第132話 奥様と執事
その後屋敷に戻ると、結月の母親から呼び出しがあったと聞き、レオはその足で、すぐさま別館に向かった。
近代的な建物の一室。
ソファーに座る美結は、あいかわらず猫を撫でていた。白のペルシャ猫は、だいぶ主人に懐いているらしく、しっぽをゆらしては、気持ちよさそうに目を細める。
「奥様、お待たせして、申し訳ありませんでした」
そんな光景を見つめながら、レオは丁寧にお辞儀をする。
用件はなんだと勘ぐりつつも、普段通り話しかければ、美結は猫を撫でながら視線だけをレオにむけた。
「いいのよ、いきなり呼び出したのは、こっちだし……それより、昨日冬弥くんから連絡があったの。『結月さんと正式にお付き合いさせて頂くことになりました』って…上手く二人の仲を取りもてたみたいね。よくやったわ、五十嵐」
「………」
不本意にも褒められたその内容に、こころなしか、心中がざわついた。
誰も、取り持ったつもりはない。
だが、今の自分の役目は、二人の仲を進展させること。それを思えば、次の言葉は、自ずと決まってくる。
「お褒めにあずかり光栄でございます。結月様も冬弥様との縁談に、だいぶ前向きになられたようで、私としても、大変安心致しました」
「そうね、上手くいきそうでよかったわ。あとは、結月と冬弥くんの間に子供が出来れば、うちも安泰ね」
「………」
そう言って、一つ息を着いた美結を見て、レオは目を細めた。
確かに、二人が付き合ったとなれば、身体の関係をもつのは時間の問題。
なにより『結婚は、子供を授かってから』などという、ふざけた条件まで出しているのだ。
阿須加家にとっても、餅津木家にとっても、一刻も早い懐妊を望むのは当然のこと。
(まぁ、そんなこと、絶対にさせないけど……)
だが、あんな野蛮な男に結月を渡すつもりもなければ、この親のいいなりになるつもりもない。
レオは、固く決意すると、再びニッコリと笑顔をはりつけた。
「奥様、跡取りの件に関しては、お二人の距離がもう少し縮まってからの方が宜しいかと……お付き合いをはじめたばかりで、いきなりご子息を切望されたとなっては、結月様も冬弥様も息が詰まるでしょうし、なにより結月様は、まだ高校生です。未婚の学生が在学中に妊娠というのは……」
「まぁ、そうね……それは、ちゃんと分かってるつもりよ。そういえば、結月は大学にいくつもりみたいだけど、矢野が辞めてから、勉強の方はどうなの?」
「家庭教師の代わりなら、矢野から私が引き継いでおります。勉学の方はなんの問題もありません。志望校を合格できるレベルには達しているかと……」
「そう、五十嵐が教えてくれてるのね。ふふ……やっぱり、このまま手放すのは惜しいわね?」
「?」
だが、クスクスと不気味な笑みを浮かべた美結を見て、レオは眉をひそめた。
手放す?
一体、何の話をしているのか……?
「五十嵐、今日あなたをここに呼んだのは、今後について話がしたかったからよ」
「……今後ですか?」
「えぇ、五十嵐、あなたには今後、私の執事になってもらうわ」
「え……?」
まるで、鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。
私の……執事?
「何を、仰って……」
「だって、結月の執事にしとくには勿体ないじゃない。だから、結月の執事をやめて、私の執事になりなさいと言ってるの」
「……ッ」
有無を言わさぬ、その瞳に、レオはぐっと息をつめた。
結月の執事を辞めて、この女の執事に?
何を言っているんだろう。
そんな身勝手な話、あっていいはずがない。
「奥様、大変ありがたいお話ですが、私は、まだお嬢様のお側を離れるわけにはまいりません。斎藤と矢野が退職し、残る使用人は3人だけです。私が抜けてしまえば、女性二人だけになってしまいますし、あの広い屋敷の管理と、お嬢様の身の回りのお世話を、メイドとコックだけで行うのは、些か無理がございます」
全く有難くない話を、あくまでも"ありがたい"と呈した上で、レオは美結に反論した。
このまま、素直に承諾なんて出来ない。
何より、この女の執事として働くなんて、まっぴらゴメンだ。
「大丈夫よ」
「………」
だが、レオのその言葉に、美結が意を唱える。
「実は昨日、一つ、冬弥くんから条件を出されたの」
「条件?」
「えぇ、結月が高校を卒業したら、餅津木家に、結月を招き入れたいと言ってきたわ」
「!?」
瞬間、レオは瞠目する。
つまりそれは、同棲をしたいと言う申し入れ。
だが、いくら婚約者とはいえ、結婚前に名家の一人娘が同棲なんて──
「まぁ、本来ならありえない話だけど、うちもあんな条件を出してるし、飲むことにしたのよ。なにより、子供を作るなら一緒に暮らしていた方が、何かと都合がいいし」
「……」
確かに、都合はいい。
冬弥や、この親にとっては──
だが、そんなことになってしまったら、こちらとしては、結月を守れなくなってしまう。
「奥様……」
「五十嵐、あなたは何も心配しなくていいのよ。あと数ヶ月すれば、結月はあの屋敷をでて、餅津木家で暮らすことになるの。そうなれば、あなたが、あの屋敷にいる必要もなくなるでしょう?」
「……っ」
レオの前まで来た美結は、レオの頬を撫でながら、そう言った。
まるで、お気に入りの人形で撫でるかように、先程まで猫に触れていた手が、レオの頬に触れる。
気持ち悪い。
吐き気がする。
触れられた場所からは、じわじわと体温が奪われていくように感じた。
数ヶ月後、結月は餅津木家で暮らし、自分は、この女の執事になる。
嫌だ。
そんな未来、絶対に──
「春になったら、あなたは私のモノよ。だから、それまでに、この別館の業務もしっかり覚えておいてね?」
「………」
耳元で囁かれた言葉は、酷く不快だった。
普段なら、いくらでも嘘の言葉を並べられるのに、なぜか、その言葉には、どうしても、返すことが出来なかった。
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