第162話 復讐と愛執のセレナーデ ⑰ ~慟哭~


「結月、俺……結月に、話さなきゃいけないことがある」


「え、話……?」


「うん。実は俺……フランスに行くんだ」


「え?」


 その言葉に、結月は大きく目を見開いた。


 言っている意味が、うまく伝わらなかったのか、結月は、それから暫くして


「フランス? 旅行にでも行くの?」


「……違う」


「え? じゃぁ……」


「さっき、名字が変わるっていっただろ。俺、親戚の叔父さんのところに引き取られることになった。だから、養子縁組の手続きがすんだら、日本を離れて、フランスに行くことになる」


「……っ」


 すると、まるで信じられないとでも言うように、結月は目を見開き黙り込んだ。


 少し前に『家族になろう』と話したばかりなのに、こんなにすぐに離れ離れになる話をするなんて、結月の目を見れば見るほど、罪悪感にさいなまれた。


 だけど──


「そう……レオ、日本から、いなくなっちゃうんだ」


 絞り出すように声を発したかと思えば、結月は、その後、ふわりと笑った。


「良かったね」


「え?」


「だって、レオに、新しい家族ができるってことでしょ? なら、とっても喜ばしいことだわ」


「…………」


 そう言うと、結月は、また微笑んだ。


 全く気にしないとでも言うように。

 むしろ、喜んですらいるように。


 だけど、俺は、その言葉に、全く納得できなかった。


「それ、本気で言ってるのか?」


「当たり前じゃない。だって、家族ができるのよ。レオに、また家族が……フランスに行っちゃうのは寂しいけど、とっても素敵なことだわ。だから、私のことは気にしなくていいから、フランスで幸せになってね!」


 その声は、とても晴れやかで、穏やかだった。まるで、それが本心だと言うように。


 でも──


「俺には、嘘つかないで」

「……え?」


 俺は、知ってる。結月が、優しいことを…


 そして、いつも本心を隠して、笑っていることを…


 傷つきながら、苦しみながら、それでも、誰かのために聞き分けのいい子を演じて、結月は、自分を殺して生きてる。


 でも──


「俺の前では、嘘つかなくていい。ちゃんと、本心で話して」


「……っ」


 目を見て、手を握れば、結月は、小さく唇を噛み締めた。


 どうか、俺にだけは、嘘をつかないで欲しい。自分の気持ちを、押し殺さないで欲しい。


 今、笑ってくれたのも、きっと、俺のため。


 俺が、安心してフランスに行けるように。

 心残りなんて、何も残さないように。


 だけど、そんな言葉、俺は全く望んでない。


「ちゃんと、離れたくないって言って」

「っ……なんで……せっかく……っ」


 せっかく、笑顔で送り出そうとしてるのに……そう言っているように聞こえた。


 だけど、しっかり手を握りしめ、目を合わせれば、結月はその後、泣きながら、声を震わせ始めた。


「いや……嫌……行かないで、レオ……っ」


 あふれだした本心は、涙と一緒になって溢れ、結月は、切なく虚しく慟哭どうこくする。


 ほんの短い間だったけど、この時間に、俺たちは、安らぎを感じていた。


 そして、それは、簡単に捨てられるようなものではなくて──


「ゴメン……ゴメン、結月……っ」


 だけど、行かないでと泣く結月に、俺は謝ることしか出来なかった。


 ひくひくと涙を流す結月の声が、俺の心に、深く深く突き刺さる。


 どうして、俺は今、子供なんだろう。


 もっと、力があって、賢ければ、結月をつれて逃げることも出来たかもしれない。


 目には自然と涙が滲んで、不甲斐ない自分自身を呪った。


 だけど、泣いていても変わらない。


 嫌だと、喚き散らす子供のままでは、きっと、夢は叶わない。


「結月……聞いて」


 泣き続ける結月を見つめて、俺は静かに問いかけた。


 早くしないと、メイドの白木がやってくる。だけど、これだけは、伝えておきたいと思った。


「大人になったら、一緒に誕生日を祝おう」


「え……?」


「今は無理でも、いつかになって、一緒に暮らして、毎年、誕生日を一緒に祝おう」


「……っ」


 それは、ほんの小さな願い。

 ありきたりで、遠い、未来への約束。


 だけど、結月は


「ムリだよ、そんなの……だって、私……大人になったら……っ」


 わかってる。

 結月の未来は、もう決まっていた。


 どんなに拒んでも、逆らえない。

 何をしても覆らない、絶対的な『鎖』


 結月を自由にするには『檻(屋敷)』を壊すだけじゃダメだった。


 この一族に縛られた、太く頑丈な『鎖』を断ち切らないといけない。


「それに、きっと忘れちゃうわ……っ」

「え?」


 すると、結月は、また泣きながら


「だって、新しい家族ができるのよ、レオに……フランスに行って、家族と過ごしていたら、きっと、私のことなんて、忘れちゃうわ……っ」


 忘れて欲しくない。

 だけど、その距離は、あまりに遠く。


 『いつか』といった俺の言葉は、結月にとって、あっさり消えてしまう幻のようなものだったのかもしれない。


 俺が提示した"曖昧な約束"は、結月を安心させるほどの威力はなく、だけど、それでも離れる決心をしたのは、この気持ちを現実のものにするため。


 結月の『鎖』を断ちきり

 この『想い』を


『夢』のままで終わらせないため──



「忘れない」


「……っ」


「絶対に俺は、結月を忘れない」


 強く結月を抱きしめると、俺はハッキリとそう言った。


「だから、信じて待ってて……俺は、必ず、またここに帰ってくる。絶対に結月を忘れたりしない。だから、一緒いられる残り三か月の間に、たくさん思い出を作ろう」


「思い、出……?」


「うん。きっと俺は、夏頃フランスに行くと思う。だから、それまでに……」


 ありったけの思い出を、この心と身体に刻み込んでおこう。


 決して、忘れないように。


 いつかまた、この記憶が、二人の運命を繋ぐように……



「っ……レオ」


 その後、結月はまた涙を流し、俺の胸に顔を埋めた。ひたすら泣き続ける結月を、俺はただただ抱きしめながら


「ゴメン……今の俺じゃダメなんだ。結月を守れない。だから、この先たくさん勉強して、大人になって、必ず結月を迎えにいく。だから、どうか」


 ──どうか、俺を信じて待ってて。


 その言葉に、結月は、また涙を泣がしたあと、コクリとうなづいた。


 別れの時は、刻刻と迫っていた。


 日はゆっくりと傾いて、温室の中に影を作る。


 すると、それから暫くして、結月は、泣き腫らした目を抜ぐうと


「明日の、五時に……また屋敷にきて」


「え?」


「温室のテーブルの裏に、箱を隠しておくから、持っていって」


「箱?」


「うん……私、もう行くね。こんな顔でいたら、きっと何あったって思われるから、白木さんが来る前に、部屋に戻る」


「……分かった」


 繋いでいた手が、ゆっくりと離れた。


 名残惜しく思いながらも、その手をきつく握りしめると、俺は、誰にも見つからないように、静かに温室から抜け出した。


 空には、桜が舞っていた。


 それは、いづれ来る『別れの日』示唆しさするように、ひらりひらりと、空を流れていた。

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