第134話 心配

 その後、部屋に戻って来たレオは、結月と向かい合わせに座り、先程痛めた結月の指先を冷やしていた。


 細い手を取り、タオルで包んだ氷をあてがうと、少しばかり大袈裟な執事をみて、結月が眉を下げる。


「五十嵐、もう大丈夫よ」


「ダメです。しっかり冷やしておかないと―ー」


 この綺麗な手に、打撲の跡など残したくない。

 レオは、そう思いつつ、触れた手を優しく握りしめた。


 思い出すのは、昼間のこと。


 結月は何も知らない。

 何も知らされず、勝手に決められてしまった。


 もしも自分が、卒業と同時に冬弥と同棲させられると聞いたら、結月はどんな顔をするだろう。


 もしかしたら、不安で眠れない夜を過ごすかもしれない。

 この家の娘に生まれたことを、より恨むかもしれない。


「五十嵐……?」


「はい」


「元気がないみたいだけど、大丈夫?」


「……」


 不意に結月がそう言って、レオは目を細めた。


 感情が顔に出ていたのか、レオはその後また笑みを浮かべると、何事もないように笑いかけた。


「心配してくださるのですか?」


 そう言って、からかい交じりにこたえる。

 顔を近づけて目を合わせれば、いつもの結月なら、顔を赤くして話をそらすと思ったから……


「心配よ……とても」

「……っ」


 だが、その後結月は、空いた手をレオの頬へと伸ばしてきた。


 昼間、あの母親に触れられた場所に、結月の手が重なる。


 まるで、慰めるように、癒すように――


 優しく触れたその手は、あの母親のものとは全く違う、ぬくもりがあった。


(……あたたかい)


 その心地良さに、そっと目を閉じると、レオは結月の手に自分の手を重ねあわせた。


 優しくて、あたたかくて、泣きたくなるくらい、幸せな感覚。


 結月を、手離したくない。

 もう、失いたくない。


 この包み込むような笑顔も、何もかも守ってあげたい。


「なにかあったの? 顔色が悪いような……」


「大丈夫ですよ。お嬢様が心配するようなことは何もございません」


「そう?……でも、前から思ってたけど、働かすぎだし、ちゃんと休めてる?」


「はい。お嬢様が学校に行かれている間に、しっかり休んでおります」


 笑って答えるも、レオは少しだけ嘘をついた。


 本当は、結月がいない間の方が忙しい。

 屋敷の管理や庭の手入れやら。


 空いた時間にほんの5~10分の休憩はとるが、休めているかときかれたら、全く休めてはいない。


 だけど、そんなことをいえば、結月を心配させてしまう。


「心配さないでください。お嬢様は、いつも通り過ごして、そして、いつか時が来たら──俺に拐われてください」


「……っ」


 頬に触れた手を取ると、レオは、そのまま結月の手の平に口付けた。


 左手は氷のおかげで、ひんやりとしているのに、口付けられた右手は一気に熱を持って、なんともアンバランスな感覚が、結月の身体を駆け巡る。


「ぁの……五十嵐」


「……どうしました?」


「あの、ちょっと、くすぐったいというか……っ」


「でしょうね?」


「え!? ちょ……もしかして、わざとやってるの!?」


「そうですよ。お嬢様の反応を見るのが楽しくて」


「ん……ッ!」


 すると、キスだけかと思いきや、そのキスは、次第に吸い付くようなものに変わってきた。


 遊ぶように、手の平から指先、へと移動すると、結月は耐えきれず顔を真っ赤にする。


「ん、待って……そこ、跡付けないでね」


「あー、もう遅いかも」


「え!?」


「はは、冗談だよ」


 またキスマークを付けられると思ったのか、心配する結月に、レオはにっこりと笑いかけた。


 こんな見える場所に、キスマークなんて付はしない。

 付けるとしたら、また見えない所──


「次は、どこにしょうか?」


「え?」


「前の跡が完全に消えきる前に、またつけておこうかなと……」


「ちょ、それは、だめ!」


「どうして?」


「どうしてって……もし、誰かに見られたら」


「だから、見えないところに」


「見えなくても、だめなものはダメ!」


「……しかたないな。じゃぁ、俺の質問に答えたら、付けないであげる」


「し、質問?」


「あぁ、さっき、?」


「!?」


 瞬間、レオは結月の机に視線を向けた。

 さっき、指を挟んだ原因、それは、何かをあわてて隠したから。


「っ……そ、それは」


 すると、結月はバツが悪そうに目をそらした。

 それを見て、レオはまたもやにっこりと微笑む。


「答えないのなら、当ててみようか?」


「え?」


「日頃、日記を書いてる様子はないし、隠さないといけないほどテストで悪い点数をとるとは思えない。となれば……俺が『読むな』といった、あのしかないよな?」


「……っ」


 物の見事に言い当てられ、結月の顔からはサッと血の気がは引いていく。


「えーと、それは……その……っ」


 顔を下げた、言い訳を探すかのような結月をみて、レオは目を細めた。


 そうまでして、読みたかったのか?

 いや、結月のことだ。読まずに返すのは失礼だと思ったのだろう。


「読みたいなら、ちゃんと言って」


「え? でも、読んで欲しくないって……」


「読んで欲しくないよ。婚約者とお嬢様の恋愛小説なんて」


 所詮は物語。そんなことは分かってる。


 だが、それでも、婚約者という肩書を聞くだけで、冬弥を連想してしまい、あまり良い気になれなかった。


 でも、それよりなにより──


「結月に、隠し事をされる方が、辛い」

「……っ」


 あまりにも真剣に、本気でつらそうな顔をするものだから、結月は、その後、慌ててレオに弁解する。


「あ、あの、違うの! 隠し事しようと思ったわけじゃなくて……その、ごめんなさい」


「いや、俺も束縛するようなこと言ってゴメン。読みたいなら読んでいいし、俺に不満あるなら素直に言えばいい……この先、になれば、お互いのことをらしっかり理解していかないといけないし」


「夫婦?」


 唐突に飛び出した言葉に、結月は息をのむ。


 いずれ──夫婦になる。


 そう言われると、駆け落ちするという未来が、急に現実味を帯びてきたような気がしたから……


「夫婦に……なれるかしら?」


「なれるよ」


「でも、もし失敗したら?」


「しないよ、絶対。──俺を信じて」


 そう言って、頬を撫でると、結月の目には、じわりと涙がうかんだ。


「じゃぁ、五十嵐も、私に隠し事しないで」


「……」


「本当に、なにもないの?」


「ないよ」


「本当に、本当? 私だって、五十嵐の役にたちたいわ」


「役にならたってるよ。こうして側にいてくれるだけで、俺は、とてもみたされているから」


「でも、私は、それでは嫌なの。……私、自信がないの。この先、五十嵐の人生に、私が役に立てるとはどうしても思えない。だから、私に出来ることがあれば、なんでも言って。私にも、なにか手伝わせて。五十嵐一人に、背負わせたくないわ……っ」


「………」


 結月の気持ちに、自然と胸が熱くなる。


 まるで、一人で苦しまないでというように、一緒に背負うと、結月が言ってくれる。


 正直、こんなに嬉しいことはない。


「ありがとう、結月がいてくれれば、俺は、どんなことだって乗り越えられる気がするよ」


 結月が、力をくれる。

 まるで、あの幼い日のように……


 何もかもなくした、あの時

 結月は、俺に安らぎを与えてくれた。


 夢も、希望も、何もかも

 君が俺に与えてくれた。


 だからこそ──


「逃げよう、二人で……必ず」


 そう言うと、レオは、結月に口付けた。

 今度は、手の平ではなく、唇に──


「ん……ッ」


 触れた唇が、決して離れるように、執拗にキスを繰り返す。


 甘い吐息と熱い舌の感触。薄く目を見開けば、その先で、必死に自分を受け入れる結月と目があった。


 その愛らしい姿に、レオのその思いをより強靭なものにしていく。


 絶対に、冬弥の元になんか行かせたりしない。

 あんな男に、奪れたくない。


 その前に、必ず、結月を救い出す──


 






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