第149話 復讐と愛執のセレナーデ ④ ~弱者~


 それから数日は、現実味のない世界を生きていた。


 忘れたいと思っても、忘れることは叶わず、まるで、なにかに取り憑かれたかのように、父の部屋で、父の手帳をずっと眺めていた。


 毎日ではなく、定期的に書かれていたその日記には、母への言葉と、俺の成長を喜ぶ言葉、そして、仕事の愚痴や悩みが、痛々しく吐露とろされていた。


 父が働いていたホテルは、この町でも有名な阿須加一族が経営するホテルで、彼らは、従業員を奴隷のように扱う、まさに悪魔のような一族だということ。


 そして、そのホテルで、若いながらに仕事が出来た父は、コンシェルジュだけでなく、ドアマンやクラークといった他の業務も兼任していたらしい。


 その上、微々たる役職手当を付けられただけで、必要以上の時間外労働を強いられ、まともに休憩すら取れなかったとか。


 そして、中でも一番苦痛だったのが、社長の友人たちを招いて行われた接待。


 政界や著名人が招かれ、酒を混じえて行われたその席では、酷いセクハラを受けていたらしい。


 だが、どんなに嫌だと訴えたくとも、社長の命令には逆らえず、客に気に入られたが最後、脅されて辞めることも出来ない。


 阿須加家は、この辺りでは顔が広く、目をつけられれば、その後の仕事はないとすら言われていたから。


 そして、それが何年と、続いていたらしい。


 阿須加家にとっては、仕事ができ、その上見た目もよかった父は、格好の餌食だったのかもしれない。


 

 ✣


 ✣


 ✣


「お前らが、殺したんだろ!!」


 その後、手帳を読めば読むほど、俺の怒りは、ホテルを経営する阿須加家に向かった。


 そしてそれは、2月の上旬。


 怒りや悲しさが爆発して、ホテルに咆哮ほうこうしたことがあった。


 せめて、知って欲しいと思った。


 父は事故ではなく、コイツらに心をズタズタにされて、殺されたのだと。


 だけど


「なーに、この子? ホテルのイメージが悪くなるじゃない。早く追い出して」


 俺の前に現れたのは阿須加 美結は、俺の話など一切聞かず、そう吐き捨てた。


 会社の従業員が一人亡くなって、その息子が尋ねてきたというのに、まるでそんな従業員は知らないとでも言うような口ぶりに、苛立ちや憎しみは頂点に達した。


「知らないわけないだろ! お前らが、父さんに、無理やりお酒を飲ませて」


「知らないものは知らないのよ。証拠もないのに適当なこと言わないでちょうだい。それに、あまり騒ぐと、この町にいられなくなるわよ」


「っ……」


 あぁ、父もこうして脅されていたのだと思った。


 絶対的な権力の前には、人は無力になる。なにより、こんな小さな子供の言葉なんて、象に楯突く蟻のごとく簡単にねじ伏せられた。


 悔しい、悔しい。


 結局、俺は父の無念を晴らすことも、コイツらに一矢報いることも出来ない。


「お前らのこと、絶対に許さないからな……!!」


 その後は、ただ『人殺し』と罵ることしか出来ず、まるで負け犬の遠吠えといわざるをえなかった。


 悔しくて、辛くて、涙が溢れる中、俺はフラフラと町の中を歩き回ると、その後、父が亡くなった橋の上まで来た。


 必死に奥歯を噛み締めて、怒りの感情を押さえ込む。


 だけど、もう限界だった。誰にも理解されないもどかしさは、着々と心をすり減らした。


 そして、誰よりも許せなかったのは、そんな父の苦しみに、一切気づけずにいた


 ──自分自身。



「ごめん、父さん……っ」


 川の水は、冷たかっただろうか?

 息ができなくて、苦しかったかもしれない。


 ずっと、苦しんでたのに、気づかなくて、ごめん……っ


 橋の上から、父が落ちた川の中を見つめ、ひとしきり涙を流した。


 苦しい

 苦しい


 父がいない世界が、こんなにも──苦しい。



(俺も死んだら……楽になれるかな?)


 呆然と川を見つめながら考えた。


 『許さない』と、アイツらには担架を切ったが、正直、あの一族に抗えるとは思えなかった。


 子供の自分には、何も出来ない。


 いや、仮に大人になったとしても、権力の前には、為す術もなく朽ち果てる運命。


 例えこの先、勉強して大学に行き、大人になったとしても、きっと、あの阿須加家に、俺は勝つことが出来ない。


(悔しい……っ)


 父が残してくれた空っぽの箱を握りしめながら、俺は橋の上で、ギリッと奥歯を噛み締めた。


 力のない自分には、きっと復讐すらままならない。なら、何を糧に生きればいい?


 親戚からは厄介者扱いされて、祖母とも引き離されて、いずれは顔も知らない親の元にひきとられる。


 苦しさが限界に来て、俺は真っ直ぐに川の底を見つめると、その瞬間、父が死を選んだ気持ちが、よくわかった気がした。


 こんな世界、生きていても全く意味が無い。


 苦しくて、悲しくて、辛いばかりのこの世界で、光を見出すことが


 どれだけ難しいことか……


(きっと、苦しいのは少しの間だけだ……っ)


 ほんの少し我慢すれば、この先続く苦しみからは開放される。


 俺は、空っぽの箱を手にしたまま、そっと目を閉じた。


 自殺した人間は地獄にいくと、なにかの本で読んだ。


 でも、父さんも同じ地獄にいるなら、きっとまた会える。


 生きていても地獄

 死んでも地獄


 なら俺は、家族と一緒にいられる地獄を選びたい。


 だけど、そんな俺の思考を、それは唐突に引き裂いた。


 ──ガシャァァァン!!!


 背後に響いたのは、けたたましい衝撃音。


 ガラスや金属が激しくぶつかり合う音に驚き振り返れば、乗用車とトラックが衝突し、その衝撃でぶつけられた一台がこちらに弾き飛ばされて来るのが見えた。


 きっとこの時、俺は死ぬはずだった。


 神様は自殺ではなく、轢き殺される事を選んだんだろう。


 だけど、そんな俺の運命を変えたのが


「ッ──危ない!!」


 そう言って抱きついてきた──結月だった。

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