第161話 復讐と愛執のセレナーデ ⑯ ~運命~


 新学期が始まってからは、しばらく学校が早く終わり、俺たちは、毎日のように会っていた。


 学校帰りに結月の屋敷に忍び込むと、温室の中でこっそり会う。


 もう、子猫はその温室にはいなくなってしまったから、それからは、本当に結月と二人きりだった。


「ねぇ、見てこれ!」


 結月は相変わらず無邪気で、俺の横で、よく図鑑を見ながら話しかけてきた。


 今日見ていたのは、世界の建物とかいう、よく分からない図鑑。


 なんでも、お城とか塔とか、世界中の歴史的な建物が写真付きで載ってる図鑑らしい。


「モン・サン・ミッシェル、いつかいってみたいなー」


「モンサ……え?」


「モン・サン・ミッシェル! フランスにある大聖堂よ」


「……フランス」


 ふと、図鑑の中を覗きこんで、自分が後に暮らす国の風景をみつめた。


 日本とは全く違う風景だ。写る人々も日本人ではない外国人。きっと言葉だって違うし、食べ物も環境も何もかも違う。


(俺、ここに行くのか……)


 あれから数日、俺のフランス行きは、あっさり決まってしまった。


 五十嵐家の叔父夫婦は、本当に心優しい人たちなのだろう。


 伯母は『猫も一緒でいいですよ』と電話で返事を貰ったそうで、俺は正式に、五十嵐家に養子に行くことになった。


 幸い、五十嵐夫婦はフランスにいるから、すぐにとはならなかった。


 なんでも、海外在住ということもあり、養子縁組の手続きには暫く時間がかかるらしく、俺が五十嵐家の養子になり、フランスに行くのは、夏休み頃だと言われた。


 でも、それを結月に言うべきか、俺は迷っていた。


 フランスになんて、行きたくない。

 結月と離れ離れになるなんて、絶対嫌だ。


(家出、しようかな……)


 何もかも捨てて、結月と、どこか遠くへ。


 無邪気に本をみつめる結月を見つめながら、俺はふと思いついて、結月の手をそっと握りしめた。


 このままこの手を繋いで、屋敷から連れ去って、ルナと三人で暮らせたら……


 だけど、いきなり手を握られ驚いたのだろう。結月は、零れそうなくらい目を見開いた。


「ど、どうしたの?」

「………」


 困惑しつつも、それでも結月は、俺の手を握り返してくれた。


 その熱に、心と体が同時に熱くなって、やっぱり、離れたくないと改めて思った。


 この手を、離したくない。

 俺は今、こんなにも結月が好きで、大切で。


 だけど……


(家出なんて、本当にできるのか……?)


 焦る心とは裏腹に、冷静な自分が呟く。


 それは、簡単なことじゃなかった。そして、その無謀さに気づかないほど、バカでもなかった。


 お嬢様育ちの結月には、過酷すぎる。

 なにより俺たちは、まだ子供だ。


 お金を稼ぐにしても、働ける場所がない。それに、働けなければ、お金はいつか底をつくし、住む場所も、食べるものも手に入らない。


 子供のママゴトは、ママゴトだから成り立つ。現実は、厳しく過酷で、子供だけで生きていくなんて、無理に等しい。


 なにより、一時的に逃げたところで、いつか大人に見つかって、また家に連れもどされる。


 そうなったら、結月は、あの親に責めらるのだろう。


 下手をすれば、監視が厳しくなって、二度と会えなくなる可能性だって。


 それに、結月には、家族みたいに大切な『使用人たち』がいる。


 彼らがいるかぎり、結月は、この屋敷を──捨てられない。


「望月くん?」

「あ、ごめん……なんでもない」


 そう言って、必死に気持ちを押し殺すと、俺はゆっくり結月から手を離した。


 結月は、少し心配そうにしていたけど、それ以上追求してこなかった。


 すると、そうこうしているうちに、帰る時間になって、結月は、読んでいた本をパタンととじた。


「もう、お別れの時間ね」


 時刻は4時前。もうすぐ、メイドの白木がやってくる。俺は、それまでにこの屋敷を出なくてはならない。


 そして、結月は、その別れを前にして、より一層寂しそうにする。


「あのね、望月君。……明日は、会えないの」

「……え?」


 その言葉には、心做しかショックをうけた。


 一緒にいられるのは、残り三ヶ月。

 俺は、夏休みに入れば、フランスにいく。


 だけど、それを気取られないように、俺はあくまでも普段どうり答えた。


「そうなんだ、残念」


「ごめんね」


「何か用事?」


「うん、明日、私の誕生日なの」


「え?」


 一瞬、目をみはって、明日の日付を思い浮かべた。


 明日は、4月14日。

 だけど、この日は──


「……誕生日?」


「うん……あ、でも誕生日っていっても、お母様たちは来ないし、白木さんたちが祝ってくれるだけなの。でも、外で遊ぶのは無理だろうから」


「……いいよ、気にしなくて。祝ってくれる人がいるのは幸せなことだよ」


「そう、だよね」


 普段通り話しながらも、胸の中では、かなり動揺していた。


 なぜなら、明日の4月14日は、から……


(誕生日……同じだったんだ)


 まるで、運命みたいだ──そう思った。


 好きな人と誕生日が同じだなんて、こんな奇跡そうはない。


 すると、結月が続けざまに


「……そういえば、望月君の誕生日は、いつ?」


「……」


 その言葉に、一瞬、躊躇する。

 言っていいのだろうか?


 明日、会えないことを、気に病んだりしないだろうか?


 だけど、知って欲しいとも思った。

 もっと、俺のことを──


「俺の誕生日は……結月と一緒」


「え?」


「俺の誕生日も、4月14日。でも、だからって、別に気にする必要はないよ」


 念の為、気に病まないよう助言をつけた。

 そして


「それと……俺、もうすぐ名字が変わると思う」


「え? 名字、変わちゃうの? どうして?」


「引き取り先が決まりそうって……だから、これからは『望月』じゃなく、下の名前で呼んで」


「……下の名前」


「うん、『レオ』って呼んで──」


 明日、会えない代わりに、一つだけわがままを言った。


 名字が変わるのを口実にして、名前で読んで欲しいと。


 他人行儀な『望月くん』じゃなくて


 本当の家族みたいに──



「レオ!」


「……!」


「ふふ。本当に、こんな風によんでいいの?」


 唐突に。だけど、結月は恥じらいながらもそう言って、俺は嬉しさを隠しなから、またぶっきらぼうに答えた。


「呼んでって言ってんだから、いいにきまってるだろ」


「あはは。でもびっくりしちゃった。まさか、誕生日が同じだなんて……まるで運命みたい」


(……運命)


 結月も同じように思ってくれたのだと思うと、なんだか嬉しくなった。


 もし、この出会いが『運命』なら、例え、離ればなれになっても、またこうして一緒に過ごすことができるだろうか?


 いつか来る未来で

 いつか大人になった、その先で


 できるなら、そうであって欲しいと思った。


 また結月と、同じ夢を見ることが出来るなら──…


「結月、俺……結月に、話さなきゃいけないことがある」


「話……?」

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