旦那様とメイドさん【旅行編】③


「私も、旦那様のことが好きだから」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。いや、に、ただ思考が追いつかなかったと言ったほうがいい。


「結月……?」


「私も、旦那様が好きです……っ。旦那様が、私のことを好きだと言ってくださって、結婚したいといってくださって、本当は、すごく嬉しかったんです。でも……私は、ただのメイドで、私みたいな子と結婚しても、旦那様が恥ずかしい思いをするだけです。だから……だから、旦那様のお気持ちには、


「……っ」


 今にも溢れそうなほど涙をためた結月に、レオの瞳は釘付けになった。


『旦那様の気持ちには、答えられない』


 そして、その言葉に、レオは無意識に拳を握りしめた。きっと結月は、自分のために身を引こうとしているのだろう。


 身分も違う。生きてきた環境も違う。


 そんな自分たちは、結ばれてはいけない運命だから──


 だが、その後、結月はまた恥じらいつつ、レオを見上げて


「でも、もし今日だけでも『普通の女の子』として見てくださるのなら……今夜だけでも……旦那様の隣にいたいです」


「……え?」


「また、屋敷に戻ったら忘れます! 忘れられなくても、何もなかったように振る舞います。それがダメなら、メイドを辞めて、あの屋敷から出ていっても」


「……っ」


 手を伸ばすと、レオは躊躇いなく、結月を抱きしめた。


 結月が、好きだと言っている。今夜だけでいいから、自分の隣にいたいと言っている。


 それが、あまりにも嬉しくて──


「結月……っ」

「……旦那……さま……っ」


 再度、名前を呼んで、これが夢じゃないかと確かめた。


 涙でいっぱいになった結月の瞳に、唇を落とすと、その涙を拭うように、レオは頬や額に口づける。


 涙のせいか、少ししょっぱい味がしたけど、それがよりいっそう、嘘じゃない事を実感させてくれた。


 それに、今までは、抱きしめたら恥ずかしがって逃げようとしていた結月が、今日は大人しくされるがままになっていて


 こうして、素直に受けいてれくれる結月に、自然と胸が熱くなった。



「結月。もう一回、言って」


「え……?」


「俺のこと、好き?」


「っ……す……好き、です」


「もう一回」


「んっ……す……き……好きっ」


「うん、俺も好きだよ。結月」


 お互いに何度と、そう囁いて、いずれ視線が絡まると、レオは結月の唇に指を這わせた。


 薄紅色に色づく形のいい唇を、レオの指先がなぞる。すると、結月の頬は、さらに色味をまして、その愛らしい姿には、自然と笑みが零れた。


(……もう、我慢できないな)


 いや、きっと、もう我慢する必要はないのだろう。


 愛しい──そんな思いをこめて、レオが結月の頬に手を添えれば、結月も何かを感じとったのだろう。

 ゆっくりと目を閉じれば、二人の距離は、前髪が触れ合うくらいまで近づいた。


 そして──



 ──ピピピピピ!!


「「!?」」


 だが、その瞬間、突然なにかの機械音が鳴り響いた。

 二人が、はっと我に返ると、結月が「あ!」と声を上げて、ベッドから抜け出すと、バッグの中に入れていたスマホを手に取った。


「あ、やっぱり!」

「どうした?」


 スマホを凝視する結月をみて、レオは何ごとかと眉を顰める。すると


「ルイさんが、レストラン予約してくれていたの忘れていました!」

「………」


 その言葉に、レオもまた思い出した。


 確かに、この近くにある高級ラストランを予約してあるとか、なんとか言ってた。


 予約は、確か6時。まだ多少余裕はあるが、それでも手早く着替えて行かなくては、予約の時間に間に合わなくなるだろう。


「あれ? それ……ルイのスマホ?」


 だが、ふと結月が手にしたスマホをみて、レオが問いかける。


「はい。これ、ルイさんがで使ってるスマホです。この中に、今日お会いした視察先の相手の情報とか、ホテルまでの地図とか、飛行機の時間とか、必要な情報は全部入力しといたから『肌身離さず持っててね!』って、ルイさんが、こちらに来る前に持たせてくれて。おまけに、私が忘れても大丈夫なように、アラームまで設定しておいてくださったので、時間におくれることもなく、旦那様のサポートが出来ました!」


「へー……」


 そんなことをしていたのかと、レオは軽く感心する。なにかと、マメな執事だ。


「それより旦那様、早く着替えてくださいボーッとしていたら、せっかくルイさんが予約してくれたのに、遅刻しちゃいます!」


「え!? このタイミングで!?」


 さっきまでの甘いムードが、いつの間にか切り替わっていて、レオは落胆する。


 なんだろう、この行き場のない感情は……


 だが、確かにお腹もすいたし、遅れてレストランに迷惑をかける訳にもいかない。


「はぁ……仕方ないか」


「レストラン、楽しみですね?」


「まぁ、ルイが選んだんなら、間違いないだろうし……あ。でも、近くで夏祭りがあるって言ってたよな」


「はい。でも、交通規制がある場所もルイさんが事前に調べてくれてるので、大丈夫ですよ。それと、花火は9時からみたいで、夏祭りの会場で観るよりは、ホテルの部屋から見た方が綺麗だろうって書いてありました」


「そんなことまで調べてあるのか?」


「はい。ルイさんって、とても優秀な方ですよね! それに、この部屋からなら、花火も綺麗に見えそう」


 まるでパノラマのような窓から外を見つめながら、結月がため息混じりにそう言うと、レオはそんな結月の元に歩み寄り


「結月は、花火好き?」


「はい、大好きです!」


「そっか……じゃぁ、レストランから戻ったら、花火を見ながら、しようか」


「え!?」


 するりと後ろから結月を抱きしめて、レオかそっと耳元で囁く。


「俺の隣に寝たいって言っただろ?」


「あ、あれは、勢いというか……なんというか」


「今更遅いよ。それに、今夜だけにするつもりなんてないから」


「え?」


「またメイドに戻っても、結月は俺の恋人だよ。忘れるなんて絶対許さないし、忘れたくても忘れられなくなるくらい……たくさん、愛してあげる」


「……んっ」


 優しく結月の頬に口付ければ、そのレオの言葉に、結月が小さく小さく「はぃ」と答えた。


 そして、それを境に、星が一つ瞬き始める。


 まるで、この夏の夜に、神様が祝福しているかのように──





 ✣


 ✣


 ✣



 そして──

 その後、二人がレストランに向かった頃


「ルイさん、さっきから何聞いてるんですか?」


 五十嵐家の執務室。デスクに向かい、スマホを手にイアホンを付けているルイを見て、メイドの恵美が声をかけた。


「音楽でも聞いてるんですか?」


「あー違うよ……檻の中に入れたウサギさんが、ライオンさんに、無理やり食べられちゃったら大変だからさ。こっそり見張ってたんだ」


「ウサギ? ライオン?」


 わけも分からない話に、恵美が首を傾げると、ルイはイアホンを外して、スマホをオフにする。


(結月ちゃんに持たせたスマホに、念のため盗聴アプリ仕込んどいたけど……もう聞く必要はなさそうかな)


 自分で"けしかけた"こととは言え、微量だが、嫌がる結月を、無理やりレオが襲ってしまう可能性もあったため、この五十嵐家から犯罪者を出すまいと、ルイは、万が一に備えて保険を打っていた。


 だが、どうやら、ルイの思い通り『両思い』にはなれたようで、深く深く胸を撫で下ろす。


 もちろん、今までの会話を全て聞かれていたなんて、レオも思いもしないだろうが……


(うーん……バレたら、クビかな?)


 そんなことを思いながらも、ルイはスマホをしまうと


「ねぇ、恵美ちゃん。今夜、仕事終わったら、みんなで飲みに行かない?」


「え? どうしたんですか、急に」


「今日は、レオ様いないしね! それにちょっと、祝杯あげたい気分なんだ~」


「祝杯ですか? なにかいい事でもあったんですか?」


「うん……ずっと応援していた幼馴染の恋が、やっと実ったんだ」


 しみじみとそう言って、ルイは窓の外を見上げた。


 一番星に願うのは


 どうか、あの二人が、いつまでもいつまでも


 ──幸せでありますように♡






 番外編・終

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