第150話 復讐と愛執のセレナーデ ⑤ ~箱~


 弾き飛ばされた乗用車は、そのまま橋の欄干にぶつかって停車した。


 今まさに九死に一生を得た俺は、その場から数歩離れた場所で、結月に押し倒されていた。


 危ない──と叫びながら、抱き着かれたあとは、まるでスローモーションのようにゆっくりと世界が動いて、衝撃音とともに意識が覚醒する。


 すると、俺から離れた結月は、俺の無事を確認したあと


「よかった……っ」


 そう言って、ホッとしたような笑顔を浮かべて、それを見た瞬間、不思議と心が震えた。


 今、俺は死のうとしていたはずなのに、俺が生きていることを喜んでくれた、その姿に、なぜだか涙がでそうになった。


「大丈夫か!?」

「早く、救急車!!」


 だけど、そんな思考も、事故のあとだけあって一瞬にしてかき消された。


 起き上がり状況を確認すれば、俺たちの周りは、フロントガラスの破片が散らばり大惨事になっていた。


 乗用車に乗っていた女の人は、気を失っているみたいだったし、その乗用車がぶつかった場所は、さっきまで自分がいた場所だった。


 きっと、結月が助けてくれなければ、俺はあの日、確実に死んでいた。



(俺……生きてるんだ)


 自分の手の平を見つめて、生きていることを確認する。


 さっきまで、死のうとしていたのに、なぜかホッとしている自分がいた。


 死んで楽になりたいと思ったはずなのに、俺は、本当は死にたくなかったのだと、胸の内で理解した。


(あれ……?)


 だけど、その手の平を見つめて、ふと、あることに気付いた。


 さっきまで持っていた、あの空っぽの箱。


 それが、なぜか手元から消えていて


「箱がない!」

「……え?」


 だけど、そう叫んだのは、俺だけじゃなかった。


 視線を上げれば、結月もまた俺と同じことを同時に叫んでいて、俺達は目を見合わせた。


 そう、この時、俺と結月は、二人とも『箱』を手にしていた。


 俺の持つ、空っぽの小さな箱と、結月の持っていた、小脇抱えられるくらいの大きな箱。


 そして、それは、事故を回避する時、二つとも手元からなくなってしまって


「箱って……お前も」


「あ! あの箱!! お願い、とって!! 落ちちゃう!!」


 必死に叫んだ、結月。

 振り返れば、俺の背後にがあった。


 手がギリギリ届くか分からない距離にあったのは、ケーキでも入りそうな大きめの箱。そしてそれは、今にも橋から落ちそうになっていて


 ──ガシ!!


「……っ」


 咄嗟に手を伸ばして、その箱を掴みあげた。だけど


(重っ……何が入ってるんだ?)


 結月が持っていた箱は、こそこその重量があった。俺の空っぽの箱とは全く違う重み。だけど、その箱を抱え上げた瞬間


「にゃー」

「!?」


 中から声がした。

 か細く小さい……猫の声。


(え? この中、猫が……っ)


「ねぇ、もしかして、君の箱ってこれ?」


「え?」


 すると、今度は結月が俺の箱を見つけたらしい。俺に向けて、あの空っぽの箱を差し出してきた。


 目の前に戻ってきた大切な箱に、俺はホッとする。だけど、その直後


 「君たち、大丈夫か!?」


 と、大人たちが駆け寄ってきて、話は中断された。子供が二人、事故に巻き込まれたわけだから、当然の反応だとおもう。


「怪我はないか!?」

「今、警察と救急車が来るからね!」

「え……警察?」


 だけど、その大人たちの言葉に、結月が急に怯え始めた。


 今になれば、その理由は手に取りように分かるが、その頃の俺が、それを理解できるはずもなく。だけど、その表情を見て、何か訳ありなのかと思った俺は


「おばさん、俺達、どこもケガしてないから!」


「え、ちょっと待って! 本当に怪我してないの!?」


「してない! ほら、行くぞ。俺の箱なくすなよ」


「え──わっ!」


 その後、結月の手と取ると、俺は猫の箱を抱えたまま走り出した。


 本当は、かすり傷くらいはあったけど、警察を見ると父のことを思い出して嫌だったから、とにかく今は、ここから離れよう。

 

 そう思って、俺は結月と一緒に駆けだした。


 行先は、何も考えてなかった。


 だけど、その時繋いだ結月の手が、なんだかとても温かくて


 俺は久しぶりに、"生きていること"を実感した。




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