第151話 復讐と愛執のセレナーデ ⑥ ~宝物~


 行先は、走りながら考えて、それからしばらく走った俺達は、四丁目の公園にたどり着いた。


 ジャングルジムとか、ドーム型の遊具とかが、少しだけあるこじんまりとした公園。


 人はまばらで、俺は改めて結月に向き直ると「大丈夫か?」声をかけた。すると、結月は息を荒くしながら


「はぁ、はぁ……だ、大丈夫」


 明るく笑ってはいたけど、その明らかに大丈夫そうじゃない息遣いに、俺は軽く罪悪感を抱いた。


(ちょっと、早すぎたかな……)


 これでも、速度はおさえたはずだった。でも、まだたりなかったらしい。


「ごめん、早すぎたな」


「うんん、私が遅いだけだし……それより、ありがとう。警察沙汰になったら、お父様に叱られてしまうから、助かったわ」


(……お父様?)


 そのなじみのない言葉に、俺は首を傾げる。俺の通う学校で、自分の親を『お父様』なんて言う子供は、一人もいなかったから。


(そういえば、この子、結構いい服着てる気がする)


 そして、その時初めて、俺は結月の姿をまともに確認した。


 肩下より伸びた茶色い髪に、大きな瞳。だが、その服装は、こんな公園にいるには、あまりにも場違いだった。


 まるで結婚式の帰りかと言いたくなるような、よそ行きのヒラヒラしたスカートを穿いていたし、服の上に来ていたコートも、高そうな毛並みのボアコートを着ていたから。


(どっかの金持ちの、お嬢様か?)


 この時は、父の仇ともいえる阿須加家の娘だなんて想像もしていなかったけど、その姿が、明らかに庶民でないのは、見ただけで分かった。


 だけど、そんなお嬢様が、猫の入った箱を抱えて、あんなところで何をしていたのか?


 疑問は更に増えて、俺は結月に箱を差し出しながら問いかけた。


「お前、あんなところで何してたんだ? あと、この猫は?」


「あ、そうだ。猫ちゃん!」


 すると、結月は箱を受け取り、その中を覗きこんだ。


 中には、生後間もない子猫が4匹も入っていて、そして、その猫たちは、結月の顔を見るなり、まるで母親に甘えるように鳴き始めた。


「ミャ~、ミャー」


「あー、よかった。ごめんね。怖かったよね」


 きっと、事故にあった時、手元から離れたことを謝っているのかもしれない。


 まぁ、猫の入った箱を抱えたまま、車にひかれそうになった俺を助けたのだ。


 ハッキリ言って、かなりの無茶だ。



「それ、君の猫?」


「あ、うんん。この子達、うちの屋敷の外に捨てられてて、私が温室の中で、こっそり育ててたの。でも、明日庭師をきたら、きっと見つかっちゃうから……」


「…………」


 その言葉に、俺は眉を顰める。

 見つかっちゃうから、なんだ? 要は


「また、捨てに来たってこと?」


「ち、違うわ! あ、でも見つかっちゃったら、きっと捨てられちゃうから、今日一日だけ、どこかに隠そうとおもって」


「でも、見つかったらってことは、親には飼っていいって言われてないんだろ。じゃぁ、どの道、ずっと飼い続けるなんて無理だし、いずれ捨てることになるだろ」


「そ、それは……」


 少し強めの口調で問いただせば、結月はその後、青ざめながら俯いた。


 俺は、それを見て、あきれ果てる。


「はぁ……中途半端に情けをかけられて、中途半端に捨てられて、そっちの方が、よっぽど迷惑だってわかんねーの? 大体、野良猫がこの先もどうなるか、お前知ってるのか?」


「え?」


「あそこの看板にも書いてあるだろ『野良猫にエサを与えないでください』って。人間に情けをかけられて生きのびた野良猫は、その後、子供を産む。だけど、増えすぎれば、役所に連れてかれて殺処分だ」


「さ……」


「お前が助けたその猫も、いつか野良猫に戻るなら同じなんだよ。こいつらか、もしくはこいつらの子供が殺されるだけ。今、お前がやってるのは、この先死んでゆく猫の数を増やしてるだけだ」


「……っ」


 俺の言葉に、結月は、じわりと目に涙を浮かべた。


 少し言いすぎたかもしれない。だけど、この箱の中にいる子猫たちが、まるで自分と同じようにみえて、少し腹が立ったのもあった。


 この猫たちは、今、この子の拾われて、とても幸せだと思う。


 だけど、結局、捨てられてしまうなら、初めから情けなんてかけられない方が良かったって思うかもしれない。


 俺だって、この子に救われた。


 だけど、そのせいで、を自覚してしまった。


 この子の中途半端な善意のせいで、俺はこの先一生、苦しむのだと思った。


 死ぬことすらできない、この世界で、ずっと──…


「っ……ごめんなさい」


 すると、結月は、ポロポロと泣き始めて、俺はそれを見て、深くため息をついた。


「はぁ……ごめん。言いすぎた」


「うんん、あなたが怒るのも無理ないわ。私、あまり世間のこと、よく知らなくて。本当はね、うちの屋敷で飼おうと思ったの。でも、お母様が、動物アレルギーがあるから飼ってはダメって言われて……だけど、あのままほっとくなんて出来なくて……っ」


「…………」


 悲痛な結月の声をきけば、ただ単に、優しい子なのだろう。そう思った。


 今そこにある命を、ただひたすらに助けようとする。そんな、優しい心の持ち主。


 正直、先ばかり考えて、自分の人生すら切り捨てようとする俺とは、真逆の存在だとすら思った。


「どこかに隠すとか言ってたけど……どこに隠す気? 今夜、大雨って言ってたけど」


「え? うそ……っ」


「こんな寒い日に雨まで降れば、さすがに死んじゃないか?」


「え!? そんな……!」


 箱の中をみつめると、結月は酷く塞ぎ込んだ。だけど、きっとこの子にはどうにも出来ない。


 子供にとって親の存在は絶対だ。親が飼えないといったら、それに従うしかないし、見つかったら捨てられる。


 力のない子供は、親の言いなりで、そして、その親がいなくなれば、子供は生きていけない。


 今の、俺みたいに──…



「俺が……預かろうか?」


「え?」


「……あ、」


 だけど、思わずでた言葉に驚いたのは、俺自身だった。


 何を言ってるんだろう。


 今、ここで、この猫たちを助けても、いつか、すてられてしまうかもしれないのに。


 だけど、その後、俺の手を握りしめて


「ほんと! ほんとに預かってくれるの!?」


 と、目を輝かせる結月を見れば、出た言葉を撤回することなんて出来ず


「い、一日……だけなら」


「うん! 一日でいい! ありがとう!」


 すると、猫の無事を確信してほっとしたのか、結月は、その後ふわりと嬉しそうな笑顔をうかべて、その姿には、不思議と荒んだ心が穏やかになった。


 俺だって、できるなら、子猫を見殺しにはしたくなかった。


 弱い者を助けない。

 そんな人間には、なりたくなくなかった。


 ただ、それだけ。


 でも、俺の手を握り、何度もお礼を言う結月を見ると、正直、悪い気はしなかった。


「あ、そうだわ。これ返さなきゃ」

「?」


 すると、今度は、結月がコートのポケットから空っぽの箱を取り出し、俺の前に差し出してきた。


 何も入ってない空っぽの箱。だけど、俺にとっては、大切な宝物のようなもの。


「あぁ……ありがとう」


「ねぇ、それ何が入ってるの?」


「……え?」


 すると、どうやら、中身が気になったらしい。結月が箱を見つめがら問いかけてきて、俺は、一度受け取った箱を、また差し出した。


「開けてみる?」

「え、いいの?」


 ちょっとしたイタズラ心が、半分。


 箱の中を見て、コイツはどんな顔をするんだろう。そんな好奇心が半分だったと思う。

 

 俺が箱を差し出せば、結月は、それを受け取ったあと、カポッとその蓋を開け


「──え?」


 その後、硬直した。


 無理もない。だって、中には何も入っていないのだから……


?」

「え!?」


 だけど、あたかも何か入っているように言えば、結月は目を丸くし、驚いた。


 箱の中と俺の顔を何度もみくらべで、目を細めたり、難しい顔をしたり。

 

「はは、変な顔」


「だ、だって……ねぇ、もしかしてこれ悪い子には見えない物なの?」


「なんだよ、それ。どこのおとぎ話だよ」


「だって、私には何も……っ」


「ウソだよ。何も入ってない。ていうか、そこに入ってるものは、見えない」


「見えない?」


「うん、その中に入ってるのは……俺の親の『愛情』だけ」


「え?」


 箱を見つめて、そういえば、結月もまた箱を見つめた。


 何も入ってない空っぽの箱。だけど、その箱の中には、俺の父の愛が詰まっていた。


 大切な母の肩身を売ってまで、俺を育てようとしてくれた


 そんな父の、大きくて温かい愛が……



「……笑えよ」


「え?」


「俺だってわかってるんだよ。空の箱に『愛』が入ってるわけないって……」


 だけど、自分でも馬鹿なこと言ってるのは、わかっていた。


 何が、愛だ。


 そんな見えないものにすがりついて、必死に心を保って。


 わかってるんだ。本当は、こんな空の箱、なんの価値もないって──…


「笑わないわ」

「……え?」


 だけど結月は、その後、俺の手をとると、手の平に箱をのせて、また柔らかく微笑んだ。


「私にも見えてきたわ。この箱の中にあるもの。だから、笑ったりしないわ。むしろ、この箱を持ってるあなたが……羨ましい」


「羨ましい?」


「うん……だって私は、もの」


 そう言った結月の言葉が、その時は、全く理解出来なかった。


 だけど、俺は、後に知ることになる。


 この時の結月にとって『親の愛情』は、どんなに探しても見つからない


 『宝物』のようなモノだったのだと──…



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