第137話 夢と執着


「俺、実は……仕事をやめて、アイツの『夢』を一緒に叶えるつもりでいたんです!」


 そう言って、強い口調で打ち明けた谷崎をみて、ルイは目を見開いた。


 肌寒い秋の夜は、そこそこ冷えるが、その言葉には、酷く熱が籠っているのを感じたから。


「……夢?」


「はい。アイツ、料理人なんですけど、子供の頃から、自分の店を持つのが夢で……だから俺も、その夢を応援したいと、ここ8年で必死に料理の腕を磨きました。いつか結婚したら、一緒に店を出そうと思って」


「……」


「最近、やっと愛理から、料理を褒めらるようになって……凄いって、美味しいって、俺が考案したメニューを喜んでくれるようになって……かなり時間はかかったけど、これなら愛理と肩を並べられると思ったんです。それに、アイツも、もう30歳だし、ちゃんと店を出すための資金も貯めたし。あの日は、アイツの誕生日だったから、今だって思って、プロポーズしようとしたんですが……」


「あー……なるほど。それで、仕事辞めて、一緒に店を出そうってプロポーズしようとして、失敗したんだね」


「…………はい」


 つまり、彼女は肝心なところを聞く前に『仕事を辞める』と言ったその言葉だけを聞いて、激怒してしまったのだろう。


 なんとも悲しい、すれ違いである。


「それ、ちゃんと伝えた方がいいよ」


「いや、もういいっすよ。話も聞かずに別れ話するような女と、この先やっていく自信が……」


「うーん……でも、その日、誕生日だったんでしょ。彼女も少しは期待してたんじゃないかな?」


「え?」


「30歳って、女の子にとっては、結構大きな数字だと思うよ。だから、プロポーズしてくれるの待ってたんじゃない? でも、仕事辞めるって言われて、結婚する気ないんだって思って、悲しくなっちゃったのかも?」


「そう……なんですかね?」


「もしかしたらね。それに、彼女のために、8年も腕を磨いてきたのに、それを知られないままってのも悔しくない?」


「え?」


「彼女の夢が、君の夢でもあったんでしょ? だから、それだけ頑張ってこれた。夢の実現が、後一歩のところまで来たのに、こんな形で諦めちゃうのは勿体ないよ」


「…………」


「僕の友達にもいるんだ。彼女の夢を叶えるために8年も海外で頑張って来た男が……約束したんだって、必ず迎えに行くって、必ず彼女の夢を叶えてあげるって、でも……」


 話しながら思い出すのは、その友人が、まだ学生の頃のこと。


 レオは、結月のために、ありとあらゆる知識や教養を身につけていた。本を読み漁り、体術を極め、一般よりも、はるか上のレベルまで何もかも全て習得した。


 そして、それは、他の誰でもない。

 阿須加 結月の『執事』になるためだけに──



「でも、覚えてなかったんだ」


「え?」


「彼女、事故で記憶をなくしてて、その友人のこと、全く覚えてなかった」


「そんな……っ」


「悲しいよね。僕だったら耐えられない。でも彼は、まだ諦めてないんだ」


「え?」


「忘れられて悲しい思いをしたのに、まだ諦めずに、夢を叶えようとしてる。『夢』って、とてもキラキラしてるけど、中身はとっても残酷だよ。だって、叶えられるのは一握りの人間だけなんだから……夢を見るだけなら、誰にでもできるけど、それを叶えるのはとても難しい。頑張っても頑張っても成果が出なくて、途中で挫折して、諦める人だってたくさんいるしね。だけど、どんなに辛い現実が立ちはだかっても、彼は絶対に諦めない」


 レオは、自分の限界を、自分で決めない。


 例え、心が折れそうになっても、何度でも立ち上がって──また夢を見る。


 それは『執着』に近いのかもしれない。


 夢に執着して

 彼女に執着して


 だけど、人は執着することで、生きていける。


 それほどまでに、熱中できる何かがあれば、不思議と、人生は輝く。


 レオは昔、死のうとしたことがあるらしい。

 冷たい川に、飛び込もうとしたことがあるらしい。


 自分の限界も、無力さも

 叫びたくなるくらい痛感して


 未来に希望なんて持てなくなって、死んだ方が、楽だと思ったらしい。


 だけど、その時


 彼女がレオに、目的をあたえてくれた。



 彼女と出会っていなかったら、レオは今、生きてはいないのかもしれない。


 だからこそ、レオは、今もずっと諦めず、死ぬ気で、夢を叶えようとしてる。


 やっと、ここまで来たんだ。

 やっと、レオの努力が報われる。


 だからこそ、今は


 絶対に、この二人に、夢を諦めさせちゃいけない。



「君たちの夢は、あと一歩で叶うんでしょ? それなのに、本当に諦めていいの?」


「……」


「些細な喧嘩で、この8年を無駄にして、あとで後悔するかもしれない。どうせ諦めるなら、今までの努力も思いも、全部彼女にぶつけてからでも遅くはないと思うよ」


「…………」


 ルイの言葉に、谷崎は眉間に皺を寄せつつ考え込んだ。


 全部ぶつけてから──それは、谷崎自身思っていた事だった。


 自分が、なんのために料理の道に進んだのか? 愛理は、それを全く知らないから……


「確かに、悔しい。このままってのは」


「じゃぁ、会いに行ってみれば?」


「あ、会いにって……でもアイツ、かなり有名な屋敷でお抱えシェフしてて! しかも、その屋敷には、部外者は絶対入れないし……かと言って、愛理を呼び出しても、絶対にでてきてくれないだろうし!」


「大丈夫だよ」


「え?」


 そう言って、ルイはニッコリと微笑むと


「Je réalise mon rêve.」


「はい?」


「屋敷に入れる。屋敷の執事さんに、直接言ってみて」


「え? そんなんで、入れるわけが!」


「大丈夫。もしかしたら、すっごく優しい執事さんかもしれないし! 騙されたと思って、行ってみなよ」


「でも……っ」


「夢、きっと叶えてね」


 ルイがそういうと、谷崎は何かを決心したのか、その後『はい』と返事をした。


 二人な未来を、その執事に託し、ルイは満足げに微笑む。


 秋の夜は、とても肌寒かった。


 だけど、その日の夜は、いつも以上に、月が綺麗に輝いていた──…


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