第157話 復讐と愛執のセレナーデ ⑫ ~檻の中~


「女の子だから、ダメだなんて……私と一緒ね」


「え?」


 その結月の言葉に、俺は瞠目する。


 自分と猫が同じだなんて、よく意味が分からなかったから──


「なに言ってんだよ。結月とこの子は違うだろ」


「違わないわ。私の両親ね、本当は男の子が欲しかったの」


「え?」


「本当は、跡継ぎになる男の子が欲しかったんだって……だけど、生まれてきたのは私で、だから私、生まれた時から、お父様たちに嫌われてるの」


「……」


「だから、私も、この子と同じよ。女の子だからダメっ言われる。でも、ダメなら……いらないなら、いっそ捨ててくれたらいいのに……っ」


 目に涙を浮かべ、結月は、その黒猫を抱きしめた。


 それは、まぎれもない結月の本心だった。


 裕福な生活を送り、何不自由ない暮らしをしていながら、結月は、親に捨てられることを望んでいた。


 だけど、今なら結月の、その苦しみをよく理解できた。


 産まれても祝福すらされず、親にいらないと言われ続けてきた人生は、どんなに虚しく凄惨なものだろう。


 結月にとって、あの屋敷は、きっと『牢獄』のようなものだった。


 あの親たちに、飼い殺され、ただただ『檻』の中に閉じ込めて、暮らしているだけ。


 だからこそ、早く自由になりたいと望んでいたのだろう。


 だけど、あの親が、結月を手離すはずがなかった。


 結月は、阿須加家の血を継ぐ、唯一の後継者。


 その血を絶やさないためだけに、結月は存在していたから──



「う……っ、……ぅっ」


 子猫を抱きしめながら、結月はすすり泣き、俺は、そんな結月を見つめながら、ただ背中をさすってやることしかできなかった。


 かける言葉すら、上手く思い浮かばない。


 だけど、結月は同じだとおもった。


 俺の父と──


 アイツらに苦しめられて、心をぐちゃぐちゃに引き裂かれてる。そんな父と、なにも変わらない。


「嫌なら……逃げれば?」


 不意に零れたのは、そんな言葉だった。


 俺は結月を、父と重ねていた。

 嫌なら、逃げて欲しい。


 父のように、心を壊す前に

 父のように、命を絶つ前に


「無理、よ……っ」


 だが、結月はすぐさまそれを否定し、また子猫を抱きしめた。


「私、まだ子供だもの……逃げても、生きていけない。それに、私がいなくなったら、屋敷のみんなが責められるの……だから、私はあの屋敷から、逃げられない」


 ぽつり、ぽつりと話す結月は、屋敷の使用人たちのことを心配していた。


 自分のことより、今そばに居てくれる優しい人たちが、両親に責められることがないよう、いい子に振るまうように努めていた。


 きっと


 猫を世話していたのも

 俺とこっそり会っていたのも

 屋敷から、ほんの少しだけ抜け出すのも


 この頃の結月にとっては、ちょっとした親への反抗だったのかもしれない。


 いい子でい続けようとする自分と

 早く自由になりたい自分


 バレるか、バレないか、そんなギリギリの綱渡りをしている結月に、またあいつらへの怒りが、ふつふつと蘇ってきた。


 やっぱりアイツらだけは、許せない。


 結月を、父のようにはしたくない。


 もう離れていって欲しくない。


 今度こそ、守りぬきたい。



 それは、俺がまた復讐を誓った瞬間だった。


 たとえ、どんな手を使っても、結月を、アイツらから解放しよう。


 そう、強く強く決意した瞬間だった。




 ✣


 ✣


 ✣




 その後、黒猫の飼い主が見つからないまま、時間はあっさり過ぎ去った。


 新学期を迎えた4月──小学校を卒業し、中学生になった俺は、学ランを着て、仏壇の前にたっていた。


 今日は、入学式。


 保護者が来ないのは、きっと俺だけだろう。伯母が行くといってくれたけど、煩わしいし、断ったから。


「まぁ、よく似合うねー」


 仏壇の前で線香に火をつけたタイミングで、祖母が声をかけてきた。


 祖母の受け入れ先は、今も決まらないままだった。老人ホームには優先順位があるらしく、伯母が希望する施設が人気なのも相まって、未だに祖母との二人暮しは続いていた。


 正直、子供でありながら、大人とやっていることは変わらなかった。


 朝おきて、洗濯をして、朝食を作る。朝食がすんだら祖母に薬を飲ませ、慌ただしく学校に行く。


 ただ、学校に行っている間は、伯母が代わりに祖母みてくれて、お昼を食べさせてくれたり、掃除をしてくれたり。


 その点はありがたかったけど、学校から帰れば、休む間もなく宿題をして、夕飯を作って、一段落した頃には、風呂の準備。


 それは、まるで召使いのようだった。


 自分のためではなく、祖母のために動く召使い。そして、そんな俺の一日は、いつもあっという間に過ぎ去った。


 だからか、休みの日に過ごす結月との時間が、唯一の癒しでもあった。


(日曜日に入学式なんて、ついてないな)


 学校があるせいで、今日は結月に会えない。


 会える日に、会えないせいか、なんだか心が落ちつかない。


「おめでとう、玲二れいじ

「……」


 仏壇に向かって手を合わせると、祖母が再び声をかけてきた。


 祖母は、あの後もずっと、俺のことを父の名で呼んでいた。


 そのせいか、俺ももう『ばぁちゃん』とは呼ばなくなった。


 まるで、父が生きているように、父のように振る舞った。


 忘れた祖母は、幸せだ。


 息子の死を嘆くことも、悲しむこともなく、俺のように復讐に心を染めることもない。


 老い先短い人生。今はただ穏やかに、生きて欲しいと思った。


「入学式、頑張ってねぇ」


「別に、頑張らないといけないようなことはしないよ」


「そうなのかい? でも、めでたいねぇ。何かプレゼントをしたいねぇ」


「プレゼント?」


「うん。玲二の入学祝い」


「……」


 忘れた祖母は、優しい人だった。

 だから、ある意味、利用しやすかった。


「じゃぁ、猫が欲しい」


「え? ねこ?」


「うん。猫、飼ってもいい?」

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