屋敷を空っぽにして、結月を自由にする」


「……自由に?」


「うん。俺が絶対、結月を助け出す。好きでもないやつと結婚なんて、絶対させない。だから、今ここで──俺と結婚して」


「……っ」


 その瞬間、結月は大きく目を見開いた。


 この気持ちは、本気だ。

 それを、しっかり神様の前で誓おう。


 すると、俺は、その後、これまで誓った約束と、これからの夢を、一つ一つ箱の中に閉じ込めはじめた。


『いつか、自由になれたら、本当の家族になろう』


『家族になったら、毎年、誕生日を一緒に祝おう』


『二人で手を繋いで、色んな場所に行って、自由に、この世界を見て回ろう』


 普通の人が、普通に出来る小さな、だけど俺たちにとっては、とてもと大きな『夢』を、たくさんたくさん箱の中に閉じ込めた。


 例え、見えなくても

 そこには、確かに俺たちの『夢』があった。


 決して消えることのない

 約束と言う名の想いと一緒に……



「この箱は、結月が持ってて」

「え?」


 その後、箱を手にしたまま告げれば、結月は驚いた顔をして、俺を見つめ返してきた。


「なに言って……ダメだよ! この箱は、レオの大切な」


「そうだよ、これは俺の大切な物。だから、


「え?」


「取りに来るよ、必ず。大人になったら、結月を迎えに来る。だから、それまで預かっていて……この箱には、俺たちの夢と、俺の想いがつまってる」


「想い?」


「うん……結月を好きだって気持ち。誰にも渡したくないって気持ち。例えどんなに離れていても、俺はここにいる。だから、俺がいない間、辛いことがあったり、苦しくなった時は、この箱を見て思い出して。いつか必ず、俺が迎えに来るって……俺が必ず、結月を助けに来るって」


「っ……」


 もう、辛いことがあっても、聞いてあげられない。慰めてあげられない。


 だからこそ、結月に、大切な箱を託そうと思った。俺にはルナがいるけど、結月には、何もなかったから


「レオ……っ」


 すると、結月はその後、涙を流しなが、


「ありがとう……私、待ってる……ずっと……レオが、迎えに来てくれるの……待ってるから……っ」


 涙と笑顔で、ぐしゃぐしゃになった結月の表情は、とても綺麗だった。


 不安が落ちたようなその姿にホッとすると、俺は空いた手で結月の頬にふれ、流れる涙を優しく拭った。


 『夢』は閉じ込めた。

 『想い』も閉じ込めた。


 あと、この『約束』を封じ込めるだけ。


 俺は、結月と箱越しに重ね合わせた手に力を込めると、静かに顔を近づけた。


 誰もいない教会。それでも、誰にも聞こえないように、そっと囁く。


「誓いの言葉、言ってもいい?」

「…………うん」


 結月が同意したのが分かって、微かに、頬が赤らんだ。


 どうか人が来る前に、最後の儀式を終えてしまいたい。


 それは、決して大人に見られてはいけない、子供らしからぬ儀式だったから。


 だけど、今の俺達には、絶対に必要な儀式。


 お互いの中に、決して消えない約束を刻みつけるための


 永遠の愛を誓う、家族としての──誓い。




 その後、改めて向き合うと、俺たちは、誓いの言葉を紡いだ。



  病めるときも

  健やかなる時も


  喜びの時も

  悲しみの時も


  常に相手を敬い慈しみ


  死が二人をわかつまで

  愛し抜くことを誓いますか?




 その言葉に、俺たちは二人一緒に『誓います』と応えると


 その後、目を閉じキスをした。


 お互いの中に、約束を封じ込めるための、誓いのキス。


 決して、破らないようにと『願い』と『想い』を込めた優しいキス。


 触れるだけその口付けは、涙の味と、甘く優雅なヤマユリの香りがした。




 神様──

 どうか、見守っていてください。



 いつか、また二人の運命が


 交わりますように



 いつか、必ず


 本当の家族になれますように




 儚く脆い『夢』を現実にするため



 その決意を、俺たちはキスで


 お互いの中に封じ込めた。





 いつか、また



 二人で『夢』を




 語り合える日が来るように──…







 ✣



    ✣



 ✣



    ✣



 ✣








「レオ!」


 使用人たちと話していると、不意に声が聞こえた。階段の上をみつめれば、そこには泣きながら、執事を見つめるお嬢様の姿があった。


 困惑と同時に場の空気が静まりかえる。すると結月は、レオと目が合うなり、その場から駆け出し、レオに抱きついてきた。


「っ……ごめ…ん……ごめんね……レオ…っ」


 泣きながら謝りつづける結月を見て、レオは目をみひらいた。


 たった一言、名前を呼ばれただけで、全てを理解した。


 思い出した、結月が──


「……っ」


 衝動的に抱きしめそうになって、レオは触れようとした手を、必死に制止する。


 そこには、他にも人がいた。

 結月に仕える、使用人たちが──


 だけど、泣きながら縋り付く結月をみれば、抱きしめ返さないなんて、そんなことできるはずがなく、なにより、レオ自身がそれを求めていた。


「結月……ッ」


 使用人たちに見つめられる中、レオは、結月の背に腕を回すと、その体を、きつくきつく抱きしめた。


 やっと、思い出してくれた。

 やっと、帰ってきてくれた。


 もう、二度と思い出せないと諦めていた


 俺の愛しい愛しい、女の子が──…


「っ……レオ」


 答えるように、名前を呼べは、結月もまたレオの名を読んだ。


 背中に回わされたお互いの腕に、その事実をより深く実感する。


 この屋敷に来てから、この日を、どれだけ待ち望んだことだろう。


 また、二人で同じ夢を語り合えるこの日を、何度と夢見ていた。


 だけど、神様は、最悪なタイミングでその願いを叶えたらしい。


 まるで、二人の未来は

 決して交わることがないと


 嘲笑あざわらうかのように──…



「お嬢様……!?」


「五十嵐さん、これは一体、どういうことですか!?」


 執事の名を呼び、泣きながら抱きつくお嬢様と、そのお嬢様の名を呼び、抱き締め返した執事をみて、使用人たちが一驚する。


 屋敷の中は騒然とし、言い逃れの出来ないその状況に、結月がハッと我に返ると、レオもまた固く言葉を閉ざした。



 それは『秘密の恋』が終わる瞬間。


 お嬢様と執事として続けてきた


 この関係が




 無惨にも散った








 終焉しゅうえん瞬間ときだった。




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