第31話 イタズラ


 それから、二日が経ち、阿須加の屋敷は朝を迎えた。


 時刻は、午前6時──昨晩の雨が上がり、濡れた紫陽花の花からは、朝日に照らされたしずくがキラキラと流れ落ちた。


 清々しい朝の光景。そして屋敷の中を進み、二階に上がった奥に、結月が使う部屋があった。


 白と紫を基調とした、モダンで落ち着いた雰囲気の部屋。


 両開きの扉を開ければ、左手にはティータイムでよく使用する猫脚の丸テーブルがあって、その先にある濃い紫のカーテンを開ければ、制服やドレス、靴やアクセサリーといった衣装をしまう小部屋があった。


 壁際には、縦長の窓が等間隔で備え付けられ、カーテンの隙間からは、一筋の陽の光が柔らかく差し込む。


 そして、入り口から右手にあるのは、ドレッサーと勉強机と天蓋付きのベッド。


 更に、その天蓋から垂れるレースカーテンを開けると、中の広々としたキングサイズのベッドの中で、結月は小さく寝息をたてていた。


 白のナイトドレスを着て、すやすやと眠る結月はあまりに無防備で、毛布にくるまってはいるが、胸元は少しはだけ、スカートの裾からは、肌触りの良さそうな足が覗いていた。


 朝が弱いせいか、結月はいつもメイドの恵美に起こされるまで、あまり目を覚まさない。


「んー……っ」


 だが、今日は起こされる前に目が覚めたらしい。結月が小さく声を漏らした。


 今、何時だろう。霞む視界を少しずつ覚醒させ、結月はベッドの中から辺りを見回す。


 するとその先で、微かにが揺らいだ。


 今日も、また恵美が起こしに来てくれたのだろう。結月は微睡みの中、恵美に声をかける。


「おはよう、恵美さ」


「おはようございます、お嬢様。お目覚めはいかがですか?」


「!?」


 たが、その瞬間、恵美とは違う声が聞こえてきて、結月は、ぱっちりと目を覚ました。


 天蓋の中では、自分を見下ろし、優しく微笑む執事の姿があった。その玲瓏な顔つきは、今日も変わらず美しい。だが


「きゃぁ!」


 いきなり現れた異性の存在に、結月は勢いよく起き上がると、サイドボードにぴたっと背をよせ、限界まで距離をとった。


 なぜ五十嵐がここにいるのか?

 胸の前で毛布を抱きしめながら、結月は困惑する。


「な、なんで……どうして五十嵐が……っ」


「どうしてって。私は、お嬢様を起こしに来ただけですよ」


「起こしに来たって……恵美さんは? 今日は、お休みではなかったはずよ?」


「はい。休暇は頂いておりません。ただ、今日から相原が行っていた、お嬢様の身の回りのお世話は、全てさせて頂くことになりました」


「……え?」


 身の回りの世話を──全て??


「な、何言ってるの!? 五十嵐は男性だし、全てなんて……!」


「何故ですか? お嬢様は、私をのように思われているのでは?」


「……っ」


 確かに五十嵐のことも、家族のように思っている。だが、恵美が行っていた身の回りの世話には、朝起こすだけでなく、着替えや髪の手入れなど、身体に触れるものも多い。


 流石にその全てを、執事とはいえ、男性にしてもらうわけには……


「でも、着替えとか……色々、あるし」


「家族ですから、恥ずかしがる必要はごさいません。それとも、私のことは、家族とは認めてくださらないのでしょうか?」


 瞬間、執事がとても寂しそうな目をして俯いた。そのように言われると、さすがの結月も言葉につまる。


「そ、そんなことないわ……五十嵐も、私の大事な家族よ」


「では、ですね」


「え?」


「本日より、お嬢様の身の回りのお世話は、私がさせて頂きます」


「あ、ちょ、待って……!」


「明日もまた、この時間に起こしに参りますので、そのつもりでいてください。


「うっ……わ、わかりました」


 何故か、にっこりと笑った執事に、有無を言わさず承諾させられた。なんか上手いこと言いくるめられた気がする。これでは、どっちが主人なのか分からない。


「あー、それと」

「……!」


 すると、執事はベッドに手を付き、更に距離を近づけてきた。軋んだベッドの音に、心なしか心拍が早まる。


「私の前で、あまり無防備な姿を晒らすのは、お控えください」


「え? 無防備?」


「はい。そのように淫らなお姿を晒されると、イタズラをしたくなってしまうかもしれません。いくら執事とはいえ、私も『男』ですから」


「……ッ」


 淫らな姿とは、胸元が肌けたナイトドレスのことだろうか。まるで、からかうように耳元で囁きかけられ、結月は真っ赤になった。


 考えても見れば、今、自分は、寝起き姿を男性に晒しているわけで……


「あ、あ、……私、顔を洗って来ます!」


 なんてはしたない──と、結月は、この場から逃たいとばかりに、そう告げると、執事は、結月の前から退き、天蓋から下がるカーテンを柱へと束ねた。


「どうぞ、お嬢様」


 カーテンが開かれれば、同時に部屋の視界が開け、執事が手を差し出してきた。いつもの白い手袋をした五十嵐の手。それを取れば、結月はベッドから出て、慌てて部屋からでていった。


 そして、そんな結月の姿を見て、レオはクスクスと微笑む。


「お嬢様は、今日も変わらず、可愛らしいですね」


 無防備に眠る姿も、恥らい頬を染める姿も、その全てが──愛おしい。


 だが、今は仕事中。お嬢様に、うつつを抜かしている場合ではない。


「さて……俺も着替えの準備をしておこうかな?」


 そう言うと、レオは部屋の奥へと進み、クローゼットの中へと入っていった。

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