第100話 秘めた想い

「五十嵐さん!」


 屋敷に戻ると、玄関を入ってすぐの広間で、メイドの恵美めぐみ矢野やの、そしてコックの愛理あいりがレオを出迎えた。


「びっくりしたよ、いきなり呼び出されたってきいたから!」

「一体、何があったのですか?」


 愛理の声に被せて、矢野が神妙な面持ちで問いかける。昨日の今日で、突然呼び出された執事に、この3人も、ただならぬ雰囲気を感じ取っていたらしい。


「五十嵐!」

「……!」


 すると、更に聞き慣れた声が響いて、レオは視線を上げた。


 確かめなくても、すぐに分かった。

 愛しい愛しい、彼女の声──


「お嬢様」

「っ……」


 自分の部屋から慌てて出てきたのか、階段の上から、こちらをみつめる結月と目が合うと、レオは無意識に唇を噛み締めた。


 自分の姿を見て、その目に、涙を浮かべた結月。そして、足早に階段を下りてきた結月は、そのままレオの元へと駆け寄ってくる。


「五十嵐、ごめんなさい! 私のせいで……!」


 今にも飛びつきそうな勢いで駆け寄ってきた結月に、レオは悲しそうに目を細めた。


 きっと、自分が辞めさせられてしまうと思ったのだろう。その不安げな瞳をみれば、自然と胸の奥が苦しくなって、それと同時に、先程言われた洋介の言葉を思い出した。


『五十嵐、今後お前には、冬弥とうや。ワインの件は、ホテル側のミスだと伝えろ。結月が冬弥くんに不信感を抱いているなら、あの二人が上手くいくよう結月を洗脳しなさい。結月の幸せを思うなら、そのくらいできるよな』


 平然とした顔で、娘を洗脳しろと言った洋介を思い出して、レオは苦渋の表情を浮かべた。


 言うなれば、『結月が、冬弥を好きになるように仕向けろ』と言うことだ。


 娘の幸せなんて言いながら、ただただ意のままに操る気でいる。それも、娘が信頼する"執事"を使って……


「五十嵐。辞めさせられたり、しないわよね?」

「…………」


 しばらく黙り込んでいると、結月がいっそう不安そうに瞳を揺らす姿が見えた。


 その純粋な瞳には、今、自分だけが写ってる。


 この瞳が、この先、他の男を写すなんて考えたくもなかった。


 昨晩「好き」と言ってくれた時のように、他の男にも同じ言葉を囁くのかと思うと、今にも胸が張り裂けそうだった。


 誰にも渡したくない。


 それも、あんな野蛮な男のことを、わざわざ好きにさせるなんて、そんなこと絶対にさせたくない。


 だけど、それをしなければ、自分は結月の傍にはいられなくなる。


 そしたら、もう守れなくなる。

 世界でたった一人の、大切な大切な女の子を──


「大丈夫……ですよ」


「え?」


「クビにはなりません。今朝は、その……冬弥様の件で呼び出されまして……どうやら私の、勘違いだったようです」


「勘違い?」


「はい。冬弥様は、お嬢様にお酒を飲ませるつもりはなかったようで……あれは、ホテル側が間違って提供したそうです」


「え? そうなの? じゃぁ……」


「はい。冬弥様は、お嬢様を酔わせようとしたわけではないそうです」


 いつものように微笑みながらも、心の中では一切笑えなかった。


 自分の言葉なのに、酷い嫌悪感を抱く。


 まるで、犯罪の片棒を担がされているかのような、そんな気色悪さすら感じて、結月の目をまともに見ることすら出来なかった。


 守るためだと腹はくくっても、できるなら結月に、こんな嘘はつきたくなかった。


「……そう、なのね」


 すると、それから少しだけ間を置いて、結月が小さく呟いた。


「じゃぁ……冬弥さんは、悪い方ではないと思ってもいいの?」


「………」


 その問いかけに、否定も肯定も出来ず黙り込む。できるなら、冬弥に対して警戒心はとかないでいて欲しい。


 大丈夫だと思い込めば、それだけリスクが高まるから。でも──


「……はい」


 心にもない言葉を伝えて、無理やり笑顔を貼り付けた。すると、本当に安心したように、結月が表情を緩めたのを見て、また胸が苦しくなる。


 信じないで欲しい。

 今の、俺の言葉だけは──


「ねぇ、五十嵐。……クビにならなかったということは、これからも私の傍にいてくれるのよね?」


 すると、まだ、どこか不安を宿した瞳で、結月が見上げてきた。


 傍にいてほしい──と、まるで懇願するようなその眼差しに、胸が自然と熱くなる。


 そんなこと、頼まれずとも……


「はい。私は、いついかなる時も、お嬢様のお傍を離れません」


「……っ」


 結月の手を、両手で包み込むようにきつく握りしめると、レオは真剣な表情で囁きかけた。


 二人、目が合えば、結月が慌ててその顔をそらし、執事に掴まれた手を引っ込める。


「あ……ありがとう。その、気が抜けたら、少し眠くなってきから……暫く、部屋で休むわ」


 そう言って、まるで逃げるように二階へと駆け上がっていった結月を見て、レオは、空になった自分の手をそっと握りしめた。


(絶対に、誰にも傷つけさせない……っ)


 そう、きつく心に誓いながら──




 ✣


 ✣


 ✣



 ──バタン!


 その後、時室に戻った結月は、部屋の扉を閉めたあと、その扉の前で、ズルリとへたりこんだ。


「……っ」


 先程、触れられた手を、きつく握りしめる。


 いつもと変わらず、手袋越しに触れられただけなのに、手を取られた瞬間、平常心ではいられなくなった。


 身体が熱い。顔は耳まで赤くなって、心臓は今にも張り裂けそうなほど激しく鼓動を刻んでいた。


(どうしよう。これじゃ、気づかれちゃう……っ)


 五十嵐にも、みんなにも、気づかれてしまう。

 誰にも悟られてはいけない──この気持ちを。


(こんなの……ダメなのに……っ)


 執事相手に、こんな気持ち、持ち続けちゃいけない。好きでいてはいけない。それは、よく分かっていた。


 自分が、"好きにならなくてはいけない相手"は、もう決められてしまったから。


 だけど、ダメだと思えば思う程、その想いばかりが溢れてくる。


 恋はしないと決めていた。


 それは無意味なものだと、ずっと言い聞かせてきた。それなのに


 ──好きになってしまった。



(こんな時、どうすればいいの……?)


 必死に、気持ちを沈めようと深呼吸をする。恋愛に詳しくない結月は、この想いを止める方法が分からなかった。


 一度自覚した心は、留まることなく『彼』を求めてしまう。


 ただ、声を聞くだけで

 ただ、手を触れただけで


 こんなにも胸が苦しくなる。


 だけど、こんな状態で接していたら、いつか絶対に気づかれてしまう。


 そして、もし、気づかれてしまったら、もう一緒にはいられなくなる。


 それは、嫌だと思った。


(どうせ、叶わないなら……っ)


 せめて、傍にいて欲しい。


 一分、一秒でも長く、五十嵐の、好きな人の傍にいたい。


「五十……嵐……っ」


 小さく小さくその名を呟くと、結月はまるで祈るように胸の前で手を組んだ。


 それは、決して気づかれてはいけない、その「秘めた想い」を、必死に必死に、覆い隠そうとでもするかのように──




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