第156話 復讐と愛執のセレナーデ ⑪ ~仔猫~


「ねぇ、この花の、知ってる?」


 それは、いつもの温室の中で、結月が植物図鑑を読んでいた時のこと。


 いきなり、花言葉なんていわれて、興味のなかった俺は


「知らねーよ。花言葉なんて」


 と、そっけなく返せば、結月はくすくすと楽しそうに笑いながら「ヤマユリ」のページを見つめた。


「ヤマユリの花言葉はね。純潔、威厳、飾らない愛、それともう一つ『人生の楽しみ』っていう花言葉があるの。"生きていることを楽しむ"って、とても素敵な言葉だと思わない?」


 結月が、図鑑の中の写真に指を這わせながら呟いて、俺は無言のまま、結月をみつめた。


 俺にとってそれは、あまりいい言葉に聞こえなかった。


 ──生きていることを楽しむ。


 そんなの、まるで夢物語のようで、だけど、それは結月も同じだったのかもしれない。


 結月は、その後、悲しそうに父親のことを話し始めた。


「私ね、お父様に『ユリの花のようになりなさい』って言われるの。『白ユリみたいに、純粋で穢れのない娘でいなさい』って……でも、お父様がそう言ってるのは、全部この"家"のためで……だから私、真っ白なユリの花が嫌いなの」


 いつも穏やかな結月は、親のことを話す度に、辛そうな顔をしていた。


 そして、それを見るうちに、俺は気づかされた。


 結月は、あの親に、全くのだということを。


 そして、結月を苦しめても、あいつらは悲しまないし、苦しみすらしない。


 俺が、そう気づくのに、あまり時間はかからず……


 なにより、復讐を誓って近づいたはずなのに、全く無意味なことをしようとしている自分に気づいて、一体、なんのために結月と一緒にいるのか、よく分からなくなった。


 だけど、結月と会っていると、不思議と悲しい気持ちが紛れた。


 寂しい気持ちも

 苦しい気持ちも


 ただ、隣にいるだけで、とても安心した。


 ちゃんと、わかってはいた。


 結月は、俺の父を死に追いやった、悪魔のような一族の娘。


 それを、よく分かっていたはずなのに、なぜか俺は、もう結月から離れられなくなっていて、そして「いつか、この屋敷を出たら、本物のヤマユリを見に行きたい」そう言った結月に、俺は、またひとつ約束をした。


 俺の家の庭先に、夏頃、咲くヤマユリの花。咲いたら、それを見せてやる──と。


 小さな約束は、いつしか未来への約束に変わって、俺は結月を繋ぎ止めるのに必死だった。


 どうか、この先も、結月と一緒にいられますように……



 ✣


 ✣


 ✣



 そして、それは寒い冬がすぎ、春を迎えた頃だった。


 ついに、四匹分の仔猫の飼い主が見つかって、結月に、それを伝えれば、結月はとても喜んで、俺に抱きついてきた。


「スゴーイ! 望月くんって、私のお願い、何でも叶えてくれるね!」


「ちょ、抱きつくなよ」


「だって、嬉しいんだもの。ありがとう、望月くん!」


 この頃の結月にとって、俺は何でも叶えてくれる魔法使いみたいな存在だったかもしれない。


 まぁ、それも懐柔しようと、なんでも言うことを聞いていた結果だけど、こうして喜ぶ結月を見ると、もっと色々叶えてやりたいって思った。


「にゃ~」


 そして、あれから仔猫たちは、少し大きくなって、だいぶ活発に動くようになっていた。


 結月が献身的に世話をしていたからか、一匹も弱ることなく、健康的に育った仔猫たちは、じゃれつくように俺たちに擦り寄ってきて、それを見ると自然と頬が緩んだ。


 だけど、この子達とも、もうお別れ。


 その後、結月もお別れをしたいとのことで、週末、俺たちは一緒に屋敷を抜け出して、公園に向かった。


 声をかけた飼い主たちにも、集まってもらって、それから、どの猫を誰が引き取るかの話し合いになった。


 そして、そのうちの一人に、俺のクラスメイトがいた。


 名前は、桂木かつらぎさん。


 前に、餅津木家のパーティーで俺に「望月くん」と言って声をかけてきた、あの女性は、子猫の飼い主になってくれた一人だった。


「わ~、この子、ちょっと望月くんに似てない?」


「そうか?」


「うん、顔がシュッとしてて、凄くカッコイイもん! お母さん、私この子がいい~! この子に決めてもいい~?」


「いいわよ」


 桂木と話し終えて見送ったあと、俺の横で、結月が小さく話しかけてきた。


「……さっきの子と、仲良いの?」


「え? 仲いいっていうか、ただのクラスメイトだよ」


「そう、なんだ……」


「?」


 微妙な返事をする結月に首を傾げつつも、その後、仔猫は着々と引き取られていって、俺たちは、それを名残惜しそうに見つめていた。


 だけど、最後の一匹になった時──


「あら、この子、メスなの?」


 残った黒猫を見て、中年の女性が訝しげに眉をひそめた。


「はい。この子だけ、女の子で」


「あら、そうだったの。私、オスだったら引き取ろうとおもってたんだけど、メスはねぇ」


 どうやら、女性はオス猫なら飼うつもりだったらしく、結局、その黒猫を引き取ってはくれなかった。


 その後、公園の中には、また二人だけになって、ただ呆然と、箱の中に残った仔猫を見つめながら、俺たち途方にくれた。


 特に結月の方は、意味がわからなかったらしい。


「なんで、引き取ってくれなかったの?」


「それは……メスだからだろ」


「メスだから? どうして? 女の子はダメなの?」


「ダメっていうか。メスは、子供を産むから、嫌がられることがあるんだよ……避妊の手術をするにも、お金がかかるし」


「…………」


 俺の話を聞いたあと、結月は一匹だけ取り残された子猫を抱き上げて、悲しげに頭を撫でた。


「そう……女の子だからダメだなんて、私と一緒ね」


「……え?」

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