第133話 覚悟


 お嬢様の夕食を終えたあとは、使用人たちも揃って夕食をとることになっていた。


 時刻は7時半。テーブルの上には、冨樫が作った美味でバランスの良い夕食が、三人分並んでいた。


 今夜の夕食は、和食。


 この時間は、使用人たちが夕食をとると分かっているからか、結月からの呼び出しも滅多にない。


 まさに落ち着いて休憩をとれる時間なのだが、夕食をとりながら、レオは、ひたすら昼間のことを考えていた。


(高校を卒業したら……か)


 結月の母親・阿須加 美結から告げられた言葉。


 結月は、高校を卒業したら餅津木家に入り、冬弥と同棲することになる。


 そして、それと同時に、自分はあの母親の執事にされてしまう。


 春では、約4ヶ月。

 だが、結月が高校を卒業するのは3月1日。


 それを考えれば、残された時間は、実質3ヶ月と少し。


 それまでに、屋敷の使用人を全て追い出し、結月を連れて逃げなくてはならない。


 いや、逃げるだけじゃダメだ。

 逃げたあとのことも考えないといけない。


 名家の一人娘が執事といなくなったとなれば、確実に誘拐か、駆け落ちを疑われる。


 捜索願いが出されれば、警察の目もあざむかなくてはならない。


 逃げるルートの下見。

 住む場所の確保。


 そして、しばらく潜伏するのに必要な水や食料の調達。


 お金は、これまで貯めてきたからか、しばらくは働かなくても大丈夫なくらいはある。


 だが問題は、お嬢様育ちの結月が、その過酷な環境に耐えられるかどうかということと、それを、いつ決行できるか?


(準備が整い次第、すぐにでも出たいところだけど、この二人の転職先も同時に考えなきゃいけないし……)


 目の前で雑談をする冨樫と恵美をみつめながら、レオは目を細めた。


 辞める理由がない二人。


 しかも、住み込みで働いているとなれば、新しい職場だけでなく、住む場所、もしくは住み込みで働く場所が必要になってくる。


 冨樫の件は、ルイにも任せてはいるが、実際、復縁させて、なおかつ寿退社に持ち込むなんて……さすがに無謀すぎる。


 それは、レオとて、よく分かっていた。

 だが、何もしなければ現状は変わらない。


 でも、この二人を追い出すのは、さすがに骨が折れた。


(どうする……この際、結月が春には餅津木に移ることを話して、解雇を理由に自分たちで転職先を探させるか?)


 手っ取り早いのは、それだ。

 だが、もし話して、万が一にでも、結月に、その事が伝わってしまったら。


(ダメだ……やっぱり結月には知られたくない。卒業と同時に冬弥と同棲だなんて……っ)


 餅津木家に行かされるなんて聞けば、その後、どんな運命が待ち構えているかなんて、話さずともわかるだろう。


 結月は、冬弥の子供を身篭るためだけに、餅津木にいく。


 信頼する執事や使用人を、根こそぎ奪われ、たった一人で──


 そして、行ってしまえば、結月は、誰にも助けを求めることもできず、ただ、ひたすら、その苦痛な行為を強いられることになるのだろう。


 好きでもない男の子供を、身篭るまで、ずっと──…


「ッ……」


 冬弥に組み敷かれた結月を想像しただけで、胸がズキズキと傷んだ。


 そんなこと、絶対にさせたくない。


 目前まで迫った"最悪な未来"に、レオは思わず奥歯を噛み締めた。


 残り三ヶ月。

 三ヶ月以内に、全ての準備をすませる。


 だが、今の執事の仕事に加えて、別館の業務も覚えろと言われた。


 バレないように平常の業務をこなしながら、別館の仕事を覚え、全ての準備を一人でする。


 微かに焦りを覚えたのは、時間が足りなさすぎる。


 そんな気がしたから──…


(いや……元より奪うつもりで、いくつか計画はねってきたんだ。何としても成功させる)


 でなくては、この8年が全て水の泡。


 なにより、結月を、また家族を奪われてしまう──…



「五十嵐さん? 大丈夫ですか?」

「……!」


 瞬間、恵美に声をかけられ、レオは顔を上げた。


「酷く顔色が悪いですが、体調が優れないのでは?」

「あ、いえ……大丈夫ですよ」


 どうやら表情が暗かったからか、体調不良を疑われたらしい。


 レオはサッと笑顔に戻すと、また、いつも通り二人の雑談に参加し始めた。


「さっきの話ですが、冨樫さんは、もう彼氏とよりを戻す気はないんですか?」


「あー、ないない! 私はこの先、夢一筋に生きるって決めたから!」


「えー! でも、愛理さん、彼氏と10年つきあってたんですよね?! 私、いつか結婚するんだと思ってました!」


「そりゃ、私だってもう30だし、結婚も多少は考えてたよ。でも、この前会ったとき、アイツなんて言ったと思う!? 『愛理、オレ仕事やめようとおもうんだ!』だよ!? 30目前にした彼女がいて、仕事辞めるとか、あーこいつ私と結婚する気ないんだって、ハッキリわかった! だから、もういいの!」


「………」


 どうやら、酷くご立腹らしい。


 たしかに、結婚する気があるなら、仕事を辞めようなんて、なかなか思わないだろうが……


(やっぱり、復縁なんて無理か……)


 ならば、他の手段を考えなくては。そう思いつつも、レオの心労はかさむばかりだった。




 ✣


 ✣


 ✣



 一方、結月はその頃、有栖川から借りた文庫本を読んでいた。


 執事にバレないようにこっそり読まなくてはと、いつもは寝る前にとる読書の時間を、夕食後に変えてみた。


 この時間なら、執事は夕食をとっているから、バレることはない。


「っ……」


 だが、読み進めるうちに、またもや官能的なシーンが出てきて、結月はいったん本を閉じた。


 名家のお嬢様が、親に勝手に決められた大嫌いな"婚約者"を、次第に好きになっていくという恋愛小説。紆余曲折ありつつも、最終的に主人公は婚約者と結婚し、そして、そのシーンは、結ばれた二人が初夜を迎える感動的なシーンだった。


 まさに、愛に溢れ、恥ずかしくなるくらい甘いシーンなのだが、結月はあまり、このような本には縁がなかったため、どうにも直視出来なかった。


(……休憩しながらじゃないと読めない)


 いっその事、読み飛ばそうか?

 そんな気持ちもあったが、借りた本だし、しっかり読まなくては、失礼な気もした。


 それに、なにより、いつか自分も経験することだ。本で恥ずかしいなんて、いっている場合ではない。


(初夜……か)


 今一度、本を開いて、愛し合う二人のシーンに目を向けた。


 正直、自分には、まだ先の話だろうと思っていた。結婚してからの話だろうと……


 でも──


(ッ……もう、五十嵐が、あんなこと言うからッ)


 少し前に、執事に言われた言葉が、頭の中で反芻する。


『また、この屋敷で二人っきりになることがあったら、その時は……覚悟しといて』


 覚悟──とは、つまりなのだろうか?


 あの二人きりの夜、五十嵐に、何度とキスをされた。全身の力が抜けてしまうくらいの、甘く痺れるようなキス。


 触れられるだけで身体中が熱くなって、口付けられる度に、頭の中が真っ白になった。


 だけど、あのキス以上のことを、覚悟しておけ……ということなのだろうか?


(っ……どうしよう。やっぱり、この本にあるようなことを、するってことよね?)


 そう思った瞬間、顔が火を吹くように赤くなった。こんな恥ずかしいこと、五十嵐と──?


(ムリムリ! 絶対ムリ! あ、でも、この屋敷で二人っきりになること自体、そうあることじゃないし……!)


 執事も合わせて、使用人は三人。

 基本、二人が同時に休むことはない。


 あったとしても、三人とも住み込みだから、寝食は屋敷の中。


 実家に帰省するとか、旅行に行くとか、なにか特別な事情がある時以外は、ありえない話だ。


(ま、まだ……先の話よね?)


 恥じらいながらも、ホッとする。


 だけど、どことなく不安を感じるのは、冬弥との事があるからかもしれない。


 婚約者と付き合うことになった。

 だから、かもしれない。


 もし、近い未来で冬弥に奪われるくらいなら、そうなる前に、五十嵐好きな人に、捧げてしまいたいなんて……



 コンコンコン──!


「――お嬢様」

「ッ!?」


 瞬間、扉がなって、執事の声が聞こえてきた。


(あ、うそ! 隠さなきゃ!)


 そう思って、結月は慌てて、文庫本を引き出しの中に隠す。


 ──ガン!?


「痛ッ!」


 だが、引き出しを閉めようとした瞬間、慌てていたせいか、結月は思いっきり指を挟んでしまった。


 指先を強打し、思わず声が出ると、それを聞いた執事が、血相を変えて部屋の中に入ってきた。


「お嬢様! いかがなさいました!」


「あ……えっと……ちょっと、指を挟んだだけよ。だから、大丈」


「大丈夫ではありません!」


「っ……」


 瞬間、手を取られ、執事が心配そうに、結月の指先を見つめた。


 痛みやアザがないか確かめているのか、優しく触れた指先に思わずドキッとして、また顔が赤くなる。


 さっき、あんなことを考えていたからか、まともに顔が見れない。


「すぐに、冷やすものを持って参ります」


「あ、大丈夫……本当に大したことないから」


「ダメです。跡が残ったらどうするのですか」


 ピシャリと言い放つと、執事は、すぐさま部屋から出ていった。


 きっと、氷をとりにいったのだろう。


(っ……私のバカ)


 また、執事に迷惑をかけてしまった。

 そんな自分に、結月はひたすら自己嫌悪する。


(こんな私と一緒になって……五十嵐は、本当に幸せなのかしら……っ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る