第147話 復讐と愛執のセレナーデ ② ~訃報~


『夜分遅くにすみません、警察の者ですが』

「……え?」


 その夜の事は、今でもよく覚えてる。


 強い雨が打ち付ける、午前1時すぎ。突然降り出した雨に寝付けず、布団の中でなかなか帰って来ない父を、一人待ち続けていたその時、その電話は、鳴り響いた。


 日頃、こんな夜遅くに電話がなることはない。固定電話の呼び鈴が、不気味に鳴り響く中、恐る恐る電話に出れば、それは警察からだった。


 そして、その内容は、父が川に落ちて事故死したと言うもの──


「事……故死?」


 何を言われたのか、うまく飲み込めなくて、俺は受話器を握りしめたまま立ち尽くした。


 目撃者の話によれば、父はお酒を飲んでいたらしく、帰り際、ふらついる姿を目撃されていたらしい。


 そして、その後、橋の上を通りかかった時に、酔っていたせいで、誤って川に落ちたのだろうと言われた。


 だけど、俺からしたら、そんな話、信じられるはずがなかった。


 あの真面目な父が、お酒を飲んで仕事をするはずがない。


 なにより、が、お酒を飲むなんて、絶対にありえない。


 だけど、世間の見方は、お酒を飲んでいたと言う話だけが一人歩きして、真面目で寡黙だった父の評価は、あっという間に覆った。



「子供と高齢のお母さんを置いて、飲み歩いてたんでしょ?」


「まぁ、そんなに人には見えなかったけど……」


「家族をほったらかして飲み歩いてたなんて、きっとバチが当たったんだな」


「こんな真冬に、川に落ちて死んじゃうなんてねぇ~」


 俺達のために献身的に働いていた父は、その件で、勝手にダメな父親だと噂されるようになった。


 小学生の子供がいるのに、夜遅くまで飲み歩いていた酷い父親。そして、そんな噂は、数日であっという間に広がって、世間は俺を


 ──『可哀想な子』と評した。




 ✣


 ✣


 ✣



「……葬儀は、密葬で行うことにしたから」


 父が事故死したあとは、父の姉であった伯母が、俺や祖母の代わりに、葬儀や諸々の手続きを行ってくれた。


 身元の確認ですら、伯母が行ってくれて、父の遺体は、その後一週間くらいして帰ってきた。


 話によれば、水死体は、あまり綺麗な状態ではないらしく、子供にはショックが大きいだろうと配慮されたらしい。


 だけど、司法解剖されたあと戻ってきた父は、普段と変わらず綺麗な表情かおをしていた。


 なんでも川に落ちた後、目撃した人が、すぐに警察に通報したおかげで、比較的早く引き上げられたらしく、損傷は、そこまで酷くはなかったらしい。


 だけど、あの雨の中、もしも誰にも気づかれず川に落ちていたら、父は行方知らずのまま、遺体は海まで流されていただろうと言われた。


 骨を拾ってあげられるのは、きっと幸せなことだ。そう大人たちは、俺を慰めてくれたけど、俺はそうは思えず。


 そして、父の死を受け入れられないまま、葬儀は、親族だけで密やかに執り行われた。


 幸い、父の人柄をよく知っている人ばかりだったから、その場で、父を悪く言う人はいなかった。


 だけど、葬儀が終わりに近づくにつれて、親族たちは、俺と祖母の引き取り先で揉め始めた。


「だから、お義母さんの面倒は見れても、レオ君までは無理だよ! うちには、娘が三人もいるんだから、年頃の男の子と一緒に暮らすわけには!」


「じゃぁ、レオ君はどうなるんですか!?」


「可哀想だとは思うけど、うちはお義母さんだけで手一杯だ!」


「じゃぁ、他にいないのか! 引き取れる家は!」


 なんとなく、予想はしていた。


 祖母は認知症だったし、俺は春から中学生になるから、この先お金もかかる。親戚が渋るのは当然のことだった。


「ごめんね、レオ君。とりあえず、老人ホームの空きがでるまで、おばあちゃんと一緒に暮らしててくれないかな?」


 その後は、俺の引き取り先がはっきりと決まらないまま、俺はあの家で、また暫く祖母と暮らすことになった。


 祖母は今後、老人ホームに預け、伯母家族が見てくれるらしい。


 だけど、一度同居してしまうと、老人ホームに入居できる優先順位が後になってしまうらしく、入居先が決まるまでは、今まで通り俺と暮らして、その間は、毎日伯母が様子を見に来てくれることになった。


「レオ君の引き取り先のことも、必ず何とかするから心配しないでね?」


 色々不安ではあったけど、伯母は、俺の今後のことについても、しっかりと考えてくれていた。


 なにより、俺自身も、伯母の家に行きたいとは思わなかった。


 引き取られたあと、イトコの女の子三人と、それを快く思わない父親と一緒に暮らすのは嫌だったし、いっそ施設にでも行った方が、気が楽だとすら思っていた。


(これから、どうなるんだろう……)


 仏壇の前で、父の写真を見ながら呆然とする。葬儀が終わっても、父が亡くなったことに、あまり実感がもてなかった。


 なぜなら、日常は、世界は、それまでと、あまり変わらなかったから。


 一緒に暮らしていた祖母は、相変わらずに穏やかで、きっと、分かってなかったんだと思う。自分の息子が、死んでしまったということに……


、今日はいい天気だねぇ」


 写真を見つめる俺に、縁側に座って、庭を眺めていた祖母が話しかけてきた。


 その名前は、今も父のままだった。


 幼い息子に語り掛けるように発せられた優しい声。俺はそれに、いつも反発ばかりしていた。


 俺の名前は『レオ』だと──


 だけど、祖母の中では、父はまだ生きていて、死んでしまったのは、消えてなくなってしまったのは、俺の方なんだと思った。


 きっと、祖母の中では、孫である俺の存在なんて、忘れてしまうほどのものだったのかもしれない。


(ばあちゃんこんな調子だし。俺が、父さんの荷物、片付けないと……)


 その後、フラフラとおぼつかない足で、父の書斎に入れば、俺はその中をぐるりと見回した。


 まだ、父の死を受けとめられたわけではなかったけど、親戚から、父の荷物を早めに整理するよう言われた。


 祖母が老人ホームに移って、俺の引き取り先が決まったら、この家は売りに出すらしい。だから、不要なものは、早めに処分しておくようにと──


(……全部、捨てなきゃならないんだ)


 心の整理すら、まだ出来ていない状態で、父の物を処分しなくてはならないのは、身を切られるほど痛かった。


 父が使っていた書斎は、一番奥の和室。


 四畳半の小さなその部屋の中には、タンスと机と姿見があるだけの簡素な部屋だったが、そこには確かに父の面影があった。


 机の上には、父の使っていたノートと万年筆があって、姿見の側には、仕事用のスーツとワイシャツがかかっていた。


 アイロンがしっかりかかったワイシャツに袖を通して、父はいつも鏡を見ながら身だしなみを整え、仕事に行っていた。


 俺は、その姿を見るのが好きだった。


 スーツを着た父は、コンシェルジュとして働く父は、とてもとてもカッコよかったから──


「なんで……お酒なんて……っ」


 だけど、未だに分からない父の不可解な行動に、父を責める気持ちは、少しずつ大きくなった。


 なんで?

 お酒は嫌いだっていってたのに。


 仕事が終わったあとは、寄り道なんてせずに帰ってくるって言ってたのに。


 なんで?

 なんで?


「なんで……っ」


 父の匂いが染みついたその和室にいると、自然と父の姿を思いだした。


 穏やかに、落ち着いた声で「レオ」と、名前を呼んでくれた父。


 この家で、俺の名前を呼んでくれるのは、もう父だけだった。


 それなのに──…


「っう……なんで……っ」


 不意に涙が溢れそうになって、必死に奥歯をかみ締めた。


 きっと泣いたら、片付けどころではなくなる。


 俺は、その後、無理やり気持ちを整えると、父が使っていた机の前に膝を着いた。


 低めのその机の前には、座布団が敷いてあって、父はよくここに座って、明日のスケジュールを書き込んでいた。


 仕事で使っていた手帳は、川でなくなってしまったらしいけど、その光景は、今でも目に焼き付いていて、俺は一つ一つ確かめるように机の天板に触れ、その後、そっと引き出しに手をかけた。


 手前に引けば、木製の引き出しの中は、とても綺麗に整理されていた。


 几帳面な父らしい、引き出しの中身。

 だけど……


「……なんだ、これ?」


 その中に、全く見覚えのない物が入っていて、俺は首を傾げた。


 ゆっくりと手に取ったそれは、俺の手に収まるくらいの


 小さな小さな、正方形の『箱』だった。






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