第30話 白い日記帳


 深夜0時──


 全ての業務を終え自室に戻ると、レオはシャワーを浴びたあと、窓際に置かれた机についた。


 木製の机には、いくつか引き出しが付いていて、その中の一番上の引き出しから、白い日記帳と黒革の手帳をとり出すと、机の上に日記帳を広げ、今日の出来事を簡単に記していく。


 そこそこ厚みのあるこの日記帳は、レオが中学の時、フランスに移住してからつけているものだった。

 毎日書いているわけではなく、書きたい時にだけ、書いているもの。


「将来……か」


 すると、昼間の結月の言葉を思い出し、レオは眉をひそめた。


『私も、もう3年だし、将来のこととか色々決めなくてはいけなくて……だから、近々お父様とお母様のところに連れて行ってくれる?』


 あの親の「希望」なんて、もう分かりきってる。


 仮に大学に進学するにしても、きっと、また親の決めた大学に行かされるのだろう。


 そして、そのあとは、親の決めた好きではない相手と結婚させられる。


 そしてそれを、結月自身よく分かっていて、もう自分で進路を選ぶことすら放棄してる。


「お前の将来は……『俺が貰う』って、約束をしたのに」


 結月と別れた時のことを思い出して、レオは悲しげに、その瞳を揺らす。


 8年前──レオは結月を置き去りにして、日本をたった。


 できるなら離れたくはなかった。だが、その頃の自分たちは、まだ子供で、どうしても親の元で生きていかなくてはならなかった。


『レオ、いかないで……っ』


 そう言って、涙を流す結月を必死に慰めた。


 離れたくない気持ちを押し殺して、レオは結月の手を握りしめ『いつか必ず迎えに来るから』と、約束した。


 いつか二人、大人になったら

 自由になれたら──結婚しようと。


 大輪の花を咲かせた『ヤマユリ』の花と、あの小さな『箱』に夢を託して──結月にキスをした。


 だけど、愛しい人を置き去りにした代償は、あまりに大きく。


 数年ぶりに再会した結月は、自分と過ごした『時間』や『約束』だけでなく『夢』を見ることですら、全て忘れてしまっていた。


 あの時、誓ったのは

 空っぽにしたかったのは


 結月の『心』ではなったはずのに……。



「はぁ………」


 スラスラと日記帳にペンを走らせていた手を止めると、レオは深くため息をついた。


 あの頃の結月を取り戻すためには、失った記憶を思い出させるのが手っ取り早い。だが……


「お兄ちゃん……か」


 思いのほか、それは前途多難だった!


 あろうことか結月は、今、自分のことをではなくのような存在だと認識している。


(この前、あんな本読んでたくせに、まったく意識してないなんて……っ)


 正直、結月が、お嬢様と執事の恋愛小説を読んでいた時は、素直に嬉しかった。


 だが、小説の中のお嬢様と執事は、あんなにも淫らに愛を確かめあっていたというのに、結月は自分のことを、本気でとしか思っていない。


 ここ二ヶ月、あくまでもは侵さない程度に、レオは結月に、それなりに近い距離で接してきた。


 だが、まったく意識すらせず、自分を『家族のような使用人』と認識している結月。


 というか、いくら使用人とはいえ、赤の他人を信頼しすぎではないだろうか?


 前任の執事に恋心を抱かれ、軽く修羅場ったわりには、学習能力がないのか、はたまた人を疑わない純粋すぎる性格なのか、こうも使用人に対して、無防備だと流石に心配になってくる。


「なんとかしないと、マズイな。あれは……」


 レオは再度、ため息をつく。


 自分がこの街に戻って来たのは、結月と『家族』になるため。だが、決して『兄』になる為ではない。


 なら──


「まずは、執事もだってこと、ちゃんと分からせてあげないとな」


 なにか悪巧みでも思いついたのか、レオは小さく呟いたあと、軽く口角をあげた。


 記憶を思い出させるためにも、このまま「ただの執事」で終わるわけにはいかない。


 結月が、自分を異性として見る気がないというなら、こちらだって、執事という立場を利用して、本気で攻めればいいだけだ。


 例えそれが、執事として、あるまじき行為だったとしても……


「覚悟してろよ、結月──」


 白い日記帳をパタンと閉じると、レオは怪しい笑みを浮かべ、窓の外を見上げた。


 かすみがかった空を見上げれば、昼間降っていた雨が上がり、綺麗な三日月が、雲間から顔をのぞかせていた。


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