第十一章 執事の誘惑

第101話 叶わぬ恋


「いってらっしゃいませ、お嬢様」


 次の日──学校に登校してきた結月は、必死に平常心を貫こうとしていた。


 いつものように車から降りる際、エスコートしてくれる執事。自分よりも逞しいその手で優しく握りしめられると、それだけで胸がドキドキしてしまう。


(お、おちつかなきゃ……いつもと同じよ。何も恥ずかしがる必要はないわ)


 車から降りると、結月はあくまでもいつも通りを装い「行ってきます」と執事に笑いかけると、そのまま校舎の中へと入っていった。


 そして、そんな結月を見送ったあと、レオは深くため息をつく。


 昨日は、休むと言ったきり結月は部屋に閉じこもってしまい、あの言葉の本当の意味を聞くタイミングを逃してしまった。


 結月は、一体どういうつもりで、あの時『好き』と囁いたのだろう。


 すると、触れた手の温もりを確かめるように、レオはそっと、自身の手を握りしめた。


 あの声が忘れられない。

 しがみついて、耳元で小さく好きと囁いた、あの甘ったるい声──


(もし、結月が、俺のことを好きになってくれていたら……)


 そう、思ってしまうのは、あの後から、少し様子がおかしいから。


 あまり、目を合わそうとしないし、触れれば、顔を赤くしてばかり。


 だからこそ、自分に都合の良い妄想ばかりしてしまう。


(結月、お前は今……俺のことを、どう思ってる?)


 なんとかして、知る方法はないのだろうか?


 結月の今の気持ちを───










 第101話 『叶わぬ恋』












 ✣✣✣



「はぁ……」


 その後、教室に入った結月は、ずっとため息ばかりついていた。


(どうして私、五十嵐のこと、好きになっちゃったのかしら。五十嵐には、彼女だっているのに)


 五十嵐のことを考えると、胸が苦しくなる。


 なぜなら、どうしたって、叶わぬ恋だから。


 五十嵐には、彼女がいて、その彼女のことを、とてもとても愛している。


 何より、自分にも、もう婚約者がいる。


 どうしたって、叶わない。

 叶うべきではない。


 だからこそ、今自分がすべきことは、この気持ちを隠し通して、餅津木 冬弥を、好きになること。


「はぁ……」


 だが、そうは思っても、なかなか気持ちが追いつかない。


(……恋って、厄介なものね)


「あら、阿須加あすかさん。どうしたの、ため息なんてついて」


 すると、結月が暗い顔をしていると、同じクラスの有栖川ありすがわが声をかけてきた。


「あ……ごめんなさい」


「いいのよ、何か悩みがあるなら相談に乗るわよ。それに、昨日はおやすみしていたし、お身体の具合はいかが?」


「…………」


 心優しい言葉に、自然と胸が暖かくなる。


 だが、昨日はで休みましたなどとは言えず、悩みにしても、執事に恋をしたなんて、口が裂けても言えなかった。


「大丈夫。もう良くなったわ。それに、悩みなんてないから心配しないで」


「あら、そう?」


「有栖川さん!」


 すると、また別のクラスメイトが有栖川に声をかけてきて、二人は同時に、その女性を見つめた。


「先日、借りた本、とても面白かったわ!」


「あら、ほんと!」


「えぇ、やはり恋愛ものは、ハッピーエンドが一番ね。思わずキュンとしてしまったわ」


「それなら、良かった! 喜んで貰えて私も嬉しいわ!」


 どうやら有栖川から、本を借りていたらしい。


 文庫本を返しながら会話を弾ませる二人を、結月が、ただただみつめていると


「阿須加さんも、読んでみる?」

「え?」


 突然話を振られて、結月はキョトンと首を傾げた。


「私?」


「えぇ、実はこの本、前に貸した本と同じ作者が書いた本なの!」


「とても、面白かったし、感動したわ。親が、勝手に婚約者を決めてくるんだけど、初めは嫌いだった婚約者のことを、次第に好きになっていく物語なの」


「婚約者……」


 まさに、今の自分だと思った。

 親が勝手に決めた、苦手な婚約者がいる。


 それに、もし、その婚約者ことを好きになれるのだとしたら……


「有栖川さん! 私にもその本、貸してくださらない!」


 すると、結月は藁にもすがる思いで、有栖川の手を取った。そして、当然、有栖川は


「もちろんよ! 上下巻あって、上巻は今別の子に貸してるから、帰ってきたら2冊まとめて貸してあげるわ」


「ありがとう!」


 瞬間、結月の表情は、ぱっと明るくなる。


(そうよ、今までだって知らないことは本で調べてきたし、恋のことだって、本を読めば、きっと分かるはずだわ)


 苦手な婚約者を、好きになる方法も、執事のことを忘れる方法も、きっと───


「あ、でも……」


 だが、結月はふと思い出した。


「あの……その本にもあるのかしら、そのなかんじの……?」


「えぇ、少しだけね」


「……そ、そう」


 瞬間、借りるのはいいが、今度こそ執事には見つからないようにと、結月は固く心に誓ったのだった。


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